我々は陰謀論者に石を投げることが出来るのか
今回はちょっと固めの話をしようかと思います。タイトルは意味深ですが、要は我々と陰謀論者に大きな違いが本当にあるのかという内容です。陰謀論者をバカにする内容ではなく、中立の立場から考察してみたいと思います。一応私自身は陰謀論者では無いと思っています。またこの記事自体に意味はありません。読んだからと言ってこの先の生活で役に立つことは無いと思います。
結論として、違いはあるんですが皆さんが思っているほどのものでは無いと思います。読んでいただいた上でどう感じたかコメントを下されば幸いです。(コメント機能ってあるんですかね?)
陰謀論について
このご時世で言えば、真っ先に挙げられるのはワクチン関連でしょうか。「ワクチンには人体に害のある成分が入っている」「ICチップが入っていて動向を監視される」等、後者は5G関連にも紐づいていますね。
他には地球平面説などがあるでしょうか。思考盗聴や集団ストーカーの類も今回は陰謀論に入れます。
本題
という訳でいきなり本題に入ります。我々と陰謀論者に大きな違いがないのではないか、と考える根拠、それは「伝聞でしか知識を得ていない無知な輩」という点で同じではないかと思うからです。先に言っておくと、この話は当てはまる人間と当てはまらない人間がいますのでご了承ください。
例えば地球平面説ですが、我々は当然地球が球だと知っています。しかし本当に球なのでしょうか。あなたが生きていた人生で球である確証が得られる出来事がありましたか?平面だとしてもなんの不都合も生じないのでは?
陰謀論者みたいなことを言ってすみません。しかしどうでしょう。ドキッとした方もいるのでは無いでしょうか。地球が球である証明そのものはありふれています。大きな橋は微かに湾曲しているそうですし、遠くの観覧車を見ると下の部分が水平線下に隠れていたという分かりやすい発表もあります。(発表者は中学生というのがすごいですね)
引用:
もちろん体験した方もいらっしゃると思います。自ら進んで行った方は特に、「当てはまらない方」と言えます。
しかし多くの人間は実際に確かめることはしていないと思います。この状態、陰謀論者と何が違うのでしょうか。人から聞いた話を確かめもせずに信じ込んでいる、そういう点において同じでは無いのか、これが今回の私の主張なのです。
では何が違うのか
最初の結論でも述べましたが、我々と陰謀論者には違いはあります。なぜなら陰謀論者ではない人間が圧倒的多数だからです。バランスが取れてないことはそこに何かしらの違いがあること示しています。
では何が違うのか、すなわち「長いものに巻かれる」かどうかだと思っています。地球が平面か球体か、検証出来ない(しない)場合どちらを信じるか、我々はこの時「より多くの人間が信じている説」を信じるのです。これはある意味当然のことで、自分だけでなく多くの人間が納得しているということは確証が高いであろうという推論が働くからです。
しかし陰謀論者は違います。何故なのか、知能が弱いからということはよく言われますし、私もあえて否定はしませんが、より直接的な理由はマジョリティに対して敵対意識があるのだと思います。過去に嫌な思いをしたからこそ、こういう発想になるのだと思います。
陰謀論者の根底にあるもの
少し話が逸れますが、地球平面説を信じている親戚を説得しようとした家族の話をネットで見たことがあります。(デマかもしれませんが、一考の価値があると思います)
話をまとめると、親戚は過去に低IQで嫌な思いをした過去があり、それが原因で陰謀論に傾倒しているのでは無いかという話です。つまり、陰謀論者は「真実」を手にしたことで、それを持ってない我々を見返そうとしているのでは無いでしょうか。
となれば陰謀論者は地球が平面だと思いたいのではありません。多数派を打ち負かせればいいので、それらしい「真実」があればいいのです。これは逆張りと一蹴するには深刻すぎる問題です。なぜならこれは彼らのアイデンティティに深く根付いているからです。
まとめ
私たちは彼らに比べ、より科学的に正しい知識を持っていると思っている方が多いと思います。それはある意味で正しいのですが、そもそも科学は疑うことから始まります。それは当然既存の科学そのものにも向けられる訳で、我々の「科学的に正しい」常識にも向けるべきではないかと思うのです。
盲目的に信じる多数派より検証を重ねる少数派の方が圧倒的に「科学的」と言えます。陰謀論はこのことを思い出させてくれる必要悪とも言えるのかもしれません。
(「科学的」であることが幸せであるのか、科学教なんて揶揄する言葉もありますが、それについてはまた別の機会で話したいです。その時はよろしくお願い致します)