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[週刊新川]あれ?夏ってあれだよな、暑い季節ってことだよな?

こんにちは!株式会社HACK(新川モール)学生チームの一番下っ端の鈴木葉大です。

僕は他のHACK学生メンバーと違い大学が静岡理工科大学の建築学科なので、ちょっと異色になってしまいますが、学生メンバーがリレー投稿している【まちと夏とわたし】をテーマに少し綴っていこうと思います。

2級建築士!!

合計で50枚以上あった。並べながら自分自身が驚いていた
近くで見るとこの密度感。頑張りましたね!

 9/11に2級建築士二次試験の「製図」がありました。異国の地で勉強しているすぐそばで古の「資格試験」を頑張っていました。えっ、興味がない!?しかし、まぁまぁ大変な試験だったので聞いてください。

 何が大変か。まず!試験が5時間ぶっ通し。シンプルに長い。次に!めっちゃ筆圧濃く文字やら線やらを書く。腕がもげる。さらに、製図版が必須!持ち運びに不便すぎる。最後に!高い。メ二メ二マニー!

 高いの説明は一旦置いておいて。今回は7/3に行われた一次試験から連続で受けたので、今年の夏は2級建築士で終わってしまったという感じです。夏ってなんだっけ?あれ?夏って暑い季節のことだよな!そうだよな!!なんて思いました。夏に違う意味性を持たせないでほしい。悲しくなってしまう。

「まち」!

 僕は旅行が好きで、今年の3月も南九州と北海道と沖縄を除いて、日本を一周しました。(一番よかったのは島根。電車が7時の次が13時だったときは、目眩したっけ。結局ヒッチハイクでおばあちゃんの乗っけてもらって島根から福井の敦賀までタダで乗せてもらった。ありがとうおばあちゃん。今度、実家で作ったメロン持ってきます。)

福井年縞博物館の風景。旅行で行った中で一番田舎。なんもない

 その中で、「大規模都市」と「中規模都市」の心理的差異を感じて、中規模都市の人は中心市街地のことを「まち」っていうのですよ(大規模、中規模の定義の話は置いておいて)。金沢とか、仙台、広島とか。ただ、博多とか、大阪、東京では中心市街地のことを「まち」なんて言わない。

「今の原宿はやばいよ。マジでカフェがいっぱいある」とか、

「梅田は飽きたから南阿倍野にする?」とか。

 おそらく、一つの経済圏に複数の拠点があるのとかも影響しているかもしれませんが、(大阪経済圏の京都と神戸とか)そこで思ったのは中規模都市においては、中心市街地に行くことそれ自体に意味性があるのかなと。今思い返すと、この意味性はアクセスまでの手間とも変換できるかなと。

 つまり、中心市街地に行くまでに手間がかかればかかるほど、意味性が増幅していく。僕が、卒業論文でお世話になった「鈴木基男」さんなんかは「街はなんのためにあるか。少しおしゃれしていくためにあるんじゃないかなと私は思っていますけどね」などとおしゃっていました。大規模都市より中規模都市の方が街中へのアクセスに手間がかかる。最近はその傾向がより強いと感じる。その理由は、車がより普及したのが大きい要因なのかなと。

「まち」の意味性

 脱線に次ぐ脱線。話を戻りますが、僕は2級建築士を駅の近くつまり「まち」に位置する資格学校に通っていました。ただ、基本的に資格学校に通っている人は車で来てました。駐車代が高いなどと言いながら。当然「なんで街中なんだよ!」と愚痴る友人がいました。しかし、僕は思ってしまった「確かに!」と。だってほとんどというか全員、車もしくは、学生とかだと親の送迎とかだったからです。電車使っている人は僕ぐらいだった。(俺のためだったのか…。ありがとう!今度実家のメロンを持ってきます)
 職員のためか。いや、職員の方も駐車場に停めていたし。そもそも考えてみたら、総合資格って入るのにうん十万円かかる。たか!僕は学生料金で入ったけど、学生じゃないとその倍ぐらいかかるとか。たか!!それぐらい払える人たちなら車も持っとるだろうし。

 おそらく、資格学校の場合、いろいろな理由があるのでしょう。ただ、利用者に立ったとき、街中にある意味ってなんなん思うことが多かった。ただ、そこで思ったのは、「そもそも、街中でないとダメな理由ってあったっけ?」資格学校だけでなく、他のどの会社・企業にも当てはまる箇所があると思う。街中にある理由は車の発展とともに失われつつある。なぜなら街中の意味は「アクセスが良い」だったからだ。
「まち」と呼ぶ文化は昔の中心市街地のブランド力の名残なのかもしれない。車での移動がメインなりつつ、お酒とかなんやかんやで困る時には便利だから使うけど…。そんな扱われ方をされちゃっている。ひどいじゃないか。それに追い討ちをかけるようにコロナが襲ってきて。ようやくコロナが明けたけど、コロナ前までは戻らない。

残りカスとなった9月と「まち」

 この記事が上がるのは9月の中旬頃。しっぽりと夏も終わりかけている時期かな。夏のあの暑さと激しさが恋しい時期でしょうか。(僕は夏を満喫できず、虚無感しかないですが!!)
 9月ってなんかかわいそうですよね。なんか、夏の残りカスみたいな扱いになっちゃている。
「今年の夏はサイコーだったよね。」とか「来年の夏はどうする?」とか、
みんな9月を楽しんでくれよ!!

 なんか「まち」と似てるなーと思った。車の普及によって、昔の栄光の時代の残りカスみたいに扱われている感じが。

 僕は9月が好きだったりする。朝の散歩とか、9月あたりが一番気持ちよかったりする。ツーリングとか適度に暑い方が風を切る感じが気持ちいい。夏と秋が入り混じり、気温と気持ちの曖昧さが。
 僕は今の「まち」が好きだったりする。なんかこの混沌した感じ。実は時代を変える新しいものってこういう混沌から生まれるのかなって思ったりする。僕もまちに関わり続けたらその新しいものに関われたりするのかな
季節の変わり目を今の「まち」を楽しんでいきたい。以上、【まちと夏とわたし】でした。来週の週刊新川もおたのしみに。

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