許せなくてもいい。許せなくてもいい。(統合失調症の私のNPO法人設立奮闘記Vol26)
「許す力」 伊集院静さん著
充実していた週末
土曜日は桃栗さんでのSafe Space ほっこりのイベントでした。今回はミニライブはなしで、桃栗さんにあるレコードをかけて、珈琲を飲みながらみんなでおしゃべりしました。
参加者は私を入れて6人。その中の一人の方は、私がひとまち交流館の中の移民活動総合センターページにあげたサイトを見てきてくださいました。
とても温かないい方でした。新しい方も参加して下さって良かったです。
みなさんの心の安全基地になったのではないかと思います。
日曜日は、鴨川であった早朝気功へ。心と身体がすっきりしました。
それから私の家で友達とサンドイッチを食べてから、Kyoto Graphieへ。いろいろなイベント会場でやっている国際写真展です。まず二条城の会場の展示を見ました。
それからハ竹庵、誉田屋へ。どちらも写真展もだけど、建物が素敵でした。
そして、京都文化博物館へ。私は個人的にはこの会場の写真展が一番好きでした。
友達と家までおしゃべりしながら歩いて帰って、コーヒーを飲みながらまたおしゃべり。ほんとに女子ってよくしゃべります(笑)。
友達が帰ってからは、別の友達とひとまち交流館であった「月と地球」さん主催の発達障害の自助会に参加しました。
働くのにやりがいは必要か?
この自助会に参加するのは、今回で2回目でした。主宰のヨコミチマコト先生のファシリテーションが素晴らしくて、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。
参加者の方がいろいろとテーマを出して、そのテーマについて多数決を取って、多いテーマについてまずみんなで話し合いました。
それから、グループに分かれて、話し合いました。
私のグループでは「仕事のやりがい」について話し合いました。
これは一人の男性が提示されたテーマでした。
働くのにやりがいって必要ですよね。たしかに。
自分が誰かの役に立っているとう自己有用感もやりがいにつながるだろうし、自分の仕事を誰かに評価してもらうのもやりがいになるでしょう。
自分がスキルアップしていると感じられるのもやりがいになるでしょう。
やりがいは必要な気がします。
でも私は、「そもそも仕事にやりがいをそんなに求めなくてもいいのではないか」と思ってしまいました。
「仕事は仕事って割り切って働けばいいのではないかな?」と思ってしまったからです。
みなさんはどう思われますか?
許さなくてもいい。許せなくてもいい。
土曜日に桃栗さんで、伊集院静さん著の「許す力」という本を借りてきました。桃栗さんは、「みん図書」というのをやられていて、置いてある本が借りられるのです。
この本、まだ途中までしか読んでいないけれど、いろいろなことを考えさせられるとてもいい本です。
みなさんは許せない人っていますか?
「あいつだけはどうしても許せない」と思う人がいませんか?
そしてそんな風に許せない自分を責めてしまう事はありませんか?
私はあります。
伊集院静さんの言葉です。
「どうしても忘れられない出来事がある。どうしても許すことができない自分がいる。呆然と立ち尽くしてしまう日もある。
人はみな、許せないことを抱え、迷いながら生きていく。
許さなくてもいい。許せなくてもいい。許せない自分を嫌いになる必要もない。
だが、許すことで始まる人生もある。そのことをあなたに伝えたい」
私が許せない人
私が許せない人たち。それは、生母と父でした。
生母は、私が生まれてすぐに育児ノイローゼで精神病院に入院しました。そのために私は、親戚や父の知人の家に転々と預けられて育ちました。
退院してからは、なかなかパチンコがやめられなかった生母。幼い私と弟は、母に連れられてパチンコ屋に行き、床に落ちている球を拾わされたりしました。
料理があまり好きではなかった生母。朝ご飯がインスタントラーメンという時もありました。通学途中で私はそれを吐いてしまったこともありました。
私が10歳の時に、父の会社の従業員だった男性と不倫した生母。それが原因で、生母と父は離婚しました。
大好きだった母方の祖父母と別れることがとても辛かったです。生母は、父の、祖父母のそして私と弟の人生を変えてしまいました。長い間そんな生母を許せずにいました。
父も私にとっては許せない人の一人でした。
なにかにつけて私に、「女らしくしろ!」ということを強要した父。私はそれがとても嫌でした。
また父は、意にそわないことを私が言ったりしたりすると、私に暴力をふるいました。
父と口論になって、「もうこんな家出ていく!」と私が言ったら、私に激しい暴力をふるいました。この時、私は頭を2針う怪我をしました。
私を支配し、コントロールしようとした父も許せませんでした。
許すことから始まった
そんな生母と父に私は手紙を書きました。「親への手紙」です。継母にも書きました。「親への手紙」を書くことは赤羽雄二さんが勧めてくださいました。赤羽雄二さんは、ゼロ秒思考とアクティブリスニングの提唱者であり、ベストセラー作家でもあります。
赤羽さんの勧めで、3人に宛て、計12000字くらい書きました。
手紙を書いたと言っても、その手紙は生母にも父にも、継母にも直接は渡していません。ただ私の胸の内にある3人への思いを、飾ることなく素直に書きました。
どんな言葉に傷ついたか?
どんなことをされて辛かったか?
本当はどんな言葉が欲しかったのか?
本当はどうしてほしかったのか?
そんな想いをただ素直に書きました。
手紙を書きながら、生母や父や継母の事を思い出しました。もちろん辛いこともたくさんありました。その思いは書きました。
でも手紙を書きながら出てきた3人への思いは、「感謝」でした。
あんなこともしてくれたなぁ。
こんな所にも連れて行ってくれたなぁ。
と感謝の気持ちが自然と湧いてきたのです。
「親への手紙」を書くことによって私は、生母と父と継母を許すことができました。
そして毒親からの卒業ができたのです。
そう、許すことから始まることができたのです。それは私を軽くしてくれました。重い荷物を取り払ってくれたのです。
伊集院静さんのおっしゃるように、許すことからはじまる人生もあるのだと思います。
だからといって、無理に許さなくてもいのだと思います。無理に許せなくてもいのだと思います。
自分の心と向き合う。そんな時間が必要なのではないでしょうか?
そして、誰かを許せないと苦しんでいる人がいたとしたら、そんな人に寄り添いたいと思いました。心の安全基地になりたいと思いました。
最後まで読んで下さって、愛がとうございました。