統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol40
52 ホテルでの受付の仕事
資格を得て、私は日本語教師として働くために、就職活動をした。履歴書と職務経歴書を何校にも送った。でも、書類選考で落とされてしまう。応募したうちの3校くらいでは、模擬授業をさせてもらえた。でも、なかなか仕事にまでは、結び付かなかった。年齢と、経験の有無を問われるのだ。私はその時、45歳になっていた。決して若いとは言えない。経験もない。日本語教師の仕事を得るのは、至難の業だった。
「3年間はデイケアだけ!」
と、就労の許可をくれなかった、松河先生も、私が、無遅刻無欠席で日本語教師養成講座を修了した努力を評価してくれて、この頃には就労することを認めて、応援してくれるようになっていた。伯母も応援してくれていた。
なかなか、日本語教師の仕事を見つけられなかった私は、
(日本語教師になるのは諦めて、別の仕事を探したほうがいいのかな?)
と、思った。そして、ハローワークで、英語を使う仕事を検索した。いくつかの求人票の中からホテルの受付の仕事を見つけて、応募した。そして、面接を受けることになった。
社長との面接は、とても緊張した。お客様から実際に送られてきた英語のメールを日本語に直すようにと言われた。きちんと日本語で訳すと、
「合ってるなあ。まずは、試用期間から始めてみようか?」
と、社長は言った。
無事に面接にも通り、パートで、使用期間ではあったが、ようやく、仕事に就くことができた。一日5時間、週に3~4日の仕事だった。松河先生も、前川さんも、節子も、とても喜んでくれた。特に節子はとても喜んでくれた。
「お父さんが、葉月ちゃんを同志社に行かせてくれたからやで。お父さんに感謝しいや」
と言った。
私の働くホテルは、部屋数が5室の、小さなホテルだった。お客様の9割が外国人で、その内の8割が中国人だった。小さなホテルなので、時には、部屋の掃除やベッドメイキングもしなければならなかった。ベッドメイキングは、ちょっと大変だった。支配人からベッドメイキングのダメ出しをされることも、何度もあった。
大変なこともあったが、仕事は楽しかった。外国のお客様にサービスして、喜んでいただけるのは、とても嬉しかった。ホテルの近くのレストランや、英語で茶道の体験ができるところなど、色々なことを聞かれた。私は、仕事の空き時間に、ホテルのパソコンで、色々調べたり、京都のガイドブックを買って、色々と調べたりした。
仕事が終わった後は、達成感があった。働いてくれるスタッフを探していた社長に、海外から帰ってきたばかりの、ゆりかとちづるという、双子の姉妹を紹介した。二人は、「飛行船」で知り合った、私の友達の娘さんだった。有能で美人の二人を社長も、支配人も、とても気に入ってくれた。人間関係にも恵まれて、仕事にもやりがいを感じて、私は、順調に経験を積んでいった。