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『地獄の黙示録』完全考察、カーツ大佐の真意から各シーンの意図まで解説
⚠️この考察では内容の詳細に触れています
🎬あらすじ
1969年ベトナム、サイゴン。特殊任務に従事してきたウィラード大尉は妻に別れを告げ、再びこの戦地へと戻ってきた。居場所を見失い、待機中のホテルの狭い部屋で酒を浴びていた彼は将官に呼び出される。
複数の上官らを前に、簡素な会食の席で任務が伝えられる。ヌング川の上流に位置する深いジャングルに囲まれたカンボジア東部、カーツ大佐はそこで前哨拠点を構築し、司令部を無視し独断で戦線を展開していた。ウィラード大尉の任務はそのカーツ大佐の抹殺だった。
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一艘の哨戒艇とフィリップ上等兵曹をはじめとする3人の部下達を与えられ、ウィラード大尉は川を遡りジャングルの深淵を目指していく…。
🤔考察
妻にも別れを告げてベトナムへと舞い戻ってきたウィラード大尉は常軌を逸した行動に出たカーツ大佐の抹殺指令を受ける。ボートをキルゴア大佐に移送してもらい、プレイガールの慰問やド・ラン橋の前哨地帯を抜け、やがてカーツ大佐の拠点へと辿り着く。
そこでジャーナリストは言った「彼は頭は正常だが魂はいかれている」と。彼の言葉は半分当たっている。二重スパイとして抹殺されたベトナム人の4名は入念な下調べを行った上で実施され、結果的に奇襲攻撃も無くなり判断は正しかった。これは正常な精神状態でなければ不可能なことだ。これはカーツ大佐の残虐性は正常な判断の元に行われていること示している。
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そして彼はかつて現地の子供達に予防接種を行ったあとにベトコンによって子供達の腕が切り落とされたことに衝撃を受けたというエピソードを語っている。本能的な欲求の前には理性的であることなど無意味であると悟る…。
思い返してみてほしい…ウィラード大尉がキルゴア大佐にボートの移送を申し入れたとき
ベトコンの拠点があるという理由で断った。しかし部下にサーファーのランスいたこと、拠点のある地域に高い波が発生する地域だと知り、翌日に襲撃を決行した。
彼は自分の欲求に対して驚くほどに従順なのだ。だから水を欲しがる瀕死のベトナム兵に水をやろうとし、そこで部下からランスがいると聞きつけるや否や、そのベトナム兵をほっぽりだしてランスの元に向かった。そして部下達が爆破で伏せる中、ひとり気にすることなく裸で波の様子を窺う。
何事にも動じることなく本能的欲求に愚直で忠実、彼の行動のひとつひとつやウィラード大尉の印象がそれを物語っている。それがキルゴア大佐の強さの要因…つまり彼の存在はカーツ大佐がベトコンに脅威を感じた強さの要因。そして伏線としての役割を果たしているというこだ。
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サーファーのランスも盗んだサーフボードでウェイクサーフィンをしたりLSDをやったりと欲求に実直だった。だからカーツ大佐のコミュニティにも彼ただ一人が溶け込んだ。ウィラード大尉がホテルで太極拳をしていたのと同じように寺院で彼も太極拳を行っている。
更に彼はフェイスペイントもしていた。全編を通してフェイスペイントをしていたのは他にカーツ大佐とウィラード大尉、橋の拠点にいた黒人兵士だ。黒人兵士の場合はアイブラックに留まっているが彼の持つグレネードランチャーはしっかりペイントされている。彼は照準を合わせることなく感覚だけで狙い的中させていた。これらのペイントはベトコンの持つ野生的な強さを視覚化したものだと思われる。
ウィラード大尉がカーツ大佐と初対面したときの言葉は「君のような人間が来ると思っていた」だ。同時にただの使いっ走りとも言い放つ…彼はウィラード大尉に自分と同じ資質があると見抜いていたが、まだ不十分であるという意味。
そしてカーツ大佐はウィラード大尉を監禁し磔(はりつけ)にして衰弱さてその後、介抱させた。何故こんなことをしたのか?
それは“欺瞞”を理解させる為だ…
【欺瞞とは、人を騙したり、あざむいたり、嘘をついたりすること。人を騙すことを目的とした行為であり、倫理的に問題のある行為を指す。】
敵拠点を攻撃したキルゴア大佐の主目的はサーフィンだ。その過程で彼は戦闘機によるナパーム攻撃を指示し沿岸部は炎に包まれたが。しかしその爆風によって波は掻き消され波は立たなくなり、ランスらにサーフボードも盗まれてしまった。キルゴア大佐からすれば損失でしかない。
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その後に給油の為に立ち寄った拠点では慰安の為にプレイメイトのショーが開催されたが兵達の舞台乱入によって中断を余儀なくされてしまった。
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その後にベトナム人のボートを発見した際、規律だからとフィリップス上等兵曹(チーフ)はウィラード大尉の反対を押しのけて強引にボートを調べたが、犬を庇おうと女が動いたことを端にベトナム乗員全てが銃弾を喰らっってしまった。チーフがかろうじて息のあった女を規律に沿って病院へ運ぼうとするも、先を急がなければならないウィラード大尉によって射殺された。
更に戦線最深部の橋では指揮官すらいない中で交戦していた。戻ったウィラード大尉にチーフは“橋を造っては壊すお偉方の遊び”だと言い放った。
その後に立ち寄ったフランス人との食事会で彼らは“太平洋戦争終結後、ベトコンはルーズベルトがインドシナからフランス人を追い出すために組織された”と語っている、ベトコンの生みの親は米国であると。
カーツ大佐の根城を前に矢が降ってきたがそれは警告としてのおもちゃの矢だったが、機銃で応戦したことで槍が投げ込まれチーフは倒れた。
これらがカーツ大佐の語る欺瞞そのものであり、この任務そのものを含めた過程も全てが目的の為に目的を失う無意味な行動といえる。それは米国がジュネーブ協定で取り決められたベトナム南北統一の実現を妨害して、南ベトナムに干渉し、かいらい政権を樹立して、解放勢力を掃討し北ベトナム政府を屈服させるために進めたこの戦争そのものにも言えることだ。
突き詰めるとそれは戦争だけでなく造っては破壊する…軍そのものにもいえることではないだろうか?
“空(うつろ)な人間たち”
“互いにもたれ合っている藁人形 頭の中には藁が詰まっている”
“干からびたうめき声は全て無意味”
“枯れ草を渡る風”
“破れガラスの下を走るネズミの足音”
“輪郭のない形”
“色のない影”
“麻痺した力”
“動きのない身振り”
このカーツ大佐の詩もまた矛盾した意味を成さない言葉たちだ。
狂気と理性の狭間でそれを悟ったカーツ大佐は誇り高き軍人であるゆえに究極の自己矛盾に苦悩する。ウィラード大尉をわざわざ衰弱させて介抱するという無意味な行動をとったのは、逃がさないことを目的としたのではなく、それを身体に叩き込むことでこの苦悩を理解させようとしたからだ。
この苦悩から解放させるために…
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序盤で流されたカーツ大佐の肉声テープで剃刀の上を這い回るカタツムリと言ったのは、本能的な凶暴性と聡明さ理性がせめぎ合っているギリギリの状態を意味している。そもそもウィラード大尉に司令部から任務が下ったのは、残虐かつ入念で正確な作戦遂行能力にベトナム軍だけでなく米軍も脅威を感じたからだ。
だが同時に写真を飾り息子を思いやる、高い人望も兼ね備えていた。それらを高い次元で両立させることこそ彼が神と崇められるカリスマ性の根源だった。そしてこのテープでも彼は欺瞞だと言い放っている。
ウィラード大尉に“この苦悩が理解できたならば息子に伝えて欲しい”という言葉からも、息子を想う父親としての側面が見られる。
やがてウィラード大尉は理解する。
カーツ大佐が感じたベトコンと米軍の圧倒的な士気の差、ベトコンの無感覚に原始的な殺人本能で殺せる資質を。
それらの前では“理性的な判断”など無意味であることを。自分達、軍人という存在自体も欺瞞の対象であることを。
空挺部隊に何度も志願するほどに、生え抜きの軍人であるからこそカーツ大佐の苦悩を解放できるのは、理解したものでなければならないことを。
斬首したシェフの首を見せたのも彼にその資格がないことを示す意図だった。
誇り高き軍人であるが故に、その矛盾に苦しみ、ウィラード大尉のような男が現れることを望んでいた。前任のコルビー大尉は彼の意に反して理解するには至らずカーツ大佐に心酔してしまった。だがウィラード大尉は違った…戦場では故郷を想い、故郷ではまたジャングルへと戻ることを考えていた。彼もまた妻に別れを告げるほどに行き場の無い苦悩を抱えていたからだ。ウィラード大尉が息の根を止めにきた最期もカーツ大佐は抵抗することはしなかった、自ら望んだことであるから…。
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『我々は若者に殺人を教える
だが彼らの上官は戦闘機の機体に“ファック”と書くことを許さない“猥せつだ”と…』
カーツ大佐が死の前に残した肉声でも欺瞞への苦悩が語られている。欺瞞という無意味に命を賭して失われてゆくのは多くの若者たちだ。
このとき牛が供物として捧げられるために屠殺されるカットが挿入されるが、それはカーツ大佐もまた同様のいわゆる神聖な行為であるという意図がある。彼にとって死は苦悩からの解放なのだ。
配下だった山岳民らは寺院の前に集まっていた。カーツ大佐の意思を理解し実行したウィラード大尉はカーツ大佐と同格の人物として認められ、皆を率いてくれることを望み従おうとする。しかしウィラード大尉はランスの手を引いて寺院を後にする。大佐が最後に残したメモを実行に移すために…。
オープニング、爆撃されて燃え盛るジャングルが天井を見つめるウィラード大尉に重なる。これはカーツ大佐のメモが実行され山岳民たちも寺院も焼き尽くされたということを示している。一瞬、寺院の一部らしきものも映り込んでいる。
結果的に米軍司令部の望んだかたちで終焉を迎えることに皮肉さも込められている。このときに流れるドアーズの『ジ・エンド』の歌詞は以下の通り
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もう終わりだ
美しい友よ
これで終わりだ
ただ一人の友よ
築き上げた理想はもろくも崩れ
立っていたものは全て倒れた
安らぎは失われて驚きは去って
もう二度と君の瞳を見ることはないだろう
心に描けるだろうか
限りなく自由なものを
あえぎながら見知らぬ人の助けを求め
絶望の大地を彷徨う
果てしない苦悩の荒野に
進むべき道を失い
全ての子供達は狂気に走る
雨の夜を待ちわびて
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この歌詞もまた結末の伏線を担っている。この後、ウィラード大尉が語っているようにこの物語は回顧録でもある。
『おれが彼の物語を伝える羽目になったのは
思えば偶然のことではなかった
彼の物語はおれの物語
彼の物語が懺悔録ならおれのも同じ…』
カーツ大佐の最期の言葉であり、物語最期を締めくくるウィラード大尉の言葉でもある“恐怖”とは人間そのものに対する恐怖という意を孕んでいる…。
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