集会参加
夫に反対されればされるほど、信仰が強くなっていった。
冗談じゃない。そんなの信仰なんて言わない。別の言葉で表すなら自分で自分に暗示をかけていたようなものだ。
「神様はいる。悪魔が反対している。研究をさせないのは、サタンの邪魔。サタンは天の王国で支配しているイエスに滅ぼされるのを恐れている。終わりが近い。ハルマゲンドンが近い証拠である。早く救われたい」
こんな自己暗示である。一度騙されている脳は、もっと頑なになって神の存在を信じて依存する様になるのだ。
アホだ。馬鹿だ。愚の骨頂だ。情けない。間抜け。思考停止した自分を殴りたい。
それほど、1914年説は強烈であった。地震が、凶悪犯罪が、私を駆り立てる。
夫の反対はエスカレートしていった。
集会に参加したいのなら、五キロ痩せろ!
集会に参加したいのなら、お金をよこせ。
集会に参加したいのなら、いい妻になれ。
そんな脅し文句が研究をした日に必ず言われた。私は司会者に相談した。夫の反対を受け、家庭が円満でなくても行く必要があるのか? そこまでして行って、離婚になったらどうするのか?
司会者は本気で私を諭す。家庭を円満にしながら、参加することには価値があるといった。隠れてしてはいけないこと、と、同時に毅然とした態度で神の教えを守っていることを示すように言った。
司会者は夫が反対者だった信者を連れてきた。
夫に手紙を書くといいこと。いつも感謝していること。自分の稼いだお金も夫に渡して、いい妻であること。
いつか認めて集会に参加させて貰えるといった。私は言われたとおりに何でも頑張った。夜中に話し合いをしたこともある。
自分の意思で研究に応じて、集会に参加したい旨を伝えた。
夫は根負けして、一度だけなら行ってもいいと許可してくれた。
娘も一緒に参加することが許されて、王国会館まで送迎してくれた。
あの日のドキドキは忘れない。再び神の家に行ける喜びは、私の罪悪感を引き下げ、良心を、自尊心を保たせてくれる。
一時間だけの約束で、私は娘の手を引いて王国会館の扉を開けた。
司会者は心から喜んでくれた。なかなか行動を起こせなかった私を、褒めてくれた。賛美の歌が始まる前、私の周りには信者が集まる。
研究に参加してくれた信者も、初めて会う信者もみんな満面の笑みで、私に話しかけてくれた。高校生の時に味わった喜びをまた味わい、私は泣きそうになる。
これが危険だということを、この時は知らなかった。これがいわゆる、ラブシャワーという麻薬みたいなものだということに気がつかなかった。
神様が信者を通して、私の努力を祝福してくださっていると思っていた。
カルト宗教の怖いところでもある。いや、人間が人間を騙す時は、この手法に勝るものはないと思う。
承認欲求と社会的欲求の二つを満たせばいいのだ。専業主婦は繋がり、コミュニティがない。そこを満たせば、安心する。
私はまだ30手前で、同居もしていなかったため、子育てに関してもベテラン主婦との縁が出来た事を心から嬉しく思った。
同じ年頃の信者がいれば、もっと危険だと思う。そこをコミュニティとして、行くだけでも褒められる場所。集会に定期的に参加することは危険だったと今頃気がついても遅い。
今は自宅訪問や自宅で聖書研究が行われていない。
エホバの証人の訪問を楽しみにしている人は、コミュニティが欲しいのだ。
気をつけて欲しい。集会に誘われたら気をつけて欲しい。