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かみなり集めの仕事 1

 私の父は雷を集める仕事をしている。
正しくは蓄雷という。

 父が産まれた頃にはまだなかった職種らしい。

 大嵐の日、地方のとある工場に雷が落ちた。そしてどうゆうわけか非常用の蓄電器に電流が流れ蓄電器を壊してしまった。そこで一筋縄ではいかない腕はあるけどやや性格に難ありのエンジニア登場である。農機具の開発で培ったのかどうなのか、ただのマニアックなだけなのか、電流の回路を解明してしまった。

 性格にやや難のあるエンジニアは祖父の兄にあたる人で、たくさんの兄弟の中でもずば抜けてややこしい人だったらしい。母屋で親戚一同が集まったのは私が小さい時だけだったから特に記憶はないのだけれど。 次男か三男なのに「八郎」だった。八という末広がりでいい漢字を八番目まで待てんとのことで名付けられたので、ややこしいのはその前の代からなのかもしれない。祖父は幸一といった。

 とにかく八郎おじいちゃんは、会社とのなんだかんだを経て、無事に回路の開発にとりかかることになる。後に親類縁者その端くれまでが「あの時におっちゃんが特許をとっていれば」と延々と語り継ぐ回路の発明だった。会社が新規事業として立ち上げたのが「かみなり集め」だった。

 幸一おじいちゃんは漁師だった。毎日、海に出た。だから天気のことはよく知ってた。天気図もちゃんと見れたけれど、雲の動く速さや空気の変わる瞬間で、その後の天気がわかるらしい。松の木が一本、岩の崖から飛び出て生えている島の向こうからの風が変わった時が急変の合図なのだそうだ。

 父は自然とその術を身に付けていた。そして、八郎おじいちゃんの仕事にとても興味をもっていたので、高校を卒業してすぐに工場に勤めることになった。
 もちろんエンジニアとしてや、営業ではなく、かみなり集めのなんともよくわからないことをしている部門に入ることになる。


 雷が落ちないことには、雷は集められない。

 そこで山間の、いつも湿った雨の多い村に施設を作るはこびになったのだか、村のなかにはいい顔をしない人も多く、事故があったらどうするんだとか、木を切って災害につながったらどうするんだとか、話しはまとまらず時間ばかりが経っていく。
 
 その間に移動式の集雷機ができてしまった。大型のトラックで運んでいけるものだ。

 私が小学生の頃だったから、父は40才くらいだったと思う。その集雷機を引き連れて、嵐を追いかける生活が始まった。いや、父だけが。


∴∴ここに書いてることは、全部嘘です。
続きもぼちぼち書いていきたいです。