統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol21
29 常夫の死・再発
私は隆道と相談し、英語教室を閉めることにした。保護者の方に教室に来ていただき、その旨を伝えた。生徒たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、
(これからは、家族との時間を大切にしよう)
と思い、私は教室をやめた。そして、家族でスキーに行ったり、パンを焼いたり、お菓子を作ったりと、穏やかな日々を過ごした。幸せだった。大智も、亮純も、そして隆道もとても喜んでくれた。
久しぶりに家族と穏やかに過ごす、そんな平穏な日々を東京に住む直樹からの電話が打ち壊した。
「お姉ちゃん、お父さんが癌なんや」
「えっ?」
「肝臓に9センチの腫瘍があるねんて。もう手術もできひんて。余命3か月って診断されたんや」
電話口で、直樹は泣いていた。受話器を置いてから、私も泣いた。そして、自分を責めた。
(私のせいで、私が病気になったせいで、お父さんは病気になったんだ)
冷静に考えたら、そんなことはあり得ない。常夫はお酒が大好きだった。お酒を飲みすぎたせいで、癌になったのだ。私の病気は関係ない。でも、その時の私は、本気で自分のせいで、常夫が病気になったのだと思い、自分を責めた。
私の精神状態は、かなり悪くなった。それでも、隆道や大智、亮純と、東京まで常夫の見舞いに行った。病室に入ると。常夫は、
「すまんなあ。隆さん、すまんなあ」
と、隆道に詫びた。そして私に、
「お前が一番になろうとするからあかんねんや。隆さんが一番やろう」
と、かすれた声で言った。
「ごめんな。お父さん、ごめんな」
私は泣いた。そして常夫に、
「お父さん、私の手を握って」
と言った。常夫は、弱々しく私の手を握った。そして、言った。
「ちゃんと子供らの事、してやれよ。お前を見ていたら、イライラするわ」
そして、4月8日、お釈迦様の生れた日に、常夫は逝った。私は処方された安定剤や頓服を飲み、ただ、ボーっと座って、葬儀に参列した。通夜の記憶も葬儀の記憶もほとんどなかった。
京都から、時子や、恭二、利子も通夜と葬儀に参加した。通夜の席で、酔っぱらった時子は、ずっと常夫の悪口を言っていたという。あとで、房恵が怒って、私に言ったが、睡眠薬を飲んで、寝込んでしまっていた私は、何も覚えていなかった。
隆道は、東京に残ることになった。私は、大智と亮純を連れて、新幹線に乗って帰ることになった。3人分の指定券と乗車券を買って、座席に座って、発車を待っていると、同じ車両に、時子たちが乗り込んできた。そして、指定券の席番を見ながら、私たちの近くで立ち止まり、私の前の座席に座った。別々に切符を取ったのに、同じ時間で、同じ車両。そして、近くの席。不思議な偶然だった。私を心配した常夫の計らいなのだと、思わずにはいられなかった。「どうしたんや?葉月。具合悪いんか?」
と、時子は何度も、私に訊いた。私は時子から、視線を逸らした。
次の診察で、私は、主治医の前で、大声で泣いた。
「父が死んだのは、私のせいなんです」
と、言って泣いた。混乱して、取り乱す私を見て主治医は、隆道を診察に呼び入れた。
「とても混乱されています。このままお家に帰すわけにはいきません。入院させましょう」
と、言った。
こうして私は、2回目の入院をした。病名は「神経衰弱」だった。自分を責める気持ちと同時に私は、
(私も癌なのではないか?)
という妄想にとりつかれていた。そして、主治医に頼み、検査を受けた。
病棟には、鬱病だけでなく、双極性障害や、摂食障害など、色々な精神疾患を持つ人がいた。私が一番驚いたのは、摂食障害の患者だった。摂食障害は、食行動の重篤な障害を特徴とする精神疾患である。極端な食事制限と、著しい瘦せ方を示す「神経性食欲不振症」と、無茶喰いと体重増加を防ぐための代償行為を繰り返す「神経性過食症」とに分けられる。食事の量や食べ方など、食事に関連した行動の異常が続き、体重や体型のとらえ方などを中心に、心と体の両方に影響が及ぶ病気をまとめて、摂食障害と呼ぶ。瘦せ願望や肥満恐怖を持ち、自己評価に対する体重・体型の過剰な影響がある。摂食障害は10代から20代の若者がかかることが多く、女性の割合が高い。日本で、医療機関を受診している摂食障害患者数は、1年間に21万人いると言われている。
私が病棟で会ったのは10代の女性だった。がりがりに痩せた彼女は、
「まだ痩せたい。自分なんか生きている価値がない。」
と、私に言った。食事の時間は、彼女にとっては拷問のようだった。毎食、少しずつ少しずつの食べ物を口に運び、とても苦しそうに食べていた。時には、泣きながら食べていることもあった。異様な光景だった。
学校の先生や、公務員、大企業で働く会社員など、社会的な地位の高い人も、たくさん入院していた。
病棟には、デイルームという、テレビを見たり、談話したりできる場所があった。病棟には、いろいろな患者がいた。学校や職場でのいじめが原因で発症した人がたくさんいた。親からの虐待など、家族関係の問題で、発症した人も多くいた。いじめや虐待で受けた傷は、そんなにも深いものなのだと思った。
灯油をかぶって、焼身自殺を図ったという男性も入院してきた。その男性は、やけどの跡を隠すどころか、むしろ見せびらかすように、胸元を広げていた。皆病み、壊れかけていた。
主治医の回診では、一通り主治医が、私の話を聞いた後、
「そうですか。ゆっくり過ごしましょうね」
と、決まって主治医は言った。いつも同じだった。それでも、話を聞いてもらうと、少しほっとした特に、私は、私の担当の看護師の柳原さんと話すと、癒された。
主治医の回診以外に、週に一度、部長回診というのがあった。部長の医師の後を若い医師、研修医、看護師がぞろぞろとついて歩いて、患者の回診をするのだ。ドラマの「白い巨塔」のワンシーンのようだった。部長が、一人一人の患者を診察し、若い医師や、看護師や、研修医がぞろぞろついて歩く。異様な光景だった。
最初は異様に感じた、摂食障害の患者をはじめとする精神疾患の患者たちにも、部長回診にも、いつの間にか慣れてくるのだから、人間って不思議だ。
私は2回目の入院で、6か月を病院で過ごした。その間に自宅への外泊を繰り返して退院した。