(BL小説)笛の音の邂逅 最終話

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 それから更に十日後、何の前触れも無く詠心と名乗る男が輝信の住む城に訪れた。だが体格や継ぎ接ぎだらけの小袖は同じであるものの、輝信を始めとする城の者が知る姿の詠心ではない。髪は長さを揃えて一つに括られ、口元を覆っていた筈の無精髭は見る影も無い。最後に会った詠心よりも十程度若く見える小綺麗な男であった。さらりとした艶のある黒髪、普段はきりっとした目尻は笑っているので少し下がっている。優しげな瞳、健康的で白く滑らかな肌に柔和な笑み、ふと感じる儚い雰囲気は病弱を自称しているからだろうか。穏やかながらもれっきとした男顔だが、この顔ならば女どころか男すらも落とせるだろう。
「お前……本当に詠心か?」
 輝信の後ろに控えた家臣の一人がそう問うた。最も長く共に居た輝信には成り代わりや人違いでない事くらいひと目で見抜いたが、偶にしか顔を合わせない者には分からないらしい。
「はい。証拠ならば今からお見せしましょう」
 そう言って男は龍笛を構え、その場で輝信が最も良く聴いていた『白勢の鬼神』を奏でてみせた。勿論、今までと全く変わらぬ音色である。
「如何でしょうか?」
 詠心は澄ました顔でそう聞いた。戻ってきたという安堵の次は勝手にいなくなった怒りがふつふつと沸いてくる。
「いつ聴いても最高やなあ、詠心。それよりも今は断りも無く急に居なくなった事への弁明をしてもろうて良いか? あんた、この約一ヶ月間何処で何をしていた? そしてその格好は何だ?」
「七瀬の海を見て参りました。」 
 詠心は鋭い視線に臆する事無く、輝信を見上げてそう告げた。
「何も告げすに都を出た事はどうかお許しください。私は白勢頼隆様……『白勢の鬼神』ではなく、貴方様の曲を奏でたいと思い、七瀬の港で海の音を聴いておりました。」
「ほう、俺の曲とやらは完成したのか?」
「はい。この場で吹いても宜しいでしょうか?」
 輝信は少し考えてから自分の部屋に詠心を通し、家臣を下がらせた。どうせ城中に響くのだろうが、演奏する姿くらいは独り占めしたい。
「では、失礼致します」
 詠心は座礼をして龍笛を構える。歌口に息を吹き込み、細い指を動かせば朗らかな海の男の曲が奏でられる。詠心の中の輝信は大きな腕や声で強引に包み込む男なのだろう。途中で曲調が変わり、荒海のように激しく波打つようなところはあの時の赤鬼を連想したのか。今までに奏でた中で最も長く、様々な雰囲気を組み合わせた多彩な音色の曲であった。そのどれもが輝信の一面を表しているのだと思うとじんと胸が熱くなる。
 やがて曲が終わり、詠心は再び畳に手をついて一礼した。
「以上で御座います」
「悪くないな。いや、今まで聴いた中で最高だ」
 お世辞ではない。詠心が自分の曲を作り奏でてくれただけでも嬉しいが、その曲の出来栄えは今までよりも素晴らしいものだった。詠心はほっとした表情で礼を述べる。
「勿体無いお言葉で御座います」
「やっぱり俺はあんたが欲しい」
 輝信は今まで以上に真剣に言った。何処かではなくて、自分の腕の中に居てほしい。他の誰かではなく、自分の為に奏でてほしい。詠心が姿を消してからより一層その気持ちは強くなっていた。でも無理矢理奪いたくはない。詠心に選んでほしいのだ。今までは求めれば得られた。簡単に手に入らないものは奪えば良いと思っていた。一度簡単に引こうが、常にモノにする機会を狙っていた。だが、初めて人に……詠心に自分を選んでほしいと思ったのだ。
 今度は詠心は目を逸らさなかった。姿勢を正したままじっと輝信を見て言う。
「私は白勢様の代わりにはなれませぬ」
「前も言ったがあんたと頼隆は違う。俺は詠心が欲しいと言ったんだ」
「私は耕す田も帰る家も持たぬ放浪者です」
「此処に住めば良いだろう」
「貴方様とは不釣り合いの身分で御座います」
「本当にそうか?」
 そう問われ、詠心は太腿の辺りの布をぐっと握りしめた。
「私は……笛で日銭を稼ぐ流れ者で御座います。」
「てっきりどこぞの国の妾の子だと思ったんだが、外れか。まあどの道正妻にはしてやれんのがな」
 詠心の肩が分かりやすく跳ねる。
―出生は聞かれとうないと言う事か―
 輝信が詠心の生い立ちを聞いたのは詠心が戻る前日だ。
『前帝と、前帝に見初められて宮中に居た笛の名手の女との間には、一人の子ができていた。それが詠心である』
 それはまだ真偽ははっきりしていないが、詠心を探しているうちに得た情報だった。詠心の反応を見るに真実だったのだろう。しかし詠心が口で否定したのならば何も言う必要は無い。輝信は明後日を向いて嘘には気づかぬ振りをした。
「で? 他に俺を拒む理由は?」
「ありませぬ……」
「無いならばこのままあんたを俺の女にするぞ?」
 その言葉と共に輝信が詠心に向かって伸ばした。詠心が輝信を拒む為の口実は先程のやり取りで尽く潰した。後は詠心の本音だけだ。輝信が伸ばした右手は、返事の代わりに詠心の白い両手でで包まれる。輝信が「詠心」と名を呼ぶと「はい」という返事が少し照れたような、優しい微笑みとともに返ってきた。



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『非天の華』著 : 葛城 惶


原作…葛城 惶さま(@1962nekomata)

表紙…松本コウさま(@oyakoukoudesu1)