(BL小説)旅の終着 第三話

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 出逢ってから約半年後。それは詠心は輝信に与えられ続けた食事のお陰で標準的な体重に戻り、書の写しを譲られて知識も増えた頃の事である。
「あんた、俺のものにならないか?」
 唐突に輝信はそう言った。詠心の身なりを指摘した次の言葉だった。この男もか……詠心は輝信に寄り添おうとした気持ちが一気に冷めるのを感じる。そして無礼にも一気に嫌悪感を露わにして答えた。
「私如きの賤しい者は貴方様には似合いませぬ。ましてや跡継ぎも産めない男に御座います」
「衆道なんさ珍しくもないだろ。俺はあんたを一度抱いてみたい」
「私は貴方様が想いを寄せる白勢頼隆様では御座いません。どうか目を醒ましてくださいませ」
「あんたを頼隆と重ねたつもりは無いが」
 詠心が冷たく断っても輝信はなおも食い下がってくる。じりじりと少しずつ後ずさりながら警戒しながら輝信を見た。輝信は詠心を餌を前にした獣のような目で見つめながらも、距離を詰めてはこない。
「なあ詠心、考えるだけでも――」
「どうか御容赦を」
 詠心は座ったまま頭を低く低く下げた。輝信に恩はあるが、男に抱かれるなどどうしても耐えられない事だった。別に男が嫌いなわけでも、触られる事自体が嫌だったわけでもない。けれど性愛の対象に見られるのは食べたものが喉まで逆流してくるような、吐き気を催す気持ち悪さがある。
「今日はもう下がっていい。この話はまた今度だな」
 諦めたように輝信にそう言われ、詠心はほっと胸を撫で下ろした。

 その翌日も、翌々日も、詠心は輝信に呼び出された。詠心としてはもう呼び出しに応じたくはなかったが、遣いの家臣は毎日何度も詠心に頭を下げるので断るに断れず、渋々輝信のいる屋敷に向かうのだ。
――詠心、俺の妻にならないか?
――俺はあんたに惚れたんだ。
――詠心が好きだ。頼隆とは重ねてない。お前さんだけを見ているんだ。
――俺は本気だ。
 毎度毎度、輝信は飽きる事無く詠心を口説き続ける。何度断ってもあの手この手で詠心を誘い続けた。しかし、本音は分からないが輝信は決して詠心を脅したり、力ずくで手に入れようとはしなかった。詠心の酷い身なりを強引に変えようともしない。本当に愛されているのだろう。ありのままの詠心を強く欲していた。だからこそ、詠心は自分の笛の音を楽しみにする輝信を無下にはできなかったのだ。
「今日は泊まっていかないか? これから天気も崩れる。帰るのは止した方がいい」
「いいえ、帰ります」
 詠心が断って頭を下げたところで、薄暗い部屋は一瞬ピカッと光り、続いてゴロゴロゴロゴロと音が鳴った。
「言ったそばから来やがった」
「そのようですね」
「怖くないのか?」
「自然が怖くて旅はできますでしょうか」
「そうか……強かだな」
 輝信はわかりやすく肩を落とす。だが帰すつもりはないらしい。家臣を呼んで着替えを用意させた。詠心は帰りたい気持ちでいっぱいだったが、この天気の下を長時間も馬を走らせるのは馬も見送りの家臣も気の毒だ。川を越えるのも危ない。本当は嫌だが仕方無くここで一夜を過ごす事にした。

 湯浴みを済ませてから、輝信と詠心の無言の攻防が続いている。輝信は詠心が床につくのを待ち、詠心は眠らず部屋の出入り口付近で夜明けを待とうとしているのである。四半刻ほど続いた沈黙を破ったのは輝信の方だった。
「……まだ寝ないのか?」
「寝込みを襲われては堪りませんから」
「俺がそんな事をする男に見えるってえのか?」
 その言葉に詠心は頷く。実のところ、詠心は今の輝信を全くと言っていい程信用していなかった。下々の民の分際で口に出すのは図々しいがせめて別室で……否、離れているのならそこらの渡り廊下の方がよっぽどよかった。だが当然そんな事は許されず、輝信の部屋に居るのである。
「俺は寝ているところを襲うような卑怯な真似はしねえ。それだけは信じろ」
「眠るまでは分からないでしょう」
「そりゃあそうだ。好いた奴と一晩共に過ごすんだ。できる事なら今すぐ抱きたい」
 悪びれもせず、真面目な顔で輝信は言った。それを聞いた詠心のその背中はぞわりと粟立つ。なんとも正直な男だと思った。だがニヤニヤと笑って「何もせんよ」と見え透いた嘘を吐く輩より幾らかはマシだろう。
「私は貴方様に抱かれる気も、ここで眠るつもりもありませぬ。ですからどうか私に構わずお休みになってくださいませ」
「俺はお前さんが寝るまで寝ないつもりだ」
 人二人分程度の距離を保ったまま同じような会話を何往復か繰り返し、それに飽いたのか、再び部屋に静寂が訪れた。輝信は無言で詠心を見つめ続け、詠心は輝信から目を逸らすように窓の外を見ていた。
 翌朝世話をしに来た家臣が、二人して黙って座ったままの姿勢と目の下の隈を見て首を傾げたのだった。

第四話は明日、7月11日午後公開予定です


原作はこちら

『非天の華』著 : 葛城 惶


原作…葛城 惶さま(@1962nekomata)

表紙…松本コウさま(@oyakoukoudesu1)