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【蘭英紀行 7-2】ケンブリッジ、ぶらぶら散歩

 (7-1につづく)ロンドンから100キロくらい北東のスタンステッド空港に昼前についた.そこからリムジンバスでケンブリッジへ。

 友人に紹介されたカレッジのゲストハウスで旅装をとく。調度品が完備した広い居間と寝室の二部屋、それに共用の台所と食堂がある。イングリッシュガーデンではリスたちが目を白黒させながら走り回っている.じつに閑静で快適なところだ。ここに10連泊する。

 このケンブリッジという古い町には30余のカレッジがある。旧市街地の西側には有名な聖ジョーンズ、トリニティ、キングス(下の写真)、クイーンズなど、

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路地を隔てた東隣には、70年代初めまでキャベンディッシュ研究所とペンブルック(下)があったはずだ。(漱石が渡英して間もなく訪れたカレッジ、明治33年11月1日(木))

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 ゲストハウスを出て閑静な地域を歩いていくと、ほどなく数学のキャンパスにでる。このあたりを亡きホーキンス博士が元気だったころは鼻唄まじりで車いすで散歩でもしていたのであろうか.

 ここから通りを挟んだ広い敷地に現在のキャベンディッシュがあった。受付で記帳を済ませて二階の細長い資料室に入る。

 前半部は、1871年(明治4年)の創設に関わったマックスウェルのノート(購入すべき実験装置や価格表など)にはじまって、トムソンの電子の比電荷測定装置、ラザフォード所長時代の、霧箱や真空管式計数器、宇宙線観測、中性子の発見、リチウム原子の核変換など原子核物理の歴史そのものだ。

 日を改めて、X線・電子線回折、低温物理、マイクロ波天文学など後半部も見学した。ここではその一部を紹介しよう。

 まずカピッツァのヘリウム液化機が目に入る。30年代初頭のものだ。装置内部の詳細は陳列ケースの外からでは分からないが、10K近くの低温(約マイナス263度C)まで作動する膨張エンジンと最終段のジュール・トムソン弁が組み込まれている筈だ。(下の写真:Kapitza's Helium Liquefier、右の図は同氏の論文に掲載されている概略図である.)

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 ライデンの複雑で大掛かりな多段カスケード方式に比べてじつにコンパクト、本体の高さは私の背よりも低い。彼の斬新なアイデアは戦後すぐMITのコリンズによって引き継がれ、リトル社が100機以上を生産する。52年(昭和27年)金研も購入した訳だが、そのルーツがいま目の前にある。感慨深い。低温物理学をライデンの独占物から解放した歴史的なマシンである。

 隣には銅のフェルミ面の模型が置かれている。多重連結したその形状は、ピパードのマイクロ波を使った異常表皮効果の実験が決め手となったものだ。彼の肖像写真もある。苦虫を噛潰したようなその神経質な顔が、学生の頃歯が立たなかった彼の超伝導コヒーレンスに関する論文の難解さと妙に符合して、なにか可笑しい。隣の写真は好々爺然としたシェーンベルグ(下の写真)、金属のフェルミ面研究の大御所だ。1975年ヘルシンキでの低温物理の国際会議で武藤先生が私を紹介して下さったことを懐かしく想い出す。

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 カレッジでとくに印象深かったのがトリニティだ。数年前に老妻と一緒に観た、インド人数学者ラマヌジャンの映画のロケにも使われていた。雨の中で喀血して倒れるシーンや彼の神がかった定理を証明していくハーディの姿を鮮明に憶えている。

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 クイーンズでは白いクロスの上に食器を並べて晩餐の準備をしているところに出くわす。奥にあるのは教授や学寮長らのハイテーブルのようだ。また、30代の若さで病に斃れたローザ・フランクリン(註1)が学んだニューナム、芝の美しいキャンパスの奥にあるその実験棟を訪ねる。近くの閑静な邸宅地を散策しながら旧市街へ。

 途中、右手にダーウィンを眺め、ケム川の傍にある「アンカー」で冷えたビールをいただく。お気に入りのパブだ。(下の写真、ビールジョッキ3杯、チップス&フライ、烏賊天モドキ(上右)で計4千円位、意外と高値)

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(次回は最終回「ロンドンあちこち」の予定.) 

(註1)鮭の精子からファイバー状のDNA単結晶を作成、二重らせん構造の決定的な証拠となるX線回折実験を行った結晶物理学者.