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「恋愛しない/結婚しないのは自由」なわけないから騙されるな

ライフスタイルの多様性だの価値観の多様性だのが持て囃されるようになってからすでに常識となった性的自己決定権を行使する自由。
恋愛しないのも結婚しないのも子供を持たないのも個人の自由であるという価値観は人口に膾炙し、現代の若者世代にとっては当たり前すぎて今更何を言っているのかという感じだろう。

数ヶ月前に「20代男性の約4割がデート経験なし」という内閣府の男女共同参画白書の内容が話題になったのは記憶に新しい。
自由であるなら恋愛しない/結婚しない選択をする若者が増えるのは当然である。なぜなら恋愛や結婚は面倒だからだ。恋愛をすれば一人の時間がなくなるし、家庭を持つことで経済的な負担もかかる。
恋人を作るよりも家でゲームをしたり同性の友達と遊んでいた方が気楽であり、だからこそ20代男性の7割、20代女性の5割は恋人がいない
家族を作って他人の人生に責任を持つよりも独身でいた方が気楽だと考えるのはみんな同じであり、だからこそ未婚率は上昇し続けている。

みんな恋愛も結婚もしたくないのだ。リスクがある、負担がある。そんなことは誰もしたくない。だからこそ国家お墨付きの自己決定権の自由を行使し、「恋愛しない選択/結婚しない選択」を正当化するのである。
しかし、それは罠である。
なぜか。
恋愛、結婚は自由参加制に見せかけた事実上の強制参加制のイベントだからである。

実のところ私たちの人生は「自由参加制に見せかけた事実上の強制参加制」のイベントの連続であるといえる。例えば、受験や就活がそれである。受験や就活に法的な強制力があるわけではないので、見た目上は自由参加制のようにも思える。受験しなくても、就活しなくても一応生きていくことはできる。しかし、受験や就活から逃げれば社会的経済的に大きな不利益を被ることになる。だからみんな人生の決まった時期に受験をするし、就活をする。受験も就活も事実上の強制参加制なのである。

恋愛や結婚は、受験や就活に比べれば社会的経済的な不利益は小さい。強いてあげるなら世間体くらいだろう。だからこそエリートと呼ばれる人でさえ恋愛や結婚しない選択をする人は少なくない。

「自由参加制に見せかけた事実上の強制参加制」であるとはどういうことか。それは"参加しない自由"を行使したとしても負け犬、落伍者の烙印を世間から捺されるということである。
"受験しない自由"を行使しても世間から見たら低学歴の勉強ができなかった人。
"就活しない自由"を行使しても世間から見たらただのフリーター、無職。
"恋愛、結婚しない自由"を行使しても世間から見たらモテなくて恋人を作れない人、スペックや性格に問題があって結婚できなかった人
中高年の独身おじさん、独身おばさんが「結婚しようと思えば結婚できたけど、あえてしませんでした」と言ったところで世間がその通りに受け止めてくれるはずもなく、「結婚できなかった哀れなおじさん/おばさん」扱いされるだけである。
なぜそうなってしまうのか。なぜ世間の人は恋人がいない人や結婚しない人を個人の自由な選択の結果として受け止めてくれないのか。
それは全ての人間は差別主義者だからである。
私は以前、猫山課長という方のnoteを批判したことがある。

猫山課長は、結婚をしないと年相応のライフイベントをこなさないので、見た目が若く見える。若く見える人は内面も幼いので人としてダメである、という話をしている。男に限定していたので私はその点を男性差別であると批判したのだが、猫山課長の主張は男性差別だけでなく独身差別でもある。
しかし、猫山課長だけが特別に差別思想を持っているわけではない。世間の人々はみな多かれ少なかれこのような差別思想を持っているのである。
「結婚してない奴は人としてダメ」というのは世間の大多数が共有している素朴な感覚であると同時に表には出しにくい率直な本音である。
猫山課長はそのような表には出しにくい世間の本音を代弁しているにすぎない。

差別主義者だらけの世の中で独身者として生きていけば独身者差別を受けるのは当然である。あからさまな形で差別を受けることはないかもしれないが、猫山課長がしているように内心「幼くてダメな奴」と密かに評価され、信頼を落とすこともあるだろう。

「自由参加制に見せかけた事実上の強制参加制」ーーこれは罠である。
形式的には自由に見せることであたかも私たちにその選択が委ねられているかのように錯覚させながら、実際は参加しなければ有形無形の不利益を被るようになっている。

「自由」という言葉はタチが悪いと思う。聞こえのいい言葉ではあるが、それゆえに私たちの思考を単純化してしまう。自身の自由意志こそが最高の判断基準であるかのように錯覚させてしまうのだ。
実際には私たちは自由意志だけを唯一の基準に生きていけるわけではなく、世間の価値観とも折り合いをつけていかなければならない。

私たちの目の前には単純に見せかけた複雑なゲームが提示されていて、それを上手に攻略する必要がある。上っ面の聞こえのいい言葉に騙されないようにしながら。

恋愛しない自由、結婚しない自由があるように見えるのは錯覚である。
そんな自由はないから騙されるな。

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