![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170378235/rectangle_large_type_2_92f5221b5afbe367ea2eeceb92e7f6d0.png?width=1200)
Photo by
kesano_sora
1995年
1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災が発生した。
出勤するため起きてテレビをつけたら、黒煙がいたるところで立ちのぼる異様な光景が映っていたことは憶えている。
この年の春には、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしている。
前年11月のある出来事によって悲しみと失意のどん底だったため、無我夢中にもがいていたというか必死だったのか、後になってみると朧気な記憶しかないのが自分の1995年前後である。
あれから30年が経った。
悲しくつらい記憶は、時間の経過とともにしだいに薄れていくようになっていると聞いたことがある。
そうでなければ人は生きていけないからなのだろう。
そして、記憶の彼方で想い思うことによって、心や気持ちの中に宿る精神となり、魂は生きつづける。
逝ってしまった人がこの世に在ったことの意義のため、そう考えながら今日まで生きてきた。
観無常心
合掌