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2月23日 🇯🇵

こんにちは。

🇯🇵天皇誕生日です。おめでとうございます。

富士山の日でもあるみたいです。


富士山
先日の日帰り旅のときは、生憎雲に隠れていて姿を見ることは叶わなかったのですが、いつもどっしりと構えている姿は凛々しく雄大。

日本人の心の拠り所とされる所以ですね。

誓いの丘から望む富士山


富士山って、たぶん…

老若男女…絵心の有る無し、どんな人が描いても、↑だいたいこんな風なシルエットと色合いになるのではないでしょうか?

富士山を見ると、《山の絵》というワードが脳内に導きだされ、中学時代のある出来事が思い出されます…

昔の(戦前では無いですよ 苦笑)図画や美術には、校外へ出て絵を描く写生の時間がありました。たぶん1年に一度くらい?

メタボは幼い頃から、絵を描くのは好きだったので、写生もいつも楽しんで描いていました。

中学3年になって、美術担任に若い男の先生が赴任してきました。

度の強いメガネと目が土器の土偶に似ていたため、ついたあだ名が「どぐう」(※先生ごめんなさい!でもあだ名の命名者は自分ではありません)

美術系の授業は、センスや感性の部分は多分に関係します。
それまでの美術担任からは、大方高評価をいただいていたメタボ少年でした。

しかし、どぐう先生とは目指すものが違っていたのでしょう…1学期の成績は不本意ですがダウンしてしまいました。

社会の厳しさと不条理さみたいなものを教わったのは、まさにこの時かもしれません。
どぐう先生、ありがとうございます。 笑


さて、季節は晩秋。
写生の授業があり、題材は校庭からの風景でした。

紅葉に色づいた里山、そして澄んだ空気の向こうには連なる山々。
いつものように変わりなく、自分の見たままを描いたと思います。

後日の授業。
どぐう先生から、それぞれの絵に講評です。
メタボ少年の絵の番になりました。

「うーん、いいんだけど…冬山みたいなんだよ
  な色合いが…」

どぐう先生の講評がどうとか、その後に美大を出た訳でも無い凡人の自分が、あれこれ申しあげる気はありません。

でも、講評の言葉と光景は、あの日からとても時間が経過した今でも、なぜか脳裏にしっかりと刻まれています。 笑


誓いの丘 新田次郎文学碑


感性や感覚は、若いうちに養われるものだと思います。
我々老練者はどうしても経験則に囚われがち。

若い人の感性や感覚の気づきや成長を妨げてはいけないな〜と自戒。


今日の富士山は綺麗に青々と見えるでしょうか?

あ、青々と…という表現はあくまでメタボ個人の主観です。苦笑

 

どぐう先生お元気でお過ごしでしょうか。


それでは  🇯🇵よい祝日を。



誓いの丘







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