安東さん(mokha代表)の訃報に寄せて

お別れの会でお話をする時間をいただいたのだけれど、司会の赤羽 喜治 さんに無茶振りしていただいたためw、思いを表現しきれなかった&その後判明したこともあり、あらためて安東さんとの思い出を書いておこうと思った。

初めてお会いしたのは、品川のステーキ屋だった記憶がある。安東さんと同じ会社の 蒲地輝尚 さんが「Palmで動くJ-OSというのを作った山田という面白いやつがいる」&その頃に書いた「新入社員と学ぶオフィスの情報セキュリティ入門」という本を高く評価いただき、「何か美味いものを食わせてやろう」となったらしい。(蒲地さんは大学のサークル、研究室の偉大なる先輩。私にPalmの存在を教えてくださった大恩人でもある)

そして、第一印象は「むっちゃ食う人!」だった。私もものを食べる量については精進を続けており、それなりの量を食べられる(ステーキ400gとハンバーグ200gとかはぺろりといけます)と自負しているのだが、安東さんと一緒に食事をしたあとは、動くのすら辛かった覚えがある。とんがった鼻をへし折られた(笑)

その後も事あるごとに声をかけていただき、美味しいものを食べさせていただくとともに様々な方とお友達にしていただいた。そういう方々との交流や伝え聞く話から、安東さんがITや出身校、出身地などにかける思いの強さをすこしづつ理解していった。

コミュ障の私に声をかけていただくこともあった。私が東大にきていると(Facebookでばればれなのだった)、「遊びに来ないか?」と声をかけていただき、オフィスで他愛もない、けどなかなかに刺激的な話をダラダラとさせていただいた。自分から声をかけるのは苦手なので、ありがたかった。

そして、時々Facebookでの私の駄文に鋭い指摘をいただいた。いつも痛いところを突かれていて、「うう、ちゃんとやらなきゃ」といつも背筋が伸びる思いだった。

そして、昨日の夜お別れの会で判明したこと。

私は2000年くらいに3年ほど、建築系コースへの進学が決まった駒場の2年生にコンピュータの使い方の講義をしたことがあった。(「算法通論」といういかめしい名前だった)
その時に駒場の教育用コンピュータを使わせていただいた。この教育用コンピュータが変わったもので、初めの2年間は富士通のPCからハードディスクを取り除いたもの(いわゆるNC,ネットワークコンピューター的なもの)で、Windowsはリモートデスクトップで使うものだった、これが安東さんがアーキテクトとして設計されたものでECCS1999と呼ばれているものだった。そして、3年目に行くとパソコンが全部iMacになっていた(これがECCS2004)。これはさらに変態的(褒めてます)になっており、iMacをネットワークでブートして、MacOSも動く、そしてWindowsもリモートデスクトップとして動くという画期的なものだった。
当時私はシンクライアントとか、サーバーベースドコンピューティングにはまったく興味がなかったのだが、これらシステムの運用のしやすさにびっくりした。安東さんがいかに少ないリソースで学生が使うコンピュータを便利に提供しようと頭を捻った結果できたものだったということを後から知った。

このECCSを使った結果、「コモディティなPCの未来はシンクライアントだ!」と確信し、NTTデータにもシンクライアントの導入を進めた。初めは取締役会室、次が受付だった。その後は仕事が手を離れてしまったけど、一時期はほぼ全社員がシンクラを使って仕事をしていた時期もあった。(これはこれでやりすぎだと思った。エンジニア、技術者にシンクラを使わせるのひどい話だ)。安東さんがこれらのアーキテクチャを設計されたことを知っていれば、きっと色々教えを請うたり、うまく使わせてもらったんじゃないか(悪)とおもう。本当に惜しいことをしたと思うし、すばらしいものを見せてもらったなぁと思う。

そして、昨日の会ではまたお友達を増やすことができた。彼は今でもまた人と人をつなぎ続けているのだ。

いずれ天国で(私が行けるのかは甚だ怪しいのだけれど)大食いの競争をしたいものだ。それまではしばしのお別れとしよう...


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