毎夜のフィルタリング
毎夜、言葉が頭の中で踊り出す。
その日を振り返り、印象に残ったこと、考えたこと、感じたことが言葉として溢れてくる。
外で電車を待っていた時に寒いなと思ったけど、電車に乗った瞬間に暖かいなと思ったこと。
マスクをつけている人を見て、自分もつけた方がいいかなと思ったこと。
いろいろな人と話して、文章のやりとりをして、何となくの性格傾向を予想したこと。
毎日同じようで違う。会っている人も毎日ほとんど同じなのに、話す内容もテンションも変わる。
自分においても、なんでこんな時間に眠くなるんだろう、昨日は全くそんなことはなかったのに。とか、今日はやたら左手を使うな、などと観察をしているようだ。
新しい何かを発見したら嬉しい。
人に興味を持つことはあまりないから、どちらかというと、自分の価値観や考え方に何かしら影響を与えることを知ったり、気づいたり、そういうことが楽しい。
人に興味がないというのは、一見すると冷たく感じるかもしれないが、おそらくほとんどの人は、人というか他人に興味はないだろうと考えている。
礼を重んじないとかいう話ではない。
たくさんの人の中では自分は口数が少なくなる傾向がある。今日はそれに触れられたが、答えは一つで、みんながきちんと盛り上がっているのが分かっているから。
そこに油を注いでさらに勢いをつけることは出来るかもしれないけど、その行為に意味があるとは思わない。
ただそれだけのこと。
幸いにもキャラクター性を理解してくれている人たちなので、上記のようなことをストレートに言っても、引かれることもなく笑ってもらえる。
たまにサイコパス扱いもされるけど、それで何か支障が生じたこともない。
大人になりたての頃はかなり周りにも気を遣っていたし、人よりも周りのことが見えていたと思う。
それは、優しいとか親切ではなく、ただ自分が気になるから気づいたことをやったり、言ったりしていただけだ。感謝されることが多いから、自分のやるべきことなんだと勘違いしていた。
それは自分が出来る範囲でやるならいい。だけど、自分を犠牲にしていると感じたら、異常にストレスが溜まることに気づいた。
大切な人はほんの一握りでいいし、周りもそう思っている人がほとんどなのだと知った。
もっと自分に目を向けて、乾いた心に触れてあげることが大切だと理解した。
外に向けて力を使うなら、ほんの一握りの大切な人のために使えばいい。そう思った。
毎夜、言葉が頭の中で踊り出すのは、その反動なのかもしれない。
その日、特に意識をしていなかったことを振り返る。そして、何かしら自分の価値観に良い影響を与えてくれそうなことがなかったかを言語化して、取捨選択する。
もちろん抜け漏れはたくさんあるだろう。それはその程度のものだと思えばいい。
無意識のフィルタリングだと考えてみたら、それなりに器用な脳だなと感心した。
この文章もその結果。
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