統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol42
54 再び京都へ
京都に戻ったその日は、ビジネスホテルに泊まった。
(節子になんて謝ろう?節子は何て言うだろう?)
とても不安だった。駅までは、やよいが車で迎えに来てくれた。
「思ったより、元気そうやん」
やよいは、言った。そして、私の写メを撮り、
「捕獲!」
と、言って私を笑わせた。少し気分が楽になった。
節子の家に着くと、やよいは、
「私からもお願いします。もう一度、葉月を家においてあげてください」
と、土下座してくれた。私も、土下座して謝った。
少しの沈黙の後に、節子は、
「やよいさんに免じて、今回だけは許したてあげる。今回だけやで。次にこんな事をしたら、知らんからな」
と、言い、許してくれた。
次の日に、私は、まるいクリニックを受診した。松河先生は、誰といたのか、どこにいたのかといった詳しいことを聞かなかった。
「こうして、戻って来てくれて、また暮島さんのお顔が見られて、嬉しい」
と、言ってくれた。
「薬をちゃんと飲んで、私と、前川さんと、伯母さんと、そして暮島さんと。みんなで、病気をよくしていこう」
と、言ってくれた。ホッとした。
前川さんも、
「伯母さんも先生も、私も、心配していたんですよ。戻ってきて下さって、本当に良かったです」
と、言ってくれた。
(本当に、たくさんの人に心配をかけて、巻き込んでしまった)
と、私は思った。
(きちんと生きよう!)
と、改めて強く思った。
55 アステップ・再びホテルの仕事を
それからしばらくは、まるいクリニックのデイケアに通った。そして、松河先生の勧めもあって、まるいクリニックの5階の就労移行支援事業所の「アステップむろまち」に通うことになった。節子は、あまり気に入らなかったが、私は就労に向けての一歩を踏み出したかった。
就労移行支援事業所とは、一般の企業で働きたいと思う人が、就労に必要な体力や、能力をつけるために、最大2年間通う、専門学校のようなところだ。
「もう少し力をつけて、一般の職場で働きたい」
と思っている人にはぴったりだ。いきなり働く自信がない人には、就労移行支援事業所を利用するのはとてもいいと思う。
アステップでは、施設内の掃除をしたり、箱折りなどの作業をしたり、コミュニケーション能力を高めたり、職場でのマナーなどを学んだりできる。少しだが、工賃ももらえる。実際の職場での実習もある。
私はアステップに通って、生活のリズムが整った。就労への意欲も高まった。午前中の作業で、集中力も高まったと思う。いきなり就労することに不安のある人には、就労移行支援事業所を利用することを勧めたい。
アステップでは、ハローワークに行って、求人票を見る訓練もする。
ある日、ハローワークで、私が働いていたホテルの求人票を見つけた。そのホテルでの仕事が私は好きだった。でも、ひどい辞め方をして、すごく迷惑をかけた。また雇ってくれるとは、とても思えなかった。
3日間ほど考えて、私は勇気を出して電話をかけた。私は、突然仕事を辞めて迷惑をかけた事を詫びて、また働きたいという旨を伝えた。
(きっと無理だろう・・・)
と、思っていた。すると、支配人は、
「すごく心配していた。とにかく面接に来て欲しい」
と、言ってくれた。そして、私は面接を受けて、またホテルで働けるようになった。
支配人は、
「突然辞められて、大変だったけれど、それまで暮島さんは、一生懸命働いてくれたから。私たちにとって、必要な人材だと思うから」
と、言ってくれた。嬉しかった。支配人や社長の思いに応えたいと思った。
仕事が始まる前に、私は博多の大智の元を訪ねた。大智は、博多の大学に通っていて、バンド活動をしながら、博多で暮らしていた。二人で、ラーメンや、もつ鍋など美味しいものを食べたり、彼のバンドのライブに行ったりした。大智はドラマーだった。バンドの演奏はとても良かった。大智と一緒に楽しい時間を博多で過ごした。ただ、大智がお酒をすごくたくさん飲むのが心配だった。
その後大智は、年上の女性と交際して、お酒をピタリとやめた。バンドもやめて、会社で働き始めて、現在もその会社で働いている。守るべきものができて、彼は変わった。幸せに暮らしていって欲しいと願っている。