「自分から捨ててもいい」と言った人②
自由になりたい、しがらみから脱け出したいと思いながらも、やっぱり自分から行動を起こすことはできなかった。もやもや、うじうじしている年月が長くなるにつれ、ただでさえ低い自己評価がどんどん下がっていった。
希望していた職業に就くことはできたけれど、若いころに夢見ていたような職業人にはなれなかった。私が中学生のころ、兄は高校を中退し、その後何年も実家の金で遊びまわっていた。そんな事情から、母は私を大学に行かせる気はまったくなかった。今考えれば、奨学金制度を利用するとかなにかしらの方法はあったのだろうけれど、高校時代の私は家を出たい一心でアルバイトに励んでいた。高校卒業後に家を出た私は1年間アルバイトで学費を貯め、専門学校に入学、その後、大卒の人たちに囲まれて働くことになった。劣等感の塊だった私は、長い間、自分の能力のなさを学歴のせいにすることになる。
それでも一人暮らしに慣れ、それなりに仕事も覚えた。それなりのお金を稼げるようになったころ、兄が結婚した。時間を持て余すようになった母は、時折、「いい報告はないの?」「早く結婚して、一人くらい子どもを産まないと」と電話をかけてくるようになった。結婚はまだしも、子どもなんて考えられなかった。家庭や親子というものに対する嫌悪感の強い私に子どもなんて育てられるわけがない。
私はこれからどんなふうになっていくんだろう。ずっと自分が無力であることを人のせいにしていくのか。言い訳をしないためにはどうしたらいいんだろう。ずっと同じことを考え続けていた。
そのころに出会ったのが、幡野広志さんの『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』。
写真家の幡野さんは34歳のときにがんになり、余命宣告を受ける。どうしたら自分の心を守れるのか、どうしたらいずれ残されることになる家族を守れるのか。そのために必要なものを選びはじめた。自分が自分でいるために、人に押しつけられたものを甘んじて受ける必要はないと。たとえそれが親であっても。「捨ててもいい」と言っていた。
このままではつぶれてしまうと思った。
私は母からの電話に出ることをやめた。