「認められたい」の奥にあるもの

承認欲求の奥にあるもの

承認欲求のない人ってないと思います。私もあります。「人に認められたい!」「褒められたい!」と思っています。私の承認欲求は、とても強いといってもいいかもしれません。

「なぜ、私は承認欲求が強いのだろう?」
「なぜ、人に認められたり、褒められたりしたいのだろう?」
と考えてみました。そして、その奥にあるものに気づきました。

それは、父や二人の母との関わりが起因しているのだと思い当たりました。

父も二人の母も、私を愛してくれました。でも、それは、「条件付きの愛」でした。父や二人の母の意に沿う必要があったのです。

父は、私が父の意に沿わないことを行ったり、したりすると、私に暴力をふるいました。

私は、アメリカの大学に行きたかったのですが、その事を告げると殴られました。

アメリカの大学に行けないのなら、鍼灸を学ぶ学校に行きたいとも言ったのですが、そのときも殴られました。

二人の母も、私を愛してはくれましたが、「ありのままの私」を愛してはくれませんでした。

そのような環境で育った私は、大学4回生のときに、僧侶である元夫と結婚しました。元夫は優しくて、家庭的でいい人でしたが、お姑さんとの関係には、ずいぶん苦労しました。お姑さんもまた、「ありのままの私」を認めてはくれなかったのです。

やりたいことを暴力や言葉で押さえつけられて、「ありのままの私」を愛してもらえず、認めてもらえなかった。その頃の私の寂しさと、哀しさが、必要以上の承認欲求となって表れているのだと思います。

「あなたはそのままでいいんだよ」
「そのままのあなたを愛しているよ」
という言葉をかけてもらえていたら…私はもっとラクに生きてこられたと思います。

淋しさ、哀しみ、わかってもらえない事へのいら立ち、そんな思いが、「認められたい」の奥にあったのです。


視点を変える

今日は、野口塾の日でした。野口塾は、元日通で働いておられて、グリットコンサルティング合同会社の代表の、野口雄志さんがやっておられる勉強会です。月に一度やられているこの野口塾に、ほぼ毎月、Zoomで参加しています。

毎回、野口さんが2つテーマを出して下さって、それについての自分の考えをシェアして、質問やフィードバックをもらいます。

今日の1つ目の、テーマは、「視点を変える」。

これ、すごく大切だと思います。ものごとはいろいろな角度から、色々な視点から見てみたら、一方向から、1つの視点から見ていたのとは違う様相を示すことがよくあります。気づきもたくさんあります。

私は約20年前に、統合失調症を発症しました。健常者の時には持てなかった、精神障害者という視点を持つことになりました。その視点を持った私が思うことは、今の日本の医療のおかしさ、脆さです。薬に頼りすぎる医療の現状がおかしいし、危険だし、脆いと思うのです。

そして、ほかに思うことは、「精神障害があるからといって、終わりではない。それは個性の一部のようなもので、自分にできるチャレンジをしてくことが大切」ということです。そう思って、私は、チャレンジしてきたし、これからもしていきます。

「違う視点」を持つために大切なものは、「想像力」と「聞く力」だと思います。相手の気持ちを想像すること。相手の話を徹底的に聞くこと。それらが大切だと思うのです。


「充実心」を持つこと

2つ目のテーマは「『充実心』を持つこと」。

これも、本当に大切だと思います。「充実心」は、「ワクワクする気持ち」と言いかえてもいいです。

私は、私のカウンセラーの上倉妙さんと共同で、「違いを認め合える会」Crossroadsを主宰しています。そして、私が主宰者となって、「心の安全基地づくり」のSafe Spaceほっこりという会の活動も始めました。

これらの会をするときに、私自身が「充実心」を持っているか?「ワクワク」しているか?ということが重要だと思っています。「私自身が楽しんでいるか?」それが大切なのです。

私がワクワクしていなかったり、楽しんでいなかったら、参加者の方も楽しくないはずです。

明日も、Crossroadsのイベントをします。来週の土曜日には、Safe Spaceほっこりのイベントをします。まずは、私自身が、ワクワクする。楽しむ。そうすることで、参加者の方も楽しんで下さるように、頑張りたいです。


原則、「貢献」を中心に生きる

「7つの習慣」を読まれた方なら理解しやすいと思うのですが、人は、原則を中心に生きる必要があります。

私の原則は、「貢献」です。「人のために自分は何ができるか?」「人に喜んでもらうために、今何をするべきか?」ということを常に意識しています。

稲森和夫さんがおっしゃっている、「利他の心」です。

もちろん自分がつぶれてしまうほどになってはいけません。それは貢献ではなく、自己犠牲です。

「自分を犠牲になるのではなく、人のために自分にやれることをやれる範囲で、でも一生懸命する。それが誰かの役に立つ」ということが貢献だと、私は捉えています。

原則「貢献」を中心に生きるようになって、どう変わったか?まず、ブレなくなりました。そして、自分のやるべきことが見えてきました。迷いがなくなったのです。


ブログを書くことで貢献していきたい

こうしてブログを書き始めてから、92週が過ぎました。こんなに続けることができるとは、自分でも思っていませんでした。読んで下さる方があってのこと。本当に感謝しています。

時々、コメントを頂いたりもします。その中には、私と同じように、統合失調症を抱えておられたり、違う心の病を抱えておられる方もおられます。

そんな方達が、私のブログを読んで下さっていることを、すごく嬉しく思うし、励みに思います。「苦しいのは、自分一人ではないのだな」と思ってもらえたら、すごく嬉しいです。

私が思ったこと、感じたことを綴っているブログですが、その私のブログが、少しでも誰かの心を温かくすることができているとしたら、それは本当に嬉しいことです。

私にしか綴れないことを、私自身の言葉で。これからも、私は書いていきます。

それが誰かのためになるということを信じて。
誰かに貢献できているということを信じて。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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