統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol48

61 派遣会社に登録・清水坂のホテルで働く

克之と別れてからは、パーソナルジムに通った。しばらくそれだけをしてゆっくりすればよかったのかもしれない。でも、私は働きたかったし、
(働かなければ!)
とも思った。

ハローワークにも通ったし、求人サイトにも目を通した。そして、経験のあるホテルの受付に応募してみたのだが、不採用の通知ばかりが届く。どうにか書類選考を通っても、精神疾患があることを告げると、やはり落とされてしまう。こんなに不採用の通知ばかり受け取っていたら、さすがにめげてしまう。それでも私は、働きたかった。
 
そして、求人サイトで見つけた、ホテルにスタッフを派遣する会社を見つけて応募した。

その頃の京都は、インバウンド需要に沸いていた。英語や中国語を話せるスタッフが、とても不足していた。面接をしてくれたのは、その会社の社長だった。
「経験もおありなんですね?」
「はい。トータルで3年ほどあります」
「英語はいかがですか?」
「独学ですが、TOEICは715点くらいあります。日常会話は支障なくできると思います」
「そうですか。何かおっしゃりたいことがありますか?」
と、社長が言ったので、
「実は私、精神疾患があるのです。でも、主治医からは、働いてもいいと言ってもらっています」
と言った。統合失調症であるとまでは言えなかった。
「お医者さんがいいとおっしゃっているなら、問題ないんじゃないですか?この登録用紙にご記入ください。」
と、社長は言った。私はその会社の派遣登録をした。そして数日後、連絡があり、清水坂のホテルの受付に派遣された。
 
そのホテルは、古い日本家屋を改装して開業したばかりのホテルだった。支配人は20代の若い男性だった。全部で5室の小さなホテルで、宿泊者の9割は外国人旅行者だった。
小さなホテルなので、受付だけでなく、部屋の清掃や、ベッドメイキングもしなければいけない。また、部屋の管理に使っているシステムも、前のホテルとは違っていて複雑だった。来られたお客様には、I Padで情報を入力してもらわなければいけなかった。そして、カード決済がかなりあった。
(ちゃんとできたかな?)
と、カード決済の時は、いつも緊張した。家に帰ってからもきちんとできたか心配だった。
 
苦手なことは、たくさんあったが、英語を使える仕事は、やはり楽しくて、やりがいのあるものだった。お客さんが喜んでくださるのは、素直に嬉しかった。支配人も宿のオーナー夫妻も、私を気に入って、信頼して下っているのも嬉しかった。
 
ただ、遅番の時は、家に戻るのが、夜の10時を過ぎてしまう。仕事中に緊張していたからか、家に帰って、遅くに食事を摂るからか、帰ってから、なかなか寝付けなかった。食事を摂って、シャワーを浴びて、夜中の1時過ぎに、やっと眠れるといった感じで、睡眠のリズムも、生活のリズムも狂ってしまった。

また、ホテルでの収入が生活保護の最低生活費を上まわり、生活護の支給が停止になった。それは、私にとって、とても不安なことだった。


62 重大なミス・ドクターストップ

 
そんな時、事件が起きた。支配人が帰り、私が一人で勤務している時間帯にチェックインした、中国人の若い女性三人連れに、
「お二人は2階のベッドで、お一人は1階の和室にお布団を敷きますから」
と、英語で説明したら、
「3人で来ているのに、どうして別々で寝なければいけないのか?」
と、すごい剣幕でクレームを言われた。
「それなら、3人用に1階の和室に布団を敷きます。」
と、言ったら、
「そんなことをしたら、部屋が狭くなるじゃないか!」
と、またすごい剣幕で言ってくる。
「大体、この部屋は、サイトで見たのと違う!狭いし、汚い!ディスカウントしろ!」
と、とても私一人では対応できないようなことを次々言ってくるのだ。私は困って、支配人に電話して、状況を説明した。支配人は電話で対応してくれたが、
「暮島さんから、お客様にきちんと説明してください」
と言う。

一生懸命その中国人のお客様に説明している時に、日本人のお客様が、チェックインに来られた。中国人のお客様の対応で、頭がいっぱいだった私は、その日本人のお客様を間違って、違うお部屋にチェックインさせてしまった。
 
中国人のお客様にどうにか納得してもらってから、家に帰ると、時計の針は、夜の10時半回っていた。私は、くたくただった。そこへ電話が鳴った。支配人からだった。
「暮島さん、違うお部屋にお客さんを案内してしまっています。今からホテルに戻って、対応してください」
と、支配人は言った。でも、そんな気力はどこにも残っていなかった。
「無理です。もうくたくたです」
そう答えるのが精いっぱいだった。
「無理って、暮島さんのミスですよ!わかりました。僕が行きます」
支配人は、怒っていた。その晩、私は、疲労と自責の念で、一睡もできなかった。

次の日は診察だった。私は、一目見ればわかるほど調子を崩していた。
「どうしたの?」
丸井先生が、驚いたように聞いた。私は昨日のいきさつを話した。
「ちょっと休まないとダメだね」
丸井先生は言った。
「最低2か月は、休養しないといけないね。診断書を書いてあげるから、職場に休ませてほしいと電話しなさい」
先生はそう言って、診断書を書いてくれた。

私はクリニックから、ホテルに電話して、休ませてほしいという旨を伝えた。
「急に休ませてほしいと言われても困ります。とりあえず今月のシフトの入っている日は、出勤してください」
と、支配人は言った。私は、もう一度丸井先生の診察を受けた。
「今、暮島さんは調子を崩していて、考えがまとまらないでしょう?そんなので仕事をしたら、またミスするよ。休まないとダメ。自分で言えないなら、前川さんから伝えてもらいなさい。休養して、仕事を続けるかどうかは、また一緒に考えよう」
と、丸井先生は言った。前川さんが支配人に電話してくれて、私は仕事を最低2か月休むことになった。
 
2か月休んで、体調はかなり回復した。でも、職場に戻るのは不安だった。夜遅くまでの仕事だったので、睡眠のリズムが狂ってしまうし、この間のようなクレームを言うお客さんも怖かった。
(またミスをしてしまうかも知れない)
とも思った。怖かった。

でも、一番不安だったのは、生活保護の支給が止まってしまったことだった。
(生活保護なしで、やっていけるだろうか?)
と、不安になったのだ。
生活保護は、最低生活費を超える支給があったら支給が止まる。それには停止と廃止がある。停止の場合、医療費の扶助はある。支給が停止が3か月続くと、廃止になる。医療費の扶助もなく、国民健康保険料の免除もない。また生活保護を受給したければ、一から手続しなければならない。

「生活保護に頼っているなんて、甘い!」
と言われるかもしれない。でも、私には、統合失調症の持病がある。いつ調子が崩れるかわからない。そして、この時、私は明らかに調子を崩していた。

仕事を休んで2か月が経ち、少しは体調がよくなった。でもまだ私は混乱していた。丸井先生は、
「仕事に戻れそう?」
と聞いた。
「自信がないです。」
私は言った。
「暮島さんは、生活保護をもらってやっていきたいの?それとも働いた収入で暮らしたいの?」
と、丸井先生は聞いた。
「生活保護なしでやっていく自信はないです」
私は正直に答えた。
「そうか。仕事を辞める手続きを一人でできる?無理なら、前川さんに手伝ってもらいなさい」
と、丸井先生は言った。

ホテルや派遣会社への連絡は、前川さんがやってくれた。何度も職場と連絡を取り合ってくれた。そして、私は、派遣会社を辞めた。職場に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思う気持ちと、生活保護が廃止にならないことへの安心感が入り混じった、複雑な思いがした。前川さんは、本当に真摯に私のために動いてくれた。彼女に出逢えて、私は本当に幸運だと思う。


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