毎週の訪問を受けて……。
引っ越し当日に訪問を受けたあと、少ししてから再訪問を受けた。
「再訪問」とはエホバの証人の間でよく使われる言葉で、関心のある人の所に再び行くという取り決めの事だ。
奉仕者と家の人の相性もあるが、ほとんどは奉仕者個人の思いによるものだと思う。ハルマゲンドンまでに一人でも多くの人を救いたいという思いを持った奉仕者は必ず再訪問する。そういう人たちは「開拓者」と呼ばれて、時間のノルマもあるのだ。
再訪問というシステムを知っていたなら、あんなに自分の事をベラベラ話さなかった。そこは本当に愚かだったと思う。
「高校生のときに少し勉強したんです。今、終わりの日なんですよね。地震があったり犯罪が増えてますね。私はハルマゲンドンが来るのが怖くないんです」
「……そんな事まで知っているの? どうして怖くないの?」
「神様の手にかかって死ねるなら幸せですよね」
奉仕者は驚いた様子で、今日はぜひこの本を読んでくださいと、茶色の本を手渡してきた。
高校生のときに学んだ本は赤い表紙だったが、それは「知識」という本だった。
阪神大震災やオウム真理教の事件が立て続けに起きた1995年、私はまた聖書研究という道へと知らず知らずに歩んでいた。
───本当に終わりが近いかもしれない。
直感的にそう思ったのである。1914年の転換点の教理が脳と心の奥に残っていたのが災いしたのだ。
私は真理を聞く機会をもう一度与えられたのだと、エホバに感謝してしまった。
生まれたばかりの子どもを抱いて、すごく深く考える。もしここで神を退けたなら、子どもはハルマゲンドンで滅びることになる。
私だけの問題ではない。私は子供に対して責任がある。このままじゃいけない。この子と生き残って楽園に入らなければいけない。
中途半端な知識でマインドコントロールされた脳は、再び思考回路がおかしくなってしまっていた。
毎週その奉仕者は訪問してきた。雑誌はいつのまにか無料になっていて、留守だとポストに入れてくれてあった。私は腹を空かせた子供のように、それを貪り読んだ。
空白の七年間の穴埋めをするかのように、物見の塔と目覚めよ誌を貪り読んだ。
神の言葉が書いてある。懐かしいエホバの名前がある。嬉しくて、捨てきれなかった聖書を引っ張り出して、聖句を調べ書き込んだ。
ものみの塔の研究記事を予習して、自分で質問と答えを合わせる。それだけで良かった。組織に受け入れてもらえなくても、エホバに近づいてると喜んだ。
「天におられます唯一まことの神エホバ、あなたのお名前が賛美されますように! あなたの言葉は私にとって、とても大切な霊的な糧です……」
夫が仕事に行ってる間、私はお祈りをするようにもなっていた。
信仰の自由を認めてくれていた夫に、ある日私は正直に訪問を受けている事を話す。
出来れば夫にも学んで欲しいと思ったからだ。今まで受け取っていた雑誌を夫にも見せた。
反応は自分の予想を越えるものだった。