統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol61
今まで、私の半生を主に振り返ってきたが、ここからは、タイトルにもしているように、統合失調症の当事者として私が、統合失調症や精神疾患を抱えていたり、病気とは診断されていないけど、生きづらさを抱えている人に伝えたい5つのことを中心に書いていきたい。
1つ目は、統合失調症という病気を正しく理解してもらうためにも、当事者自身が発言することが大切だ、ということだ。
統合失調症は、約100人に一人がかかる病気で、けっして珍しい病気ではないのだ。国内の統合失調症の患者数は、約80万人で、アルツハイマー患者数よりも多いのだ。
これだけ多くの患者数であるにもかかわらず、統合失調症の当事者も、家族もなかなか病気の事を自己開示できずにいる。差別や偏見が怖いからだ。自己開示できないから、わかってもらえない。わかってもらえないから、自己開示できない。このループを抜け出すには、統合失調症の当事者が、怖さを乗り越えて、発信することが必要だと、私は思う。
私は、昨年、介護職員初任者研修を受講した、その研修の最後の授業で、みんなの前で、1分間スピーチをする機会があった。少し躊躇したが、私は、自分が統合失調症であること、精神障害を抱えてはいるが、働いて自立したいと思って、この研修を受講したのだということを話した。みんな真剣に聞いてくれた。うなずきながら聞いてくれる人もいた。
「自己開示したら、意外とみんな受け入れてくれるのだ」
と思った。
統合失調症を始め、精神障害を抱えている者が自己開示するのを難しくしているのは何なのだろう?障壁となっているものは何なのだろう?
『妻はサバイバー』の中で、著者の永田豊隆さんはこう書いている。
「身体障碍者にとっての障壁が例えば段差だとすると、精神障碍者にとっての障壁とは何だろう。それは社会の偏見であり、差別感情だと私は思う。段差と違って目に見えないが、強固だ」
また、こうも書いている。
「症状をケアする苦労だけではない。社会の無理解が、当事者や家族に希望を失わせるのだ」
精神障碍者や、統合失調症患者に対する、差別・偏見・無理解は、残念ながら、社会にまだ根強くある。それをなくしていくためには、当事者や家族が、怖さを乗り越えて、声をあげることが必要なのだ。私は、声をあげていきたいと思う。
私は病気になってしまったのではない。病を得たのだ。私にしかできないこと、伝えられること、伝えていかなければならないことが、きっとあるはずだ。