技適に(小さな)穴を開けた話

以下MetaStepへの寄稿内容の転載です。図、リンクなどが減っていますので、ぜひオリジナルもご覧ください。

2024年2月2日、長年待ち望まれていたApple製VRデバイス(Appleは空間コンピュータと呼んでいます。)であるVision Proが米国で発売を開始しました。そして本稿を執筆している3月現在、日本ではレビュー記事やYouTube動画が多数公開されており、ソフトを開発、公開する人や企業も出てきています。参考:ブログ@HoloLabInc

またテクノエッジが主催するApple Vision Pro Party in 日本橋など、Vision Proを利用した様々なイベントも開催されています。

Vision Proは類似デバイスと比較して高価($3,500、約50万円)であり、受け取るためには米国のApple Storeに出向く、もしくは米国内の住所で受け取る必要があるという入手上の問題はあるものの、Appleらしく造形的にも機能的にも非常に高い完成度を実現しています。日常的な利用に耐えうるものであり、アプリケーションの増加や低価格な普及機が大いに期待される製品である、という評価が一般的なようです。

ですが、もしかしたら日本ではVison Proを使うことはおろか、レビューも試用もソフト開発もできず、海外の記事やレビューを羨望せざるを得なかった世界線もあったかもしれないのです。本コラムでは、そのような世界線を避けることができた経緯をご紹介いたします。

Vision Proに関するレビューなどで、こんな記載をみたことはないでしょうか?

なお、Vision Proには日本国内で使うために電波法上定められた「技術基準適合証明」が明示されていない。そのため、総務省の「技適未取得機器を用いた実験等の特例制度」の活用を含め、適切な配慮のもと利用している。
(引用:西田宗千佳のRandomTracking)

日本国内におけるApple Vision Proの使用に際しては、総務省へ「技適未取得機器を用いた実験等の特例制度」に基づく届出申請を行っています。
(引用:Apple Vision Proとは何か? 色々試して至った一つの答え

技適特例申請も提出したので、この範囲内で試していきます。 (引用:ブログ@HoloLabInc)

Vision Proは日本で発売されておらず、日本で電波を発信する機器が必要とする「技術基準適合証明」が明示されていないため、通常日本では電波を発信することができません。そのため、日本でVison Proを使う人・企業は技適未取得機器を用いた実験などの特例制度を利用して届け出を行うことで、180日間実験(評価、開発、社会実験などを広く含みます。記事でのレビューも評価に含まれます)を行うことができるのです。

さらにこの制度は審査・承認が必要な申請ではなく、届け出で済むため、届け出が完了すると即座に利用可能となります。届出システムは大変使い勝手が良く、マイナンバーカードを保有していれば届け出は30分もかからずに済むでしょう。(詳細は制度を紹介するこちらのページを参照ください)。

一部で誤解があるようですが、180日が経過した後も、別の目的(例えば、評価後の開発、開発後の社会実験等)であれば再届け出を行うことで実験を継続することができます。一方、届け出の期限が終了したら確実に利用を終了し、その旨を届けましょう。

技適未取得端末を用いた実験等の特例制度は「Society 5.0の実現に向けたイノベーションを促進する」ことが目的とされ、2019年11月20日から運用が開始されました。この制度は日本未発売のスマートフォンを用いたアプリの開発・保守や、日本未発売の無線設備を用いたICTサービスの日本における市場性調査(Vison Proの試用はまさにこれですね)などでの利用を想定しています。

総務省が本制度に取り組み、非常に短期間で運用を開始した経緯については、Mogura VRさんによる総務省 総合通信基盤局 電波部 電波政策課 課長補佐(当時)山内匠さんへのインタビュー【詳説】技適の特例制度導入、その狙いを総務省に聞くと、2019/12/20に開催されたXRC コンソーシアムにおける講演、そしてそのまとめがあります。

図2及びこれらのインタビュー、まとめを読んでいただくと、2018年6月21日に規制改革実施計画が閣議決定されてから、わずか1年後の2019年5月17日に改正法が公布され、半年後の11月20日には当初の2020年春予定を前倒しで施行するという、法律の世界では奇跡のようなスピード感で制度とシステムが実装された様子が分かります。(参考 電波有効利用成長戦略懇談会

これ以降、海外で発売され日本で技適を取得していないデバイスやWiFi Routerといったネットワーク装置でも、特定の条件を満たすものであれば、本制度を利用し届け出をすることで、日本で評価し実験に利用することができるようになったのです。(Vision Proを含むAR/VR機器、Raspberry Piなどのコンピュータ、Wearableデバイス、DRONE等)

日本で新たなイノベーションを生み出すうえで本当に素晴らしいことだと思います。

本制度に関しては小林史明衆議院議員がInternet Watchでの法改正に関するインタビュー の中で、「今回の電波法改正は(中略)状況を改善する画期的なもので、日本の産業振興やイノベーションの促進を目的としている」とおっしゃっています。日本企業、日本の個人がVision Proを使って様々なサービスを生み出すことができれば、まさにその期待に応え、制度が正しく利用されていると言えるでしょう。

規制改革実施計画の閣議決定から、話は2年ほどさかのぼります。2016年5月、NTTデータでは、経団連が規制改革推進会議へ提出する規制改革の要望に関して議論を行っていました。

規制改革推進会議とは平成28年内閣府に設置された会議体です。「規制の在り方の改革に関する基本的事項を総合的に調査・審議することを主要な任務としております。」とあるように、経済社会の構造改革を目的として、規制の在り方の改革を行うための組織です。

規制改革推進会議には多くの委員が名を連ね公共、スタートアップ・投資、働き方・人への投資など様々なワーキング・グループが設置され、上記目的を果たすために規制改革の在り方が議論されています。そして、年に一度規制改革に関する答申が総理大臣を含め取りまとめられます。(過去の答申については 規制改革推進に関する答申等 及び 公表資料 を参照。)平成30年6月に実施された会議では安倍首相(当時)が大田弘子 規制課区画推進会議 議長(当時)から答申を受け取っています。

そして、経団連は活動の一環として毎年傘下企業から規制改革に関する要望を取りまとめ、規制改革推進会議を含む政府への働きかけを行っています。直近では2023年9月12日に2023年度規制改革要望―日本経済にダイナミズムを取り戻す―が取りまとめられています。

NTTデータは経団連に参加する企業のひとつとして、経団連に提出する要望について議論を行っていました。

2016年当時、私たちはスマートフォン、VR、ARなどに関する企業活用やセキュリティに関する技術開発を行っていましたが、発売されたばかりのGoogle Glassが技適を取得していないため日本では利用できない、米国で発売されたMicrosoft HoloLensが同様の理由で利用できないことに大変な苛立ちを覚えていました。また、2016年2月にはRaspberry Pi 3がWiFiやBluetoothを搭載して発売されました(旧機Raspberry Pi 2にはWiFi、Bluetoothが搭載されていません)。しかし、無線機能を搭載したがゆえに、技適を取得していないRaspberry Pi 3は輸入などで入手しても使えない、電源すら入れられない、といったことがネットで話題になっていました。

当時すでにWiFiやBluetoothは十分に一般化し安価な搭載が可能になっていた技術であったため、今後も、従来利用できた機器が、無線機能を搭載したことで利用できなくなる、という同様の問題が頻発することは容易に推測ができました。

さらに2015年5月22日に公布された「電気通信事業法等の一部を改正する法律」 により、1年後の2016年5月21日から訪日観光客などは特定の条件を満たす技適未取得端末(スマホ、タブレット、PC等)を日本へもちこみ、最大90日間利用することが可能となっていました。

毎年数千万人単位で日本を訪れる人の中には米国、中国など自国のみで発売される技適未取得端末を持っている人も少なくないでしょう。そういった訪日客は技適未取得端末を利用することが可能であるのに、日本に住むものが利用できないというのは不公平で、理不尽なことだと感じていましたし、ネットでも同様の論調を見かけました。

そこで、経団連に対して、「技適を取得していない端末をより容易に利用可能する」要望を提出しようと議論を行い、経団連に対して要望をアンケートの回答として伝えました。やかんの

経団連では、この要望(ほかの企業からも同様の要望があったかもしれません)が妥当であると判断いただいたのでしょう。2016年12月13日に取りまとめられた「2016年度経団連規制改革要望」において、473件の回答のうち、149項目の要望の一つとして選ばれ、2017年3月31日、規制改革推進会議へ提出されました。 参考: 具体的な要望の内

そして、2017年1月 総務省からの回答を受け取ります。すでに様々な制度があるので、それを活用することで対応が可能とのこと。訪日観光客の扱いに比べるとずいぶんと扱いが異なるなと感じたものの、その時点では十分な反論ができませんでした。

その結果、平成26年度の答申「規制改革に関する第2次答申 ~加速する規制改革~」にこの規制改革要望を含めていただくことはできませんでした。

初回は残念な結果になりましたが、経団連さんには「これは必要な規制緩和なのでもっと頑張ろう」とおっしゃっていただき、私たちも結果に納得できていなかったため、平成27年度の再挑戦に向けた準備を開始しました。

まずは総務省さんから提案された各種制度についての調査です。総務省さんからは4種類の既存制度の活用により対応可能と提案いただいたのですが、調査の結果、そのいずれも私たちには利用が不可能であることが判明しました。

(A)実験試験局免許の取得には申請書の記入が必要なのですが、そこには空中線型式、発射可能な電波の型式等、メーカーであれば把握して当然であるものの、一ユーザーである私たちには取得不可能な情報を記入する必要があります。さらに申請には数か月の時間がかかるため、迅速な対応は不可能です。

(B)電波暗室の利用は以前からも一部では利用されていましたが、様々な環境下での実施が必要な評価、社会実験を行うことはできません。

(C)特定実験試験局制度に関してはWiFiで利用する電波帯が含まれていません。

(D)電気通信事業者による接続の検査に関しては対象が試作品ということで、これも製品の利用を要望する私たちにとっては活用できないものです。

次に各国の状況を調査しました。この取り組みは本業の傍らで行っていたため、十分な調査ができたとは言えませんが、米国、韓国等の国における電波利用に関する法律では評価、社会実験、展示会での宣伝などで台数や期間を限定して利用できる例外規定があることが分かりました。これは「規制があることで、日本は諸外国よりもイノベーション実現が不利な状況にある」という状況を再確認することとなり、取り組みを続けるモチベーションにもなりました。

次に必要だと思われたのが、実際にこの規制があることで日本のイノベーションが阻害されていることの立証です。まずはNTTデータ社内で調査をしたものの、「デバイスを利用した研究をあきらめた」「代替品をみつけて利用した」等の事例は見つかったもののいずれもインパクトが弱いものばかりです。

そこでいろいろな方にお願いして公開可能な事例を探しました。ありがたいことに協力してくださる会社から公開可能な事例を2つ入手することができました。

一つは「利用するデバイスが技適未取得のため日本で実験ができず、米国でやらざるを得なかった」事例、もう一つは「電波暗室で開発は済んでいたのに、端末販売会社が技適を取るのを待っていたために1年間社会実験の開始が遅れた」事例です。事例を提供するため社内調整を頑張ってくださった方々には本当に感謝しております。

そして、最後に必要と思われたのが、この規制緩和が喫緊の課題であることの立証です。ここで役に立ったのが東京オリンピックとパラリンピックです。オリンピックとパラリンピックには非常に多くの方が訪日することが想定されており(実際は皆さんご存知のような寂しい結果になったわけですが)、それに向けて各社が様々なサービスやイベントを予定していました。当然その中にはスマホを使うものも多数存在しています。

ところが、訪日者が技適のついていない端末を持ってそれらのサービスを使ったときに障害が発生しても、サービス提供側は同じ端末が使えないのでテストも障害解析も出来ません。これは特にサービスがペイメントや健康などに関する場合非常に問題となります。実際に当社でもAndroid用アプリケーションの開発において「ある特定の端末のみでエラーが発生する」という事象が起き、苦労をしていました。

このように調査を進め経団連さんと協力して説明資料が完成しました。資料はページからリンクされている研究開発業務における技術基準適合証明未取得機器の利用(一般社団法人日本経済団体連合会 提出資料) をご覧ください。

そして2018年1月31日の第13回投資等ワーキング・グループにてご議論をいただき、本規制改革は実施すべきという結論を出していただきました。この会議では損保協会さん及び在日米商工会議所さんも同様の主張をされていらっしゃいます。

本会議の議事録の中では様々な議論がされていますので、興味がある方はぜひご覧いただきたいと思いますが、最後の部分で本WGの原座長がこのようにおっしゃっています。

そして3月30日には、規制改革推進会議へ総務省より、本規制の改革に関する取り込みを実施するとの正式回答がとどきました。

ここから山内さんの発表にもあるように、総務省さんにて奇跡のスピードでの取り組みが始まったのです。並行して、2018年6月4日に開催された第3次規制改革推進会議の答申である規制改革に関する第3次答申 ~来るべき新時代へ~」では無事本規制改革を記載いただくことができました。

総務省電波局さんと経団連は2度打ち合わせを実施し、私たちも同席しました。その場で、改めて私たちが困っていること、何を求めているのかについて意見交換を行うことができたと感じています。この打ち合わせでは資料だけでは表現しきれなかった内容も伝えることができ、先方にも正しくご理解いただけたと思います。

私たちの活動はここまでですが、この規定が含まれた法案が国会に提出され、改正が実現したときは非常に嬉しかったです。さらに制度が施行され、実際に自分で届け出のシステムを使ってみるととても使いやすいシステムになっていることが分かりました。私たちが抱えている課題を正しく認識いただき、素晴らしい制度を作っていただいた総務省さんにはただただ感謝したいと思います。

本稿でお伝えしたように、多くの関係者により、私たちはVision Proが日本で使える世界線に住むことができています。法律は天から降ってくるものではなく、変えられるものなのです。私たちがITを使って世の中をより便利に安全にしていくためには、技術を並んで必要なことだと思います。正しくこの制度を利用して、多くのイノベーションを生み出していきましょう。

注)文書内に記載されている会社名、商品名、又はサービス名は、各社の登録商標又は商標です。

参考)規制改革推進会議に関する首相官邸のホームページ

規制改革推進会議(当時)の大田弘子議長から安倍首相(当時)へ手渡しされている動画もあり。安倍さんの横には菅さんの姿も確認できます。

参考)NTTデータにおける取組のタイムライン

【2016年】

5月 経団連が規制改革に関する提言を会員企業から募集開始

7月 NTTデータから経団連へ要望を提出

11月 経団連から規制改革会議へ提出

【2017年】

1月 経団連が総務省から回答を受領

5月 規制改革推進会議第2次答申(本内容は含まれず)

11月 経団連へ再度要望を提出

その後協力して規制改革推進会議WG向け資料を準備

【2018年】

1月 規制改革推進会議WG。総務省が規制改革に取り組むことを表明

3月 総務省から規制改革推進会議投資などWGへ検討に着手する旨の回答

5月 総務省電波局と経団連のミーティングに同席

6月 規制改革推進会議第3次答申(本内容が含まれる)

7月 総務省電波局と経団連のミーティングに同席

参考)総務省における活動

2017年11月~2018年8月 電波有効利用成長戦略懇談会

2018/9~2019/1法案策定

2019/2~2019/5国会審議

2019/2/12 法改正国会提出

4/11~4/23衆議院審議

4/25~5/10参議院審議

5/17 法改正公布

8/23~9/24 整備省令・告示パブコメ

10/8 電波監理審議会諮問・答申

11/12 整理政令・施行期日政令閣議決定

11/20 特例制度施行

(本来の施行予定 2022/3春)

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