統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol8
12 大学生活・亜希との出逢い
私が大学に入学する前に、残務処理を終えた常夫は、手元に残ったお金で、京都の松尾に家を買った。孝也も直樹も京都市内の高校と中学校に入学手続きを済ませた。二人はラグビー部に入った。私は、一人暮らしではなく、久しぶりに家族と暮らすことになった。
大学の授業には、全く興味が持てなかった。
「美とは?」
など抽象的なことを学ぶ、授業の内容に退屈さを感じた。
(こんなことを学んで、何の役に立つのだろう?)
とも思った。1、2回生の大学の校舎が今出川ではなくて新田辺で、家からとても遠いのも大変だった。今のようにオンラインが発達していなくて、せっかく時間をかけて大学に行っても休講ということも多々あった。私は、次第に大学を休みがちになっていった。
家では、久しぶりに一緒に暮らす常夫の束縛がすごかった。夜の7時に帰っても、
「遅い!」
と言って殴られた。私は家にも大学にも、居場所を見出せずにいた。
(大学を辞めて、働こうかな。働いて、お金を貯めて、一人暮らしをしようかな)
そんなことを考えていた頃に、私は、亜希に出逢った。
大学の教室で、私の前の席に座っていた亜希。けだるそうに、長い髪をかき上げながら振り向いて、プリントを私に渡した。彼女と目が合った瞬間に、胸のときめきを覚えた。突き抜けるような、痛いようなときめきだった。
講義が終わった後、亜希はまた髪をかき上げながら振り向き、
「ねえ、お茶しない?」
と、私に言った。こうして私と亜希は出逢った。
亜希は、東京の新宿出身だった。一浪していたから、私よりは一つ年上だった。亜希とはお茶をしたり、ご飯に行ったり、映画を見たりと、二人で時間を過ごす事が多くなった。私は、中学校からの内部進学生だったので、学内に友達が多かった。そんな友達を交えて遊んだりすることも多かった。
二人きりでいるといつも私の胸は、ざわめいた。そのざわめきを彼女に悟られないように、いつも私は、細心の注意を払っていた。そんな私の胸の内をもしかしたら、亜希は見透かしていたのかも知れない。二人でいる時によく彼女は、私の腕や腕に触れてきた。その度に私の頬は赤くなった。熱くて、痛くてそして、切ない思いがした。
私は亜希に恋をしていた。誰かをそして女性をこんなに好きになったのは、初めてだった。
(亜希と一緒にいたい!)
私は、大学を続ける選択をした。亜希はよく私に、
「葉月が男だったらよかったのに」
と言った。その言葉を聞くたびに、私は何とも言えない切ない気分になった。底のない沼へと突き落とされたような、そんな気持ちになった。
前期の試験の前の日に、私は亜希の家で一緒に勉強した。夜には帰るつもりだったが、私はそのまま彼女の家で寝入ってしまい、家に連絡しないまま無断外泊をしてしまった。
試験を受けてから、夕方家に戻った私を常夫は、いきなり殴った。
「どこをほっつき歩いとんねん!」
常夫はまた私を殴ろうとした。
「やめて!お父さん!やめて!」
房恵が、止めに入ってくれた。
(家を出たい!)
と、心から思った。
大学で目的を見いだせず、家でも安らぎを得られなかった私は、大学にも行きたくなくて、家にもいたくはなくて、ほとんど大学に行かずに、アルバイトばかりをするようになった。
お金を貯めて何かがしたかった訳ではなかった。ただ家にいたくなかった。当時の日本はバブル真っただ中で、時給のいいアルバイトが、簡単にいくらでも見つかった。
時々、亜希にも会った。亜希は、心配して、
「大学においでよ。葉月がいないと、淋しいよ」
と、何度も言ってくれた。それでも私は、大学に行かなかった。
13 石垣島・江美子との再会
ある日、亜希は、
「葉月、沖縄に行かない?」
と、電話で誘ってくれた。彼女の父親の知人が、沖縄にリゾートマンションを持っていて、一泊1000円で泊まれるという。沖縄にも行きたかったが、亜希と旅行に行きたかった。
「冴子先輩と、昌代先輩も誘おう!」
と、亜希は、楽しそうに言った。昌代は、冴子の親友で、私と亜希の学科の一年先輩だった。
(二人きりじゃないんだ・・・)
と、私は少しがっかりしたが、“旅行に行く”という目標ができたことが嬉しかった。私は、
(成人にも会いたい!)
と、思った。
「石垣島にも行かへん?私の伯父さんがいるねん」
と、言うと亜希は、
「行こう!せっかく石垣島に行くのだったら、ダイビングのライセンスを取ろう!」
とはしゃいで言った。
私は、成人に連絡を取って、石垣島のダイビング教室にも申し込んだ。冴子と昌代は石垣島には来られないが、沖縄本島には行けると言ってくれた。私たちは沖縄に遊びに行った。
沖縄本島では、4人で国際市場に行ったり、ビーチで遊んだり、レンタカーを借りて、海中道路をドライブしたり、楽しく過ごした。私たちはよく遊んだし、よく笑った。古座のディスコにも4人で行った。亜希が、黒人の男性にナンパされて大変だった。今となっては、それも楽しい思い出の一つだ。
冴子と昌代と別れてから、私と亜紀は、南西航空で、石垣島に渡った。空港には、成人が迎えに来てくれていた。成人は、吃音があり口下手だが、誠実な人柄だった。
「葉月ちゃんだとすぐわかったよ」
そう言って、10年ぶりに会う私と、亜希に笑いかけた。私たちは成人の運転で、彼の家に向かった。私と亜紀は、成人の家で泊めてもらうことになっていた。
成人の家では、千代と、成人の妻の久恵が迎えてくれた。私は、仏壇に手を合わせた。隆雄は、私が小学校6年生の時に、糖尿病からの腎障害で亡くなっていた。少しゆっくりしてから、私たちは、お墓参りをした。墓前に手を合わせながら私は、
(おじいちゃん、ごめん。私、きちんと生きるから)
と、胸に誓った。
次の日から、私と亜紀は、ダイビングスクールに行った。講習を終えて帰ってきたら久恵が、
「二人でシャワーを浴びたら?」
と、さらりと言った。
(二人で?)
私は、どぎまぎした。
亜希はごく自然に服を脱いで、シャワーを浴び始めた。浴室で、亜希に悟られないようにしながら、彼女の胸に目をやった。小ぶりだが、きれいな形の乳房だった。体が火照るのを感じた。体が火照った。胸が熱く、そして痛くなった。息ができないくらいに、胸が熱くて苦しかった。
シャワーを浴びて、浴室を出てきた私を
「葉月ちゃん!」
と、言って誰かが、強く抱きしめた。
「ごめんやで。ごめんやで」
その人は、私を抱きしめたまま泣き出した。それは江美子だった。10年ぶりに会う江美子だった。私は言葉に詰まった。
「会いたかってん。会いたかってん」
江美子は私を抱きしめたまま、泣いていた。私の瞳からも涙がこぼれた。私も江美子を抱きしめた。亜希は私の背中を優しくさすってくれていた。
江美子は成人から、私が石垣島に来ることを聞き、仕事を休んで石垣島に飛んで来たのだと言った。
「今、どこにいるの?」
私は聞いた。
「豊岡や。兵庫県の。」
江美子は答えた。
「何の仕事?」
「パチンコ屋や。パチンコ屋で働いているねん」
「山下さんも一緒に?」
私は、聞いた。。江美子は、少し沈黙した後で答えた。
「山下さんとは、別れてん。今は、別の人と暮らしているねん」
「山下さんと別れるんやったら、なんで孝也と私を捨てたん?」
私は聞いた。意地悪な質問だったかもしれない。でも、私は、江美子を責めたかった。
「ごめんなあ。お母さん、ずっと自分を責めていたんやんか。葉月ちゃんや孝ちゃん達に辛い思いさせたって・・・」
江美子は、また泣いた。そして、言った。
「お母さん、あんたらを引き取りたいって、頑張ってん。でも、お父さんに『これからの子育てには、経済力が必要や』って言われて、お母さんじゃあ、大学にも行かせてあげられへんなって思ってあきらめてん。辛かった。淋しかった」
江美子と別れた、あの日の事を思い出した。江美子は、連絡先を渡してくれて、次の日に豊岡へと帰って行った。
私と亜希は1週間石垣島にいた。ダイビングスクールがない時は、成人が、色々なところに連れて行ってくれた。彼の畑で獲れたサトウキビをしがむと、幼い頃の記憶がよみがえってきた。一週間石垣島にいて、私と亜希は、京都に帰った。
空港まで送ってくれた成人は、私と亜希に、彼の畑でとれた島バナナを持たせてくれた。石垣島の海の美しさを亜希と共有できて、幸せだった。二人で時を過ごせて、幸せだった。江美子と再会した事には、戸惑いもあったが、やはり嬉しかった。
石垣島から帰ったある日、私達は亜希の部屋で、一緒にレポートを書いていた。突然、亜希は、ベッドに横たわり、
「葉月、おいでよ」
と、私を誘った。鼓動が早くなった。顔も火照っていたと思う。胸が苦しかった。でも何もできなかった。どうしていいかわからなかった。どうしろというのだろう?体が動かなかった。亜希の事が好きで、好きで、好き過ぎて、動く事ができなかった。
私はなんとか深呼吸をして、
「帰るわ」
と、亜希に言った。そして、テキストや筆記用具をカバンに投げ込むように入れて、駅までの道を走って帰った。通りすがりの人たちが、火照った顔を変に思わないかと、気が気ではなかった。その夜は、胸の熱さが苦しくて、眠ることができなかった。