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考察『パラサイト半地下の家族』に散りばめられた格差の暗喩とそれらが伝えるメッセージとは…

⚠️この考察では内容の詳細に触れています

🎬あらすじ
半地下に住みながら一家で失業していたキム家は日々、内職で食い繋いでいた。ある日、長男ギテクは友人からパク家の娘ダヘの家庭教師アルバイトを持ち掛けらる。

経歴を詐称し引き受けた先は、高級住宅街の中腹に位置する裕福な家だった。ギテクはパク家に気に入られたことで、今度は妹ギジョンをダヘの弟ダソンの美術家庭教師として勧めるが…


🤔考察
裕福な家族の中に入り込んでいくもうひとつの家族を通して社会的格差とその本質を炙り出す。

家族を通しての格差は生活水準だけでなく、岡の中腹に位置する豪邸に対する地面より低い半地下物件といったように物理的な高低差でも表現されている。家政婦夫婦の住処も同じく地下にある。

ここで言う格差とは裕福か貧乏かの違いではなく、公序良俗さと非道徳的な違いという側面のほうが大きい。裕福であることは公序良俗であることの副産物のようなもの。大まかに表現すると、公序良俗のパク家と倫理観の欠落したキム家の対比として描かれている。

【公序良俗とは…「公の秩序、善良の風俗」 公の秩序は、国家、社会の秩序ないし一般的利益を指し、善良の風俗は、 社会の一般的道徳観念を指す。 両者を区別する実益は乏しく、全体として社 会的妥当性を意味するものとして用いられる。 全法律体系を支配する理念を 表したもの。 略して公序良俗という。】(引用)


終盤に、庭での誕生パーティーに集まった来客達を窓から見下ろしながら長男ギウは娘ダヘに『俺はここに似合っているか?』と問う。ギウは彼らの側に立ちたいと切望しているからだ。そして大事に抱えてきた水石を持ち、地下の家政婦夫婦を消すことであちら側になろうと画策する。

元々は友人のエリート大学生が好意を寄せる娘ダヘに男を寄り付かせない為に長男ギウを“信用して”パク家に近づけた経緯がある。彼もまたキム家の前で立ち小便する男を注意する公然秩序をわきまえた側の人間といえる。そんな彼の気持ちを裏切ってダヘと親密な関係へと発展させた。


【水石(すいせき)… 山水景情石の略称。 手ごろの大きさの自然石で、観賞して山水の景情を楽しめるものをさして水石とよんでいる。 ただし、今日では水石の世界は多彩化し、かならずしも山岳や磯(いそ)などの景観を表すものに限らない。】(引用)

このように水石は金やダイヤのようにその物質自体に価値がある訳ではない。庭園を彩る価値を生むかただの石であるかの境界線は実際には曖昧でもある。それが揺れ動くギウ自身の暗喩になっていて彼がが大事に抱えていたのはその為だ。しかし最後に川に捨てられ川の石になってしまっている。

結局、家政婦の夫に梅酒入りのガラス瓶でトドメを刺されるが、ここでも床に拡がる彼の血と梅酒は水と油のように決して交わることなく、交わることのできない格差を表現している。幼いダソンが夢中のインディアンはパク家が侵略されていくことを示す暗喩。


キム家は日常的にWi-Fiを盗み、内職でも不良品は多く、タクシー運転手用の食堂に一家で押し掛け、禁煙のネットカフェで喫煙などモラルの無さが一貫してきた。家政婦夫婦は借金から逃げ、向上心も無く現状維持に満足してきた。

互いに罵り、足を引っ張り合い最後にはパク家を巻き込んで豪邸を血に染めた…。車の鍵の上に倒れた家政婦の夫にはハエが集っていたのは悪臭(風呂に入っていない等)を放っていたからだ。パク社長が鍵を取ろうとしたときにその臭いに不快な表情を浮かべ、父ギテクはそれを見て衝動的にパク社長の胸にナイフを突き立てた。

自分が臭いと少し前からから気にしていた父ギテクだが、それは不潔性の臭いではなく加齢臭のようなもの。以前、指摘された半地下の臭いと同様にこれらは欠落した倫理観の暗喩としての表現。だから自分では気付かない。

定職もなく、『息子よ』などと家長としての“張りぼての威厳”だけの父ギテクは、コンプレックスを刺激された勘違いから衝動的に刺したことで、無計画であることを信条に生きてきた末路を皮肉的に表現している。

事件後、エピソードは父ギテクの妄想だ。病院での警察に見えない男や医者に見えない男や何故か笑っている長男ギテク、現状回復している半地下など違和感を散りばめることで匂わせている。なにより、あのモールス信号は父親から送ることは出来ても受け取る方法は存在しない…。

全編を格差の暗喩的表現を重ねながらパラサイトする家族とされる家族、様々な角度から描くことで“格差が生み出す悲劇ではなく格差を生みだす要因とは何か?”を問い掛け、それを持たない人間をユーモアに見せながら痛烈なまでに批判している。つまりコメディに見せかけた風刺映画である。


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