統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol38

49 日本語教師養成講座

大智と亮純に会って、楽しい時間を過ごしたことを松河先生も、前川さんも喜んでくれた。体調もあまり崩れなかった。精神状態も安定していたのだが、松河先生は、なかなか就労の許可を出してくれなかった。
「3年間は、デイケアに通うことだけを考えて」
と、私に言っていた。デイケアに通い始めて2年半が過ぎていた。私は少しだが、焦っていた。
 
デイケア以外に、私は、「飛行船」という国際交流のサークルにも入った。そこでもたくさんの友達ができた。飛行船の例会に参加するため、蹴上にある国際交流会館によく行った。そこで、私は、日本語教師要請講座のパンフレットを見つけた。
(好きな英語を活かせるかも知れない)
と、思った。そのパンフレットの学校は、大阪だった。家に帰ってからネットで調べて、京都市内で、授業料が、一番安い学校を見つけた。それでも、入学金や教材費などを合わせると、50万円を超えた。かなりの額を納めないといけない。伯母は、日本語教師養成講座を受講することに反対した。松河先生も反対した。
「日本語教師養成講座を卒業したからといって、暮島さんが、日本語教師の仕事ができるとは思えない」
と、松河先生は言った。私は先生に、
「どうしてもやりたいのです。先生が反対しても、私はやります。私の人生ですから」
と、言った。
「そこまで言うなら、勝手にすれば!でも、私が反対したということは、覚えておいてね!」
と、言って、渋々承諾してくれた。伯母にも同じことを言って、説得した。

こうして私は、6か月間の、日本語教師養成講座に通い始めた。
授業は難しかったが、学ぶというのは楽しかった。同期生は、若い人ばかりだったが、いい人達だった。皆で、同じ目標に向かって、頑張るのは楽しかった。授業は座学と、実習があった。座学では、日本語の文法のルールなど、色々なことを学んだ。とても難しかった。実習では、外国人の生徒さんにも日本語の文法のルールが理解してもらえるように、事前に準備して、模擬授業をする。色々と教材を準備しなければならなくて大変だった。その準備が深夜まで及ぶこともあり、睡眠が十分に取れずにかなり大変だった。体調が崩れないかと心配だったが、大丈夫だった。

授業の準備はかなり大変だったが、私は、無遅刻無欠席で、無事に6か月で講座を修了することができた。2014年9月の事だった。
 
受講に反対していた、松河先生も、伯母も、
「よく頑張った!」
と、修了を喜んでくれた。一つの事をやり遂げたという達成感を私は感じた。それは今までに感じたことのない喜びだった。


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