生きてゆく力がなくなる時

伯母にアクティブリスニング

水曜日は、カウンセリングを受けた後で、伯母の家に行ってきました。伯母はもうすぐ91歳。一人暮らしをしています。未婚で子供もいない伯母は、私が子供の頃から、娘のようにかわいがってくれました。今も娘のように、大事に思ってくれています。

離婚して、いったん東京で暮らした私。病気も今よりずっとひどくて、仕事もなかなか見つからなくて、精神的に追い込まれていました。息子たちに会えない淋しさや、将来への絶望から、自殺未遂をしたのも、東京で暮らしていた頃です。

そんな私に、
「おばちゃんのところで一緒に暮らしたらいいから、京都に帰っておいで」
と、伯母は言ってくれて、伯母の家で居候生活をさせてもらいました。居候生活は、一人暮らしをするまでの約10年間にも及びました。

その間、私は煙草は吸うわ、パチンコ依存になるわで、ずいぶん伯母に心配と迷惑をかけました。

伯母の過干渉が嫌で、名古屋に逃亡したこともあります。

そんな伯母と、今、とてもいい関係が築けるようになりました。私が一人暮らしをして、自分の居場所を持つことができたことと、距離ができたことがお互いの関係を良くしました。こんな事なら、もっと早く一人暮らしをすればよかったなあ…とも思います。

昨日は伯母の話をアクティブリスニングして、ポジティブフィードバックをいっぱいしました。

髪を切った伯母に、
「スッキリしたやん。似合ってるわ」
というと、伯母はすごく嬉しそうでした。伯母の話もアクティブリスニングをして、しっかり聞きました。とても嬉しそうな伯母。私も嬉しかったです。

「100歳までは、絶対に元気でいる」
と言っている伯母ですが、いつ何があるかわかりません。これからも、伯母の話をしっかりアクティブリスニングして、私がやれることをやれる範囲でではありますが、伯母が少しでも笑顔でいてくれるように接していきたいです。

アクティブリスニングって、本当に魔法の杖のようなものですね。


生きてゆく力がなくなる時

東京にいた時に、自殺未遂をしたということを先ほど書きました。「死にたい」というより、「もう無理」「この現実から逃げたい」という思いでした。それくらいに辛くて、孤独でした。苦しかったです。

私のブログを読んで下さっている方の中にも、「死」を考えたことがある人がいるかもしれません。お釈迦さまは、「人生は苦だ」とおっしゃっていますが、時にその「苦」は私たちを押しつぶしてしまうほどに辛いものであることもあります。

私の次男は、修行僧なのですが、彼が、鎌倉の円覚寺の横田南嶺老師の法話の動画を見ることを勧めてくれました。YouTubeの動画です。以来、朝と晩と横田南嶺老師の法話を一つずつ聞いています。とても心に響く法話です。

その中の「生きてゆく力がなくなる時」という法話は、特に胸を打ちました。

まず、タイトルが心に刺さりました。「生きてゆく力がなくなる時」そんな時が私にもあったからです。

そして、このタイトルが、仏教詩人の坂村真民さんの詩、「生きてゆく力がなくなる時」からきていることがわかりました。


「生きてゆく力がなくなる時」 坂村真民

死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなる時がある
そんな時お寺を訪ね
わたしはひとり
仏陀の前に坐ってくる
力わき明日を思う心が出てくるまで坐ってくる

詩はまだ続くのかもしれません。坂村真民さんの詩にあるように、「生きてゆく力がなくなる時」は、きっと誰にでもあるのではないでしょうか?

そんな自分に再び力を与えてくれるものであったり、人であったりがあったりいたりしてくれることが、本当に大切だと思います。坂村真民さんにとってはそれが仏様だったのです。

ある人にとっては、ペットだったり、いきつけのカフェであったり、本であったり、どんな自分でも受け入れてくれる大切な友達であったりすのでしょう。

そんなモノや人の存在があれば、また私たちは、明日へ向かって一歩踏み出せるのです。


生きている、その事にこそ意味がある

生きていたら、本当に色々なことがあります。辛い別れを経験することもあります。理不尽なことに心を痛めることもあるでしょう。

「生きていることに意味を見いだせない」
と思うこともあるかもしれません。

でも、生きる意味を見いだすことも大切かも知れませんが、それが見いだせなくても、とにかく生きること、その事にこそ意味があるのではないでしょうか?価値があるのではないでしょうか?

・辛くて苦しいことに押しつぶされそうになっても、とにかく生きる、生ききる。
・怒りに、心が震えても、「自分は怒っているのだ」と、その感情にラベリングして、とにかく生きる、生ききる。
・悲しみに打ちひしがれそうな時は、「なぜ、自分は、こんなに悲しいのだろう?」と自分を見つめて、とにかく生きる、生ききる。

どんな自分であっても、それが自分が自分自身の親友になる。そして生きる、生ききる。その事こそが大切だと思うので自分自身の親友になる。そして生きる、生ききる。その事こそが大切だと思うのです。

「仏教『超』入門」の中で、白取春彦さんは、こう書いておられます。

「生まれた以上、生きなければならない。自分が生きることは人を生かすことだ。それ以上の尊い贈り物はないだろう」

私が綴ったブログが、「生きてゆく力」がなくなりそうになっている人に届いたとしたら、とても嬉しいです。

生きてゆきましょう。
今ある悲しみ、辛さ、苦しみは、いつまでもは続かないから。
きっと、光は差すはずだから。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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