統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol36
47 まるいクリニックとの出逢い
次の診察で、私は主治医に、仕事をクビになったことを伝えた。すると、主治医は、
「暮島さんには悪いけど、僕、最初から、お仕事は無理なんじゃないかと思っていたのですよ」
と、さらりと言った。
(それなら、最初に言ってくれればいいのに・・・)
私の中に、主治医に対する、不信感が芽生えた。主治医は、
「お薬を増やして、様子をみましょう」
と、言った。
(私の気持ちを何もわかってくれていない・・・)
主治医の処方する薬に対しても、不信感が芽生えた。
(私の気持ちを何もわかろうとしないのに、薬だけを増やすだなんて!)
私は、主治医に言った。
「先生の出すお薬は、飲みたくありません」
重い沈黙が続いた後で、主治医は、顔をこわばらせて、
「お薬を飲みたくないって・・・どんな症状が出ても、僕は責任を持ちませんから」
と、きつい口調で言った。
主治医との信頼関係が崩れてしまっては、精神科の治療は、難しいと思う。精神科の治療に限ったものではないかも知れないが、治療の根幹の対話ができない。主治医とのコミュニケーションはとても重要だ。
私は、もうその主治医にかかりたくなかった。私は別の病院を探したいと思った。節子も私に同意してくれた。OA 基礎科で一緒だった友人が通院している、「まるいクリニック」に、私は予約の電話を入れた。
最初の受診には、節子も付き添ってくれた。診察をしてくれた医師は、松河先生という、女性の先生だった。松河先生は、まず私だけを診察室に呼び入れた。家族構成や、統合失調症を発症した経緯や、今の症状や、困っていることなどを丁寧に聞いてくれた。
次に伯母を診察室に呼び入れて、私と伯母の二人の話を聞いてくれた。伯母は、私が煙草を吸うこと、それをやめさせて欲しいということを松河先生に訴えた。「煙草をやめさせるために入院させてほしい」
とも訴えた。
「誰かに、煙草を吸えと命令されている?」
と、落ち着いた声で、松河先生は、私に聞いた。
「いいえ」
私は、答えた。
「そう。伯母さん、暮島さんが悪いんじゃないですよ。暮島さんの病気が、煙草を吸わせているんです」
と、松河先生は言った。
「病気がですか?でも・・・」
まだ話そうとする伯母を制し、
「暮島さん、デイケアを利用してみない?」
と、私に尋ねた。
「デイケアですか?」
私は、あまり気乗りしなかった。
「お二人が、互いに離れる時間を持つためにも、私はデイケアのお利用を勧めます」
と、松河先生は、言った。伯母と私はスタッフさんに案内してもらい、デイケアを見学した。そして、利用することを決めた。
まるいクリニックのデイケアには、絵画やお菓子作り、スポーツや書道、カラオケなどの色々なプログラムがあった。(今は、プログラムの内容は、私が行き始めた当時とは、多少変わっている)
特に、私が好きだったのは、アメリカ人のJohn先生が教えてくださる、英会話だった。John 先生はとても流暢な関西弁を話して、ゲームなども取り入れて、とても楽しいレッスンをして下さった。久しぶりに英語に触れることができて本当に楽しかった。昼食前には、ダイエット体操というプログラムもあり、私はそれにも積極的に参加した。
まるいクリニックのデイケアでは、一人一人に、担当のスタッフさんがつく。私の担当は、作業療法士の前川さんだった。この前川さんとの出逢いが、私にとっては本当に大きかった。伯母との関係や、就労の事についてなど、本当に色々と支えてもらった。最初の頃は、相談したいことがある時だけ、面談してもらっていたのだが、後に、毎週面談をしてもらうようになった。私の調子がいい時も悪い時も、前川さんは、私に寄り添ってくれた。一スタッフという域を越えて、アドバイスをしてくれたことに、本当に感謝している。感謝だけではなく、人として尊敬もしている。
デイケアに通うようになって、私は、きっぱりと、パチンコをやめた。私は日曜日以外、毎日プログラムに、積極的に参加した。心を開いて話せる友達も何人もできて、デイケアに行くのが楽しかった。自分自身に対する、自己肯定感が高まっていくのを感じた。
デイケアでは何人か、プライベートでも遊ぶ友達ができた。信子もそんな一人だった。彼女はまだ25歳だった。不登校から、統合失調症を発症して、投薬治療を別の病院で受けていた。主治医の勧めで、まるいクリニックのデイケアを利用していた。デイケアの4階で、一人でポツンと座っていた信子に、私が声を掛けたことが、仲良くなった始まりだった。
信子は、高校を中退した後で、通信制の高校に入学して、卒業していた。イラストを描くのが、趣味だった。お茶や、ご飯に行ったりして、彼女と楽しい時間を過ごした。彼女は、どこから見ても病気になんか見えなかった。私は、年の離れた妹ができたような気がして、信子をかわいがった。信子はその後、健常者と結婚して、薬を調整しながら、無事に元気な男の子を出産して、家事と育児を頑張っている。統合失調症になったからといって、終わりではないのだ。幸せに生きられるのだ。