文章が教えてくれたもの
あと数時間で地元を離れる。
あっという間に時間は過ぎて、いつもと変わらぬ年末年始が終わりを告げる。
太陽の光が差し込む自室のソファで、これを書いているがそれも今日で終わり。
明日からは、狭いマンションの一室か、近所のドトールでこんな風に文章を書くことになる。
冬休みもあと3日。何ができるだろう。やりたいことはたくさんあったけれど、進捗は芳しくない。
まだ巻き返せるとはいえ、ロケットスタートを切ったところで、継続させられるかの方がはるかに大切なことは充分に知っているから、2020年を着実に前進させるということで、肩の力を抜いて諸々進めていければいいか。
言うは易く行うは難し。
意識することは必要だと思うので、24時間のうち数分でもリラックスできる時間を設けるようにして、こうして文章を綴っていくことができるようにしよう。
年末年始は予定とは違ったが、たくさん頭を使い、たくさん言葉を並べた。
自分の頭の中に泉のように溢れる、思考と想いの言葉たちを取捨選択しながら掬い取って、順番を間違えないように慎重に並べるということを繰り返した。
そういうことにたくさんの時間を費やしたおかげで、目には見えないものを言葉や文章という形で結晶化することの大切さに改めて気づいた。
気づかないうちに何度かは結晶の形を間違えたかもしれないが、それはそれ。
自分に向けての言葉にしろ誰かに向けての言葉にしろ、表面を撫でて通り過ぎる言葉は今はあまり必要がない、ということも何となく思った。
もう少し早くこういうことに気づきたかったという思いがなくはないが、それをどうこう言ったところで何も変わらないので、気づいた時点から変えていけばいい。
気持ちの切り替えはエネルギーを膨大に消費するので、これもまた少しずつやっていければいい。
記録としての文章を書いているわけではない。そう考えて毎日のように書いていたけれど、これは感情が混ぜられた記録なのかもしれない。
きっと、何年か経って読んでもきちんと自分では理解ができるもの。
そんな捉え方もしつつ、日々の心の動きやそこから発生した感情、思考、願い、そういったものを綴っていきたい。
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