梨さんの依談『がきじろ』と『ごきずれ』について考えてみた
今回は『SCP-536-JP-がきじろ』とtale『ごきずれ』について考察していきます。
素晴らしい先人たちが、すでにいくつも考察してるので、それを参考にしつつ。
自分の頭の中で構築された妄想、厭な想像を共有できたらな、と考えてます。
▣『がきじろ』
自分用に、脳内整理を兼ねて内容を振り返り。
気になった点なども書いていきます。
◎SCP-536-JPの概要
・オブジェクトクラス: Safe
・1992年6月に宮崎県児湯郡の古書市にて売りに出されていた日記帳。
・無地の厚紙による装丁がなされた右綴じの日記帳で、表紙には黒色の油性マジックインキで「いた」と書かれている。
表紙及び中のページの紙質等に異常は見られない。
・これを買い取った人物が軽度の記憶障害を訴え、病院受診したことで財団に発見される。
◎主な異常性
・この日記帳の特定のページを読んだとき、そこに書かれてある内容を長期的に記憶する事が不可能になる。
→財団チームは、SCP-536-JPの一部が反ミーム的侵襲を発生させる異常性を有している可能性を示唆。
・日記帳は、昭和51(1976)年6月15日から同年8月17日までが記録されている。
異常性を有しているページは6月21日、7月19日、8月5日、8月17日である。
◎日記の内容について
・古書市の記録により、日記を書いた人物が宮崎県児湯郡西米良村に住む「穏坊」家の成員である事が特定された。
・日記には「穏坊家の家族や親類に起こった不幸な出来事」が書かれている。
書き手による感想などは挟まれず、起きた出来事だけを淡々と書き連ねている。
・日記帳を購入した人のカウンセリング記録によると、“不幸の内容はささいなものが多かったが、毎日欠かさず書き込まれている“と証言されており、異様さが窺える。
また、たまに救急が来るような事態も起こっていたという。
・記憶できなくなるページには、「奇怪」「不気味な」「現実に起こりそうもない」出来事が書かれている模様。
◎日記の抜粋を時系列にメモ
・昭和51(1976)年6月15日から8月17日までの記録。
→書き手は誰なのか明記されていないが、写真の年長の方の成人男性か?
〈気になった部分メモ〉
・6月29日にタエが、上がり框に頭をぶつけたのって『ごきずれ』のこの描写と合致してる……?↓
ということは、『ごきずれ』の家屋は穏坊家っぽいですね……
・8月11日 に信雄が遭ったという「フケジロ= 外精霊(ふけじょうろう)」。
九州各地においては“無縁仏“を意味する
が、宮崎県では“盆にやって来る餓鬼の霊“を指す。
・貼付されている家族写真は、8月16日に撮影されたということでいいのか?
(当時、そんなにすぐ現像できるのか、わからんが……)
→左目が他の人と違う(おそらく怪我をした?和子と明美か?)人物がいるので、この日記の最後あたりに撮られたものとして考察する。
◎参与観察について
・調査期間: 1992/06/25 - 1992/07/16
・日記帳の書き手が属していた「穏坊家」の人々は、全員何らかの理由で死亡或いは失踪していることが判明。
(住んでいた家屋は空き家として存在)
・穏坊家があった宮崎県児湯郡西米良村にて近隣住民への参与観察。
〈記録内容〉
・この村には、「餓鬼」に纏わる信仰が色濃く残っている。
「嘗て飢饉や凶作が多く発生した地域にはこのような伝承が多く残る」らしい。
→つまり、この村はかつて飢饉が多い地域だったということ?
・この村の一部地域では、他ではあまり見聞きしたことの無い、餓鬼供養の風習があった。
→いわゆる【施餓鬼(せがき)】のことだと思われる。
・また、餓鬼にも種類があり……
→……と、作中では説明されているが、ネットで調べてみても「人の涙を食べる餓鬼」という記述は見つけられない。
「少財餓鬼」は膿や血、人間の糞尿や嘔吐物、屍など、不浄な物しか食べることを許されていない、とされている。
→日記帳の中で穏坊家の人たちが毎日、怪我や不幸に見舞われていたのは、餓鬼供養の“施し“のためか?
・村人によると、餓鬼供養の風習は現在は廃れているとのこと。
・調査員たちは、日記の記述や穏坊家の名前を出した時の村人たちの反応を見るに、何か違和感を感じたようだ。
・三週間の参与観察の結果、未発見の異常物品等は確認されなかった。
→……が、参与観察を行った3名の財団職員が、調査期間終了に伴う帰還後に軽い精神の不調を訴えた。のちに快復。
▣『ごきずれ』
◎taleの内容
・ざっくり言うと、“語り手の「自分の家」の記憶についての話“である。
また、記憶の中に何故か出てくる“見知らぬ女の子“についても言及。
遠い記憶を手繰り寄せながら思い出し思い出し語っていく。
・梨さんの情景描写が細かく秀逸で、想像したくないものまで鮮明に想像できてしまう厭さ😖
〈家の様子〉
・電気も点かず、昼であっても何処か薄暗い。
・雨漏りによって天井は腐り、いつも家の中はじめじめと湿っている。
・掃除や整理整頓はなされず、不潔。
・色んな臭いが漂っており、くさい。
・寝たきりの弟、かつての元気な弟を思い出しては泣く母親、いつも仏間で泣き暮らす祖母。とても辛気臭い。
〈見知らぬ女の子との記憶〉
・四畳程度の和室の中。
・夕方ぐらいなのか、電気は点いておらず、障子の向こうから僅かに赤い太陽光が照らしている。
・薄っぺらい布団だけが敷かれた、暗く殺風景な部屋には見知らぬ女の子が寝かされている。
・自分はその子のそばに、ただ座っている。
→はじめは、その子が何者なのか、どんな声なのか、何を会話したのかは全く思い出せず、理由のわからない恐怖心だけがこびりついていた。
しかし後半になるにつれて、だんだんと記憶が蘇る。
ずっと目を瞑っていた、5〜6歳くらいの女の子は、ゆっくり目を開くと、白く爛れた口を開けて「おまえもつれていこうか」と、言った。
→おそらく、この女の子は「餓鬼」。
「白く爛れた口」は免疫低下などで起こる口角炎(御器擦【ごきずれ】)のことか。タイトル回収。
◎ソースコードと文章構成
・今作のソースコードには、こちらの隠し文字がありました。
・梨さんの他作品の『攀縁』や『カンテサンス』に似たエッセンスを感じられるというか……
まあこれも「お憑かれさま」作品だと思います😇
・「家の玄関から入り中を巡る想像をして、その途中に知らない人がいたら、それは幽霊である。あなたには霊感がある」といった「霊感テスト」があるんですが……
これに近いことをさせられていると思います。
◉一 想起
・まず、冒頭で、読者に「家の中」を想像させています。
そして、その後に「宮崎県の山あいの小さな村」の家の「玄関の前に立ち」、その家の中を巡るかのように各部屋を説明していき……
家の中に見知らぬ人物がいる描写が来るんですよ……😬
◉二 共有
・そして再び「玄関の前に立ち」、「宮崎県の山あいの小さな村」の家の説明が入り、より鮮明になっていく記憶を「共有」していくことになります。
・「一 想起」で語り手の家の様子について説明してあるので、二度目に同様の文章が来た時、読者は「ここ、知ってる」となるのが上手い作りですよね〜
二度目では読者も「想起」……「以前あったことを思い出すこと」をしてるんですよ……。一度、読んでるから。
自分の家じゃないのに、自分の家のように詳しく知ってることになってる。
・「何も覚えてない語り手」と「何も知らない読者」という、やや近い立ち位置から、記憶の共有を経てふたつの存在を近づけようとしている……?
◉三 憑依
梨さんの『攀縁』を履修済みの方なら分かり易いかと思うんですが……
餓鬼の住む家の詳細な様子を「想起」し、“知らない女の子“のこともガッツリ認識してしまうことで「憑依」の下地が出来上がるんでしょう。
◆考察
あとは、本文を読んだりネットで調べたりした中で想像したことを述べていこうかと思います。
一個人の解釈であり、推測ばっかりなので、ほぼ妄想です。
色んな材料を全力でこじつけていきます。
※以下では、被差別身分についての話に触れますが、物語の題材として語っているだけで、当事者の方たちを貶める意味合いはないことを、ご承知おきください。
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※『がきじろ』と『ごきずれ』は同じ家、同じ家族を取り扱ったものとして考察をしていきます。
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◈穏坊家の成り立ちについて
『ごきずれ』本文に”青癩(おんぼ) のお堂”という見慣れない文字があったので調べてみた。
それらから連想したことを書き連ねていきます。
・ハンセン病患者を『青癩』と呼称してた高鍋藩はちょうど作品の舞台である宮崎県児湯郡。
・そんで『ごきずれ』の話者は”青癩(おんぼ) のお堂”に行って自宅に戻ってきたという描写なので、お盆の墓参り的なことをしてきたのか?
調べた中で見つけた記述によると、ハンセン病患者は遺骨を実家に引き取ってもらえないことが多く、療養所の納骨堂に収められるのが殆どだったらしい。
お堂=納骨堂?
・この村では【青癩=おんぼ=穏坊】ということかと推測。
青癩も穏坊も”死を取り扱うケガレの強い仕事”を任される被差別身分。
青癩だった先祖が「牢屋の管理、牢死者の遺体の処理」からの、そのまま「火葬と墓地の管理」も執り行って「おんぼ」と呼ばれて『穏坊』という苗字になったのではなかろうか。
◈穏坊家の村での立場
・今は家族に癩者はいないとしても、昔の時代は業病や遺伝病だと信じられていたため、青癩の子孫である穏坊家は昭和の終わり頃でも偏見により肩身が狭かったと推測できる。
・次に、こちらの文章。↓
→この『一部地域』というのが、語り手の住んでいた地域で、おそらく被差別民たちの居住区だと思われる。
(「私の家に親族以外が招かれることなど、殆どありませんでした」という文章から、同じく被差別民である親族以外の村人とは、ほぼ交流がないのだろう。)
「屋根を直してはいけない家」つまり「意図的に多湿で不潔にした家屋に住まわないといけない家」は、穏坊家の近隣に数軒ある記述があるけど、これは親類の家なんじゃないかな。
→嫌な想像ですけど。
これ、逆に”口減らしをするため”に餓鬼供養を口実に使ってた、とかないですかね?
・飢饉のときは村に罪人を養う余力なんてないから、餓鬼供養という名目で処刑をしていた可能性。
それを実行させられてたのが青癩なのでは……?
・「膿と涙を調達」ってつまり……痛い目に遭わせたり苦しめたりしているよね……?😰
ただでさえ飢饉で飢えてるのに?
酷い方法で命を奪って、亡者の怨みをかってそうだな……
・餓鬼供養って『御霊信仰』的な側面もあるようです。
口減らしの亡者に祟られて村に実害が出たなどして、穏坊家の人たちが餓鬼供養を任されることになったとか?
・ネットでサラッと調べた感じだと、1640年代以降から高鍋藩に「青癩」の記述がある。
そして九州地方の飢饉といえば「享保の大飢饉(1732年)」。
なので一応、時代は合うのかな。
◈『餓鬼』の定義
『餓鬼』って言葉、意味合いが混在してるんですよね。
→村に現れるのが、口減らし由来の餓鬼だとしたら、“民間信仰上の餓鬼“がしっくりきますね。
飢えや行き倒れ……無縁仏……まさにフケジロと呼ばれる存在。
・そういえば、『ごぎずれ』の家の描写によると、穏坊家の人々は異様に不潔で不快な場所に住むことを強いられてる感じがしましたよね。
先祖が【餓鬼供養という名の口減らし】で非道な行いをしたから、贖罪を兼ねて穏坊家のみんなは辛い目に遭わなければならなかったとか……?
というか、そういう名目で嫌な役目を押し付けられていそうだな〜
そもそも口減らしの実行役だって、立場が弱いからこそやらされていた汚れ仕事だろうに……
◈餓鬼供養の失敗
・日記帳に書かれていたのは、餓鬼供養の“施し“の記録だと推測できる。
盆の時期に毎日“施し“を与えることになっていたのではないか?
・しかし、8月16日の日記に貼付されていた家族写真に“餓鬼らしき目“が写っているのを発見し、餓鬼供養が失敗したと悟る。
「嘘をつかれる」と記されていたのは、(おそらく村人に)言われた通りに餓鬼供養をしたのに効果がなかったから、かと。
・財団の調査員が “村人に「穏坊」の話をしたときの反応“が、具体的にどのようなものだったのかを前後の文章から推測するに、「この村の餓鬼供養は今の時代にも残っている風習ではない」というのが嘘であったため、不自然な態度になったのではないか?
少なくとも穏坊家が餓鬼供養をしていた時(調査日から約16年前)は「口減らしの必要のない、今の時代」と言ってもいいのではないかと思う。
なのに実際は行っていた。
村人たちは、穏坊家に何があったかを知っていて、彼らに対し、後ろめたい気持ち、やましい気持ちがあると推測する。
◈餓鬼が食べるものについて
・一般的に、少財餓鬼が食べられるものは「膿や血、人間の糞尿や嘔吐物、屍など、不浄な物」とされている。
しかし、財団が行った参与観察にて村人から「涙を食べる」という情報を得ている。
たぶん、この地に伝わる餓鬼は特殊なのだろう。
・では、ここでいう「涙」とはどんなものなのか?
涙が出るのは、痛いとき、悲しいとき、つらいとき、などだが……
この地の餓鬼は、涙に付随する感情を記憶ごと食べるのではないだろうか?
・というのも、日記帳の異常性である「記憶できない」という状態は、反ミームではない可能性が高い。
(メタ的な話になるが『がきじろ』に「反ミーム」タグはついていない。)
「記憶できない」のは、記憶を餓鬼に食べてられているからだと推測して、考察を進める。
◈主語のない記述について
・この日記に書かれている「(おそらく餓鬼と)目が合った」という記述は、“不幸なこと“として記録されている。
餓鬼供養をしているのに、日記には『餓鬼』とは一言も出てこない。
→これらから想像するに、もしかして、“人間が餓鬼のことを認識している“また “餓鬼供養をしている“ことを気取られてはいけないのではないか?
・「信雄がフケジロに遭って泣いた」の記述はギリギリ「餓鬼」とは書いてないから残せたのかも。
というか、「遭った」こともだけど「フケジロが居たと泣いて騒ぎ立てた」ことのほうが問題だったのかな……
“餓鬼に気づいてる“と、気取られてしまうから。
・日記表紙の「いた」とか、8月16日の「嘘をつかれる」も、『餓鬼』という単語を使ってはいけないから具体的に書けなかったのではないか。
◈大人は餓鬼について知っていた?
・まず、日記の書き手は全てを承知したうえで餓鬼供養を行い記録していたと思われる。
(書き手は、一番年長の男性である「祖父」か?)
・あと、「弟」に食事を与える「母親」も餓鬼について理解していたと思う。
(寝たきりになってる弟=フケジロに遭った信雄)
この子、普通の食事を受けつけなくなって衰弱して、たぶん餓鬼になりかけてるんですよね。
ここの弟の食事の描写↓
語り手は口にしたことがない、弟用の特別な粥。
これ、餓鬼が食べる“血や膿、その他不浄なもの“がごった煮にされたものなのでは……?
想像したくないけど……🤢
「母の切り傷も治らなかった」のは、弟のために自分の指を切っては、血と膿を与え続けていたからなのでは?
・そして仏間の奥の部屋に、餓鬼であろう「見知らぬ女の子」を寝かせていた「祖母」も知っていたはず。
すぐそばの仏間から涙を“施し“続けていたのでしょう。
そしてその「見知らぬ女の子」を慰めるように、声が潰れても童謡を歌ってあげていたのでは?
・やたらと家庭内暴力を働いていた印象の浩二が「父親」だと思うんですけど。
暴力にも意味があるとこじつけてみる。
明美が熱出して吐いちゃったときと、洋子がお酒こぼしちゃったとき。
……不可抗力のとき?
餓鬼が“感情に付随する記憶を食べる“とするならば、ただの「不幸」じゃ“施し“にならない。
だから、暴力を振るうことで「怖い」とか「悲しい」とかの強い感情を付随させようとした……とか?
◈家族の人数の変化
・『がきじろ』と『ごきずれ』が同じ家と家族に起こった出来事だとして考察していますが。
家族の人数が変わってることについて考えをまとめたいと思います。
・『がきじろ』では写真に写っていた人数は11人。
『ごきずれ』では家族は6人と書いてあります。
→5人分、食い違いがあります。
→語り手は「ずっと6人家族だった」と言ってますが。
これは本当は11人いたのに、餓鬼によって家族の記憶を食べられてしまい“6人だった“と認識しているのだと考えます。
・両親と祖父母、弟もいて、どちらかというと賑やかな家族構成なのに「どこか漠然と寂しさを感じていた」というのも、かつては11人の大家族だったことを薄っすら覚えてたからかもしれないですね……
・日記の異常性のある日付は全部で4つ。
これらは全て「仏滅」の日。
その日に何か「通常ではありえないような、不気味で奇怪な出来事」が起きているはず。
→日記の内容は読めないので推測するしかないが、餓鬼が活発化し、家族に禍を振りまいてるのではないか?
女の子の「おまえもつれていこうか」というセリフから、他の家族は「つれていかれて」しまって、餓鬼の仲間入りを果たしていそう。
1つの日付に対し、1人ずつ「つれていかれて」しまうとしたら。4人分。
11−4=7人
残った人数は、『ごきずれ』の“6人家族に見知らぬ女の子を足した数“である7人と合致します。
・おそらく「見知らぬ女の子」も家族の一員であったが、語り手の記憶が食べられてしまったため「見知った家族」として認識できなくなったと思われる。
・また、“餓鬼であろう女の子が家族の一員だった“ “寝たきりの弟が餓鬼になりかけている“ とするならば、日記の覚えておけないページには、“人間を餓鬼化する切っ掛け“のような出来事が書かれているのかもしれない。
それによって、涙するような強い感情を引き起され、餓鬼に記憶を食われている?
・穏坊家の成員は全員が死亡あるいは失踪しているのが確定しているので、全員で写真撮影した8月16日以降に、存在の記憶が食われていったのではないか?
・「見知らぬ女の子」は、右目しか見えない描写が強調されてるから、左目を潰された「明美」なのかな……
写真見てもギリ6歳くらいと言えなくもない……?
だとすると、家族写真で手前の子供が、語り手である「私」。
大人に抱っこされてるのが1歳年下の「弟」か。
◈調査員たちの不調とは何か
・調査が終わって「さあ家に帰ろう」ってときに、自宅じゃなくて、西米良村の穏坊の家を想像してしまう。
“つまり、自宅の記憶が「穏坊の家」に置き換わってしまう「記憶影響」“
という説を推します。
(『がきじろ』には「記憶影響」タグがついている)
・というのも、『ごきずれ』は、どこから出てきたtaleなのか?
そしてソースコードに隠されていた「憑依の手順」らしき記述、を合わせて考えてみると……
『ごきずれ』は参与観察に行った調査員に「憑依」した霊が思い浮かべた光景を語らせたものなのではないか。
・『がきじろ』の最後に「未発見の異常物品等は確認できなかった」とあるので、調査員たちは穏坊家の空き家も訪れて中を検めてると思うんですよね。
家に行ったことが不調のトリガーなのではないかしら?
・あと、最初の頃は、女の子の記憶についてこう言っているのに……
最後には心象が変化している。
これは「憑依」が完了して、語り手が「私」に同調してるということかしら?
女の子のことを憐れむようなこの感情も、結局は餓鬼に食べられちゃったんですかね……🥲
◈蛇足
※個人的なイメージ、思いつきを語る。
・『ごきずれ』の大人たち、人数が減って、ゆるやかに衰退していく運命を、諦めて受け入れてるように感じてしまったな。
先に餓鬼になってしまった家族への“施し“をしながら、自分に残された時間の終わりを待つような……
・父親が頑なに見せなかった長持の中身を考えてみたんだけど……
餓鬼になった子供たちは布団に寝かされてたから、餓鬼になると動けなくなるとして。
長持の中に大人の餓鬼が入れられてたら嫌ですね。
ほら、人数も人数だし寝かせておく場所無いから、とか……
あれ、そういえば語り手が“お不浄の穴の底に餓鬼がいる“想像をしてましたけど、まさか本当にそこに居たりしない……よね?さすがに😰
でも「お不浄とは、餓鬼の 禰(かたしろ)でもある」ってお祖父ちゃん言ってるの意味深だし……
女の子に脅かされて、仏間から逃げ帰って記憶を遠くにやる描写と、お不浄で怖いものをやり過ごす方法が一緒なのは……
あ〜あ〜あ〜、これ以上は考えんとこ。
・あと穏坊家にやたらと親類の女性が多かったけど、この人たちが周りの各家の生き残りで。
その各家も前に餓鬼供養してて。
人数少なくなったからと、この家に一纏まりになってて、これが本当の最後の生き残りの話だったなら嫌だな〜、って想像した。
・家族写真の裏の「あわせて」って言葉の意味は、写真を見た人に「餓鬼と目を合わせろ」ってことで良いの?
目を合わせるのは禁忌行為っぽいんだけど……
家族みんなの目線もこっちガン見してて怖いよね。
あ、でも、おそらくここに写ってるみんな最終的に餓鬼か……😐
8月16日の時点で、自分たちの運命を悟って、自分たちの死後に遺される日記帳に呪いの気持ちを忍ばせたのかな……
そんな写真が、SCPについて説明される前の一番最初に配置されてる悪意……😇
(2024.6月 追記)
・当初は上記のように考えてたんですけど、また違った想像が浮かんだので書き記しておきます。
・古書市で日記を買って読んで記憶の一部を食べられた人。
参与観察から帰ってきて、穏坊家の記憶を植えつけられ憑依された調査員たち。
この人たちは、おそらく穏坊家に “強い憐れみの感情“ を抱いたのだと思います。
・tale『ごきずれ』によって、生きてる人間に “憑依“ をする。
そして、その人に穏坊家について思いを馳せ “憐れんでもらう“ ことで、餓鬼供養させようとしてるのではなかろうか?
写真に「あわせて」とあったのは、これを見た人間に “目を合わせて“ もらい、あわよくば憑依して死後に餓鬼となった穏坊家の人々に涙(=感情)を与えてくれることを祈って残した言葉だったのではないか。
彼らが絶えた後は餓鬼供養をしてくれる血縁は居ないでしょうから……
(追記ここまで)
◆感想
・今作は汚いものの描写が丁寧すぎて、とても厭でしたね!!
不快な家の中の様子が、ありありと想像できてしまう……
梨さんの文章力が読者に牙を剥いた😵
・わかりそうで、わからない謎部分の匙加減。
何が起こったのか判然としないのに、一家が酷い目に遭ったことだけは伝わってくる不穏さ。良きホラー。
考察も、やってて面白かったです……☺️
人に勧めるときは、「食事中は避けて」とアドバイスしましょう。