三鷹アサヒを中心に見るWITHステ

 今日でWITHステ千秋楽から1000日になるそうです。

 せっかくの節目ということで、ステを観て以来、ずっと彼らのことを考えて捏ね続けてきたものを、体裁を整えて公開しておこうと思い、この記事を書きました。
 これだけの時間が経っても尚、ステに囚われ続けている三鷹推しオタクの語りに、しばしお付き合いしていただければ幸いです。

【2023/12/12追記】
 WITHステ三周年ということで、「過去回想」以下の項目を追加しました。


三鷹アサヒを中心に見たこの物語のゴール


 WITHステ全体の物語は、男プリの危機をみんなのライブで救うこと、コヨイの物語は、今の自分をシンヤに認めてもらうことでゴールを迎えている。では、アサヒの場合、彼にとってのゴールは何だったのか。

 アサヒ-コヨイ間の問題は、中学二年生時点にコヨイが戻ってきてくれたことによって解決している。しかし、アサヒ自身に対する疑問は彼の中で解決していなかったのではないだろうか。
 アサヒにとってWITHステの物語は、三年前の自分の行動を改めて肯定し直すための物語だったのではないかと考える。

 WITHステ作中でアサヒは、普段の彼らしくない行動を時折見せている。
 まず、一番最初にダークナイトメアがWITHの前に姿を現した、ライブ後の楽屋での場面だ。はじめは二人に対して、親しげに「シーちゃん、モーちゃん」と話しかけに行っている。ここまでは、私達のよく知るいつものアサヒらしい行動と言える。
 しかし、シンヤの「単刀直入に言う。コヨイ、ダークナイトメアに戻ってこい」という言葉から、アサヒの態度は変わる。ショウゴに「戻ってこいって、どういうこと?」と問われた時には、狼狽えたまま何も答えられずに背を向けている。
 その結果、楽屋を出て行くコヨイと、それを追いかけるショウゴに気づくのが遅れ、取り残されそうになり、慌てて二人を追いかけていくことになってしまう。咄嗟に目を背けてしまうくらい、まだアサヒは当時のことについて向き合いきれていなかったのかもしれない。

 中二の頃の話をショウゴにしたときには、ダークナイトメアから抜けることを黙って認めてくれたシンヤについて、「意外だろ?」と言っている。意外だというのはそのままアサヒ自身の感想でもあるのだろう。
 しかし、その後すぐに「でも」とシンヤがコヨイの本当の居場所はヤミプリだ、と言っていたこともアサヒは付け加えて語る。
 アサヒは、他人のことを語るときには、基本的にネガティブなことは言わない人間のように思う。コヨイの暴れ拳銃時代のことについても、ドラマCDでは「近づけばヤケドしそうだった」などと語っているが、相手を下げるような言い方はしていない。
 少なくとも、この時のアサヒのシンヤについての補足は、ポジティブな感情からきたものでないことだけは明らかではないだろうか。「いつかきっと分からせてやる」とシンヤが宣言した“コヨイの本当の居場所”について、アサヒはそれからの三年間、ずっとどこかで引っかかり続けていたのかもしれない。

 中二の頃のコヨイは、男プリに居られない理由がなくなったから戻ってきてくれた。しかし、どちらでも好きに選べる状況でもし、コヨイがヤミプリを選んだとすれば、アサヒは何かを言うことができたのだろうか。
 キラキラや夢や愛を信じられなくなってしまったから、中二のコヨイは男プリに行けなくなった。だから当時のアサヒは、それらが本当に存在していて、信じられるものであることをショウゴのライブを見せることで証明した。

 迎えにきたということは、そこにも居場所があるということだ。
 楽屋でダークナイトメアに対し、コヨイは「ごめんシンヤ。それはできないよ。今はWITHの一員だから」と答えている。コヨイがWITHを抜けることはもうあり得ないが、WITHの一員でないコヨイならダークナイトメアに戻ることはできる、と取ることも可能な言葉だ。

 にんじゃもんじゃに向かう道中では、「大丈夫だって」「信じようぜ」「心配ないって」等の言葉をショウゴに掛けるものの、それでもアサヒはショウゴに同行している。まっすぐと評されるアサヒの性格で、言葉と行動に食い違いがあることは珍しい。だから、ショウゴにも「じゃ、なんでアサヒもここに来てんだよ! 心配なんだろ」と言われてしまっている。

 にんじゃもんじゃにアサヒとショウゴが潜入した場面では、アサヒは“コヨイの本当の居場所”“本当のコヨイ”というワードに過剰に反応しているように見える。
 潜入中に正体のばれていない二人に話しかけてきたコヨイのことを、アサヒは「マジ、コーちゃんは本当にいい奴だぜ」と言うが、このあとシンヤは「今のお前は本当のお前じゃないんだよ」とコヨイに語りかけている。まるでアサヒの言葉を否定し、追い打ちをかけているようなタイミングだ。
 そのシンヤの言葉に「なにが“本当のお前”だよ」と洩らしたショウゴが、コヨイの返答に対し、「そうだよ、それが本当のお前だよ」と言った時には、アサヒは「さっきは『なにが本当のお前だよ』って言ってた!」と揚げ足を取るように突っ掛かり、ショウゴに静かにするように言われている。“本当のコヨイ”についてずっと引っかかり続けていたからこそ出てきた反応ではないだろうか。

 にんじゃもんじゃでは何もコヨイやシンヤに対して言うことができずに、そのまま男プリに向かうことになったアサヒだったが、その後、男プリでウシミツにコヨイの居場所を訊ねられたときには、「教えないぜ!」と拒否している。
 この間でアサヒの心境に変化があったとすれば、にんじゃもんじゃでの出来事がきっかけだったのではないだろうか。

 にんじゃもんじゃに呼び出して、改めて「また一緒にやろうぜ」と誘うシンヤに対し、コヨイは「しつこいな」とうんざりしつつ、楽屋のときと同じように断っている。
 その際にシンヤに「今のお前は本当のお前じゃないんだよ! ヤミプリにいた頃のお前こそ、本当のお前だよ!」と言われており、この“本当のお前”はアサヒがずっと引っかかり続けていた言葉だ。
 しかし、それに対してコヨイは「シンヤ、今の俺も本当の俺なんだ」と答え、「俺はぬるい俺が本当の俺でいい」とまで言って現在の自分のことを肯定している。

 にんじゃもんじゃを立ち去る前に、ショウゴはシンヤに対し「コヨイはぜってー渡さねぇからな!」と啖呵を切っている。これがコヨイ以外の口から初めて出たダークナイトメアに対しての拒否の言葉だ。

 コヨイ本人の口から自身について語られたこと、ショウゴが見せたコヨイのことへの姿勢、この二つがあったことで、ようやくアサヒはダークナイトメアに対してNOが言えるようになったのではないかと思う。

 Dreaming With Youのライブで倒され、パックによる洗脳が解けた雨宮は、会えないみれぃに対しての想いを独白する。どこにいるのかも分からず、もう二度と会えないのかもしれない。そんな彼の悲痛な叫びを、一番近くで真正面から受け止めているのはコヨイだ。
 この時の雨宮は、中二のアサヒと同じ状況にある。当時のアサヒは、突然自分を突き放したコヨイに対して、今までと変わらずに接し続けた。だから、当時の不安な感情をコヨイに告げることはなかったのかもしれない。本人から聞くことのなかった言葉を、三年経った今、他人の口を借りてようやくコヨイはぶつけられることになる。

 雨宮の言葉を聞いているアサヒは、絶望している彼の言葉に「そんなことない」とでも言うように何度も首を振る。
 何度か飛び出そうとするような素振りを見せるものの、雨宮の元へ向かうまでには至らない。どうするべきか問うようにアサヒはコヨイたちを見る。そして、それに後押しされたように雨宮へと駆け寄っていく。

 「大丈夫、夢は必ず叶うよ!」の言葉は、三年前のアサヒの半年に渡る実体験に裏付けられた、血の通った言葉だ。
 きっとアサヒは、三年前の中二の自分に会えたとすれば、同じ言葉を自分に掛けるのだろう。これは、当時の自分に対しての完全な肯定だと思う。

 あの半年が正しかったのかについて、にんじゃもんじゃでのやりとりを経て、ダークナイトメアに対して拒否できるようになり(連れ戻したことへの肯定)、ラストで雨宮にあの言葉を掛けることができた(半年間の行動の肯定)ことで、三年経ってようやく解決している。
 これが三鷹アサヒを中心に見たときのこの物語のゴールだといえる。

過去回想

 この項では、中学2年生のアサヒとコヨイの過去回想についてを詳しく語っていきたい。

 ショウゴにしつこく問い詰められて、アサヒからも促され、ようやくコヨイはWITHを抜けていた中学二年生の時のことを語り始める。
 ダークナイトメアがWITHの楽屋に姿を現したあと、学校の昼休みなので、おそらく翌日のことだと思われる。コヨイはあのあとすぐには答えずに、次の日まで言い渋っていたようだ。

 これまで中学二年生のコヨイについて、ドラマCDや朗読劇、雑誌などで度々触れられることはあったが、どれもアサヒの口から語られるものであり、そこにはマイナス面が削ぎ落とされた言葉しかない。「暴れ拳銃」と呼ばれていたことくらいにしか触れておらず、少し詳しく語ったドラマCDでも「マジスッゲー熱くて、近づくとヤケドしそうだった」である。

 コヨイの口から語られ始めた中二の彼は、実家での両親とのやり取りから始まる。仕事やお茶会にそれぞれ出掛けていく両親を、にこやかに「いってらっしゃい」と見送るコヨイ。普段は寮暮らしのため、実家に帰ることは少ないだろうに、それでも両親はコヨイにかまうことはない。家に残されたコヨイはひとり味噌汁を飲むのだが、その味噌汁は減塩のものにされており、これをきっかけに上辺だけの家族のあり方にコヨイは怒りを爆発させ、「いい子」でいるのをやめることを決意する。
 その頃の様子については、アサヒ曰く「あの頃のコーちゃん、マジヤバかったよなー。アボカド中の暴れ拳銃って呼ばれててさ」「裏番? みたいな感じで、バリバチやってたんだ」だそうだ。裏番というからには、表向きはこれまで通りのいい子を演じていたのだろう。

 コヨイがダークナイトメアと出会ったのはこの頃だ。暴れ拳銃の噂を聞きつけてやってきたシンヤは名乗りを上げるや否やコヨイに喧嘩を仕掛けた。殴られたお返しに蹴りをお見舞いするコヨイだったが、それを認めたシンヤにヤミプリに誘われることとなる。
 その日、帰ってきたコヨイの怪我を見咎めたアサヒは最近の様子についてをコヨイに問う。
 「最近」と言っていることから、アサヒは今日はじめてコヨイの異変に気がついたのではなく、以前から気づいていたものの、切り出せずにいたのだろう。目立つ傷を作ってきて初めて、アサヒはようやくそのことについて触れたのだと思われる。
 現在のアサヒの暴れ拳銃についての語り方に見られるように、相手にとって都合の悪そうな話題に踏み込まないところは、この頃からそうだったようだ。

 男プリに行って気分を晴らそうと誘うアサヒに対し、コヨイはWITHを抜けることを宣言する。
 二人チームを「抜ける」と言ったコヨイだったが、この時期のコヨイはチームが人よりも場所に依存した概念になっているように思う。過去を語るコヨイも、連れ戻しに来たシンヤも「居場所」という言葉をよく使っている。当時のコヨイは、いい子でいられない自分はキラキラのある愛や夢を信じている男プリには居られない、だからWITHを抜けてダークナイトメアに入る、とでも思ったのかもしれない。

「なんで? 俺ら二人っきりのチームじゃん。幼稚園からずっと一緒じゃん!」と食い下がるアサヒに対し、コヨイは「アサヒとコヨイは! 朝と夜は、所詮交わらない。ヒリヒリして鬱陶しいんだよ! アサヒのその太陽みたいな明るさの隣にいると」と言い捨ててアサヒが呼び止めるのも聞かずに立ち去ってしまう。
 コヨイがアサヒを拒絶する際に言った「ヒリヒリして鬱陶しい」という言葉だが、アサヒについて語られたもので、この「鬱陶しい」が用いられていたことがある。アルバム発売時の森脇監督のインタビューで、アサヒは「友達思いでお節介焼き。うっとうしいくらいに!」と評されていた。彼を褒めるために使われていた言葉が、幼馴染の口から拒絶の言葉として出てくるのは皮肉なことだ。

 回想シーンはコヨイがアサヒを拒絶したところから、現在パートを挟み、半年後の二人のやりとりに戻る。役者にとっては、回想と現在で気持ちの切り替えを行わなければならないハードなシーンだと思うのだが、そのおかげで現在パートに戻った時のアサヒの台詞「あん時はマジショックだったなー!」は、笑いながら言っているものの、直前の回想での悲痛さが残った強がりのようにも聞こえる。言葉の上では割り切ってはいるが、あの時の悲しさは今でも褪せていないようだ。

 WITHを抜けてからの約半年間、コヨイはヤミプリでダークナイトメアとして活動していた。この時のことについてコヨイは「当時の俺はヤミプリだけが本当の居場所だと思っていた。なのにアサヒは、今までと変わらずに俺に接してくれたんだよね」と振り返る。
 そして、約半年後コヨイはWITHに戻ってくるが、その理由を問われコヨイは「それはアサヒと、初めて言うけどショウゴのおかげなんだ」と語り、シーンは再び回想に戻る。

 最初に拒絶されてから半年の時間が経っているはずだが、アサヒは変わらずコヨイを説得しようとし続けている。
 以下はそのやりとりだ。

アサヒ「おい! コーちゃん!」
コヨイ「しつこいな。俺はもうWITHには戻らないって言ってるだろ」
アサヒ「あーもう、ちょっとは話聞けって!」
コヨイ「これからWITHは一人でやりなよ! 俺は男プリのキラキラなんて信じられないんだ」
アサヒ「信じなくていいよ! その代わり、ちょっと付き合ってほしいんだ」
コヨイ「付き合う?」
アサヒ「いいから! 騙されたと思って! マジヤッベェーんだって! 行くぞ!」

 アサヒは、伝えなければいけない大切なことがあるときには、ちゃんと言葉を探そうとするところがある。
 回想では、ショウゴのライブについて「マジヤッベェーんだって!」と言うまでは、一度も普段あれだけ多用しているマジ、ヤッベェー、チョー、スッゲーを使っていない。慎重に言葉を選んでいる結果なのではないだろうか。
 語彙の少なさは説明をするのには不向きであるが、見せたいものを見せる相手が常に隣にいたアサヒにはこれまで必要のなかったものなのかもしれない。ショウゴのライブを見せるときも「いいから! 騙されたと思って!」とかなり強引な口ぶりでコヨイを連れて行こうとしている。しかし、言葉の上では強引なのだが、この時のアサヒはコヨイに一度も触れていない。強引に連れて行きたいなら手を引けばいいのに、アサヒは来るかどうかをコヨイに任せている。

 「信じなくていいよ!」と相手を否定しない言葉を、自分の意に反していることだとしても言うことができるのは、アサヒの優しさと強さが顕著に表れている台詞ではないだろうか。自分の意見を主張して否定するのではなく、相手に寄り添って肯定することができたおかげで、コヨイも耳を傾けようとしてくれたのだと思う。
 この言葉を言う時、一瞬アサヒは俯いて躊躇う素振りを見せ、それから叫んでいたように見えた。本当は信じてほしかったに違いないのに、それでも相手に寄り添うことを選んだのは、それだけショウゴのライブの力を信じていたからなのだろう。

 ショウゴのライブを見て救われたのは、きっとコヨイだけではなくアサヒもそうだったのだろうと思う。中学二年生にとっての半年は途方もなく長い時間だ。それでも諦めることなく成し遂げることができたアサヒは強い。けれど、ずっと共にいた幼馴染に取りつく島もなくあしらわれ続けることには傷ついていたはずだ。諦めそうになったことだってあったかもしれない。
 そんなときに出会って救われたのがショウゴのライブだったら。この光ならきっと幼馴染にだって届いてくれる、そう思ったに違いない。アサヒもショウゴのライブに救われた一人であってくれたら嬉しい。

 ショウゴのライブに出会うことができなければ、コヨイはヤミプリから男プリに戻ってくることはなかっただろう。
 しかし、中二のコヨイの、あの状況からの一番のバッドエンドがあるとすれば、それはアサヒが隣にいない状況で、ショウゴのライブに出会ってしまうことではないだろうか。
 ライブによって救われたとしても、自分が信じられなくなったものが本当はあったと気づいてしまったとき、一度信じることをやめてしまった以上手遅れで、もうそこに戻ることはできないと思ってしまいかねない。自分を守るために作った、愛や友情やキラキラは全部嘘だ、という理屈が崩れてしまったら、もっと深く絶望してしまっていたのではないだろうか。
 実際、ライブのあとにコヨイが言った言葉は「あんなアイドルに俺もなれていたら」と過去形だ。
 闇から光の側に帰ってくるためには、「じゃあ、なっちゃえばいいんじゃね」と言ってくれる相手の存在が必要不可欠だったのだ。

 以下は、小五のショウゴのライブを見たあとの二人のやりとりだ。

コヨイ「今のが小学五年生の実力、あれが本当のキラキラ。迷いも不安も苦しみも、全て包み込んでくれるような。あんなアイドルに俺もなれていたら」
アサヒ「だから、なっちゃえばいいんじゃね」
コヨイ「え?」
アサヒ「俺、コーちゃんと一緒ならマジ、チョーなれるって信じてるから!」
コヨイ「だって俺、また今みたいに悩んで迷惑かけるかも」
アサヒ「友達の悩みはマジ迷惑じゃないっしょ! それに、そん時は俺がマジ支えっから。……いやー、色々調べたんだけどさ、コヨイの『宵』! って字、夕方くらいって意味なんだって! ギリ昼間じゃん! やっぱり、アサヒとコヨイ、相性バッチリだって! な!」
コヨイ「アサヒ……」
アサヒ「うん!」
コヨイ「今からシンヤとウシミツに会ってくる! ダークナイトメアを抜けるって言わないと!」
アサヒ「俺も一緒に行くって! マジヤッベェー!」

 一緒にあんなアイドルになろう、と言うアサヒに、迷う素振りを見せるコヨイだが、それに対してアサヒは友達の悩みは迷惑じゃない、と答える。ヤミプリに行っていたコヨイに今まで通りに接し続けたことについて、アサヒは「WITH抜けたって友達なんだし、マジ!」と答えていたのだが、ここでも「友達」が理由になっている。人との関係を場所で捉えていたコヨイに対し、アサヒはずっとコヨイ個人を友達として見ている。

 半年前に言われた「朝と夜は交わらない」に対しての答えもちゃんとアサヒは見つけてきていた。そんなことは関係ないと突っぱねることもできただろう。実際、名前がそうであるからといって、当人の在り方が決定づけられてしまうことはないはずだ。
 しかし、アサヒはコヨイのこの理屈に同じフィールドに立って「宵」の意味を語ることで、コヨイを説得しようとしている。
 アサヒのソロ曲『MYCS』には「朝陽は絶対に毎日昇る オレチョースゲー!」という歌詞がある。この曲ができた時期が作中のいつ頃なのかは判明していないが、名前の持つ意味について考えたこの中二の経験から来るものであったら良いなと思う。

 余談だけれど、この回想の話をしたすぐあとのライブパートの衣装が白衣装なのは、中二の頃の二人が目指したキラキラな“あんなアイドル”を体現した姿みたいでいいなと思う。小五のショウゴの衣装も白衣装がベースになっている。ちゃんと二人の夢は叶っている、というのを見せてもらえているようで嬉しい。

 WITHのなかでこれまで家庭環境などのパーソナルな部分が描かれていたのは、アニメでもドラマCDでも、ショウゴのみであり、アサヒとコヨイの二人に関しては謎が多いままだった。WITHステで詳細な過去が公開されたおかげで、二人のこれまで知らなかった面を多く知ることができた。
 しかし、家庭の話やヤミプリ時代の話など、個人の話が開示されたコヨイに対し、WITHステで描かれた過去のアサヒの姿は、全てコヨイに関することだった。
 アサヒの家庭に関してもいつかどこかで描いてもらえたら嬉しいと思うものの、人との関わりでできているところもアサヒらしさがあって良い。

アサヒの信じる力について

 WITHステでのショウゴのライブやユメ目、ドラマCDでの男プリズンなど、大きなピンチを乗り越えるための切り札を見つけてくるのはいつもアサヒだ。ユメ目は、ユメ目の描かれた団扇を持ってくるという舞台ならではの無茶な方法だったが、その荒唐無稽さも面白い。
 どんなときでも諦めずに信じ続けているからこそもたらされるご褒美のようなものなのではないだろうか。何度でも挑戦し続けるからこそ、チャンスを掴むことができる。
 ショウゴのライブも、ユメ目も多くの人間を救うことができる。しかし、それをするのはアサヒではなくショウゴだ。アサヒはあくまでも、そのきっかけを発見し、持ってくるに留まっている。
 では、アサヒ自身は何をするのかというと、目の前のたった一人に手を差し伸べて救うことができるのが三鷹アサヒなのではないだろうか。
 中二のコヨイに対しても、WITHステのラストでの雨宮に対しても、救う最後の一押しの言葉はアサヒによるものだった。多くの人を一度に救うことはできないが、アサヒは目の前のたった一人に向き合って言葉を掛けている。だからこそ、アサヒの言葉はその人を救うことができるものになり得たのだ。
 ドラマCDでも、男プリに訪れた危機を自分のせいだと責めるショウゴに、間髪入れずに「そんなのマジ異次元! 関係ねーよ!」と言葉を掛けている。

「コーちゃんと一緒ならマジ、チョーなれるって信じてる」
「大丈夫、夢は必ず叶うよ!」
 それぞれ前述の二人を救った言葉だが、この言葉達には「信じること」が核にある。アサヒの信じる力の強さはWITHステで顕著に描かれたが、その強さはどこから来るものなのだろうか。

 思い描く未来が鮮明であるからこそ、道を見失うことがないのがアサヒなのだと考える。中二の約半年間ずっと諦めることがなかったのは「コーちゃんとまた一緒にライブできるってチョー信じてたから!」だ。
 逆に、この点が男プリステでは弱点になってしまっているのだが、そこからアサヒを立ち直らせたのも、鮮明な未来のイメージだった。

 spoon.2Di vol.44に掲載されたショウゴ誕SSで、アサヒは「この先、十年後も五十年後も、オレたちがマジじいちゃんになって、アボカド老人ホームにマジ入居しても、ずっと一緒に居ような」と未来のことを語っている。これを読んだとき、思い描く未来がはっきりしすぎていることにやや恐怖を感じたのだが、逆にここまで具体的に思い描けるからこそ、アサヒの信じる力は強いのだ。
 だから、この未来もきっと叶えることができるのだろう。

チーム名

 三人でステージに立っているときのお決まりの文句「朝から夜まで、君と一緒にWITH!」のWITHだが、ショウゴが加わる前のアサヒとコヨイ二人だけの時点で、チーム名は既に「WITH」だった。

 女子の場合、プリチケが届く時期は一般的に小学校高学年のようだ。男子のプリチケが届く時期に関する描写はないが、女子と同じくらいだとすると、二人がデビューしたのも小学校高学年のあたりだと考えられる。
 WITHステで、アサヒとコヨイの過去について知ることになったショウゴは、当時の二人と同じ中学二年生だ。これと同じように、アサヒとコヨイの二人のデビューがもし小学校高学年、さらにいえば小学五年生の時であったならば、中二の二人が見たショウゴのライブはデビュー当時の自分達と同じ年齢のアイドルのライブだったということになる。根拠はないものの、そうであればいいなと思う。

 チーム名は二人で考えたものなのだろうが、「WITH」という単語は英語が得意なコヨイが提案したものだったのではないだろうか。幼稚園からの幼馴染と二人で結成したチームの「君と一緒に」の「君」とはこの時点では、お互いのことを指す言葉だったのかもしれない。
 そんなコヨイが「これからWITHは一人でやりなよ」と言い放ったのだから、アサヒにとって手痛い言葉だっただろう。

 中二の時のコヨイのアサヒに対しての態度は、本来であれば思春期に親に向かうべきもののように見える。両親がコヨイに向き合わなかったから、一番近いところにいたアサヒにそれが向かったのではないだろうか。
 愛や夢、キラキラを信じることのできなくなったコヨイが、アサヒのことを「ヒリヒリして鬱陶しい」と感じたのは、おそらくアサヒがそれらを疑うことなく信じていたからで、そんなアサヒとの距離が近すぎたせいだ。二人だけだったから逃げ場がなく、コヨイは追い詰められることになったのかもしれない。

 アサヒにとってもまた、常に近くに居たはずの幼馴染から拒絶される経験は、自他の境界線を意識するきっかけとなったのではないだろうか。拒絶された当初は「俺ら二人っきりのチームじゃん。幼稚園からずっと一緒じゃん!」と追いすがることしかできていなかったが、半年経ち、ショウゴのライブを見せようとしたときには、「信じなくていいよ!」と本意じゃないにせよ、コヨイに寄り添うことができている。これは、コヨイと離れていた半年間でアサヒが成長した部分であるように思える。

 一度距離を置くこととなったこの時期が、結果として二人の関係性を精神的に自立した持続可能なものにしたのだと思う。

 中学二年生までの二人が二者間で完結していたチームだった場合、対照的なのはショウゴだ。ドラマCDでショウゴは自身がアイドルをやることで「世界中を幸せにしたい」と語っており、パパラ宿の男プリが危機に瀕した際は「みんな幸せでいてくれないと嫌なんだ」と叫んでいる。ここでのみんなとは、ファンもファンではない人も全てを含めた全世界のことである。現に、ショウゴは当時存在すら認知していなかった中学二年生の二人のことを救っている。
 アサヒとコヨイの二人の曲である『マジック・アワー』では、まだ三人のWITHとしての楽曲にあるチームの外への視点が歌詞に見られない。
 一度幼馴染と距離を置いたこと、そして、ショウゴのアイドルとしての在り方を見ることで、アサヒとコヨイの「WITH」は、二者間で完結していた「君と俺」のWITHから、再結成やショウゴの加入を経て現在の「みんなと俺たち」のWITHへと変化していったのではないだろうか。

番外編

男プリステ

 コヨイ中心の物語であったWITHステと違い、男プリステは誰か一人にフィーチャーするような話ではなかったが、個人的にWITHステのアンサーを貰えたと思う部分が多くあった。
 これまでWITHの物語では、中二の頃のWITHが再結成したときも、ショウゴを勧誘して三人チームになることができたのも、アサヒが叶うと信じ続けたから成せた部分が大きい。だから、もしアサヒがそうあることができなくなってしまった場合、それはWITHにとってこれ以上無いピンチなのではないか、と思っていたのだが、男プリステではそれをいい意味で裏切ってもらえた。

 CD発売時の森脇監督のインタビューで、「いつもみんなを励ますのがアサヒ」と語られているとおり、ドラマCDでも、WITHステでも、絶望的な状況でアサヒは誰よりも早くみんなに励ましの言葉を掛けている。
 しかし、男プリステでは珍しく、一番最初に弱音を吐き、励まされているのはアサヒだ。
 男プリステ中盤、めが兄ぃと合流したアサヒ、コヨイ、シンヤ、ウシミツの四人が男プリで起こっている危機について説明を受けた際、めが兄ぃは状況が悪化するのも「時間の問題」だと言っている。
 これまでアサヒは叶うと信じ続けることで夢を叶えてきている。中学二年生の時は、叶うまでに半年もの月日が掛かっている。それでも叶うまで信じることを諦めないからこそ、アサヒは夢を叶えることができた。そんなアサヒにとって、時間がない状況というのは相性が悪い。
 この時、アサヒはコヨイに「もし、俺たちがアイドルゾンビになったら、ショウゴに二度と会えないってことか?」と問うている。大切な人に会えないことをアサヒは一度経験しており、その状況に置かれた自分を想像することは容易い。だから、珍しく一番はじめに弱気になってしまっているということにも納得できる。
 しかし、今のアサヒは一人ではない。弱気になっているアサヒに対し、コヨイは男プリスナックを手渡し「絶対に三人で食べよう」「そしてまた三人でライブするんだ」と励ましている。
 中二のアサヒがコヨイを諦めなかったのは「また一緒にライブができる」ことを信じ続けたからであり、これは一番アサヒを力づけることができる言葉だ。また、思い描く未来が鮮明であるほど、アサヒの信じる力は強くなる。そしてそのことをコヨイはよく理解している。
 ショウゴの部屋で決意し、ファンの前で活動休止を宣言したときも、言葉にするまでもなく、互いの答えを分かり合っていた。かつてアサヒに対し「WITHは一人でやりなよ」と言い放ったコヨイと、コヨイが戻ってくるまでの間WITHとしての活動を休んでいたアサヒだったが、中学二年生のあの時を乗り越えることのできた二人は今、同じ方向を向くことができている。

 アサヒにとって「会う」というのは、言葉通りの意味とは少し違うもののようだ。中二の時も恐らくアサヒとコヨイは寮は同室であり、会うこと自体は毎日できていただろう。
 ドラマCDでショウゴの両親を説得する際、アサヒは「今の時代、外国に行ったら会えないなんてこと、マジないですから! この男プリのトランシーバー、プリシーバって言うんすけど、これでだって何でだって、いつだってチョー話せます!」と言っている。アサヒにとって、話したいときに話せることは会うのと同じことのようだ。
 これを踏まえると、話を聞いてもらえずにすげなくコヨイにあしらわれていた中二の半年間は会えていないのと同じであり、意思の疎通ができないゾンビになってしまうのも会えないことと同じである。

 コヨイの言葉によって再起し、復活したショウゴとも合流することができたアサヒだったが、ゾンビに噛まれてしまい、アサヒ自身もアイドルゾンビと化してしまう。何があっても夢が叶うことを信じ続けるアサヒが、ゾンビ化によって強制的にそれを封じられてしまうのは、危機的状況であると言える。
 しかし、「何があっても俺たちは戦い抜く!」とショウゴが宣言した通り、無事に再起動ライブを成し遂げてアサヒをはじめとしたゾンビ化したアイドル達を元に戻し、男プリを危機から救うことに成功している。今の二人はアサヒが弱気になっていれば励ましてくれるし、絶対に諦めずに助けようとしてくれるのだ。

アドパラ3話

 アイドルランドプリパラ3話では、WITHステで明かされていたコヨイとダークナイトメアの関係性、そしてコヨイがダークナイトメアで活動していた時期のアサヒとの関係性が、アニメで初めて描かれた。
 しかし、コヨイがアサヒとの二人チームだったWITHを抜け、ヤミプリのダークナイトメアで活動していた、という大筋は同じなのだが、細部が少々異なっている。この違いについては、同一世界線ではあるが語り手が異なるせいで生まれた差異であると考える。

 まず、アドパラ3話の脚本を担当されているのは土屋理敬さんだ。土屋さんはWITHステの脚本原案も担当されており、よってこの舞台とアニメの差異は意図したものであると考えるのが自然だ。
 そして、舞台では中二の時の出来事について、コヨイが主となってアサヒと一緒にショウゴに対して語っていたが、アニメではアサヒ一人が紙芝居の形を取って語っており、この時の聞き手の対象は不明である。同一世界線ならばショウゴは既に知っているはずなので、対象はダークナイトメアと視聴者だろうか。
 紙芝居で語られているものは、アサヒが語ってもよいと判断した出来事に限られているのではないかと思う。

 中二のコヨイが暴れ拳銃をやっていたのは、家庭の愛情の薄っぺらさから、愛や友情、夢、キラキラなどを信じることができなくなってしまったことに端を発する。(アドパラで象徴的に扱われている「キラキラ」だが、WITHステでも同じくこの言葉が取り上げられている。パンフレットの用語解説にも「キラキラ」の項目がある。)
 コヨイの積もりに積もっていった疑念が爆発するきっかけになったのが、減塩の味噌汁だ。「ぼっちゃんの健康を考えて奥様から」と出されたが、これは母親なのにコヨイが味噌汁の何を好んでいたのかすら知らない、うわべだけの気遣いである。
 これが引き金になってコヨイは「いい子」でいるのをやめることを決意した。

 本当の理由は家庭の事情にまで踏み込まないと明かすことはできないが、コヨイは信頼できるアサヒやショウゴだからこそ話したのであり、この事情について広く開示したいとは思っていないだろう。
 よってアサヒは、本来の理由ではない理屈を述べる必要があった。そこで出てきた理由が「味噌汁のぬるさ」だ。
 「ぬるい」の対義語はもちろん「熱い」である。中二のシンヤがコヨイを誘った時の文句「ヤミプリはめちゃアツいぜ」や、当時のことを語るアサヒの「マジスッゲー熱くて、近づくとヤケドしそうだった」など、「熱い」という言葉はヤミプリを象徴している。

 これが便宜上の理由であることは、紙芝居中のおそらくアサヒのイメージであるコヨイの台詞「今日も塩分マシマシだ」からも分かるのではないだろうか。詰めが甘すぎる。

 この紙芝居はアサヒが描いたものであるはずなのだが、コヨイがWITHを抜けてヤミプリのダークナイトメアの元に行ってしまった場面では、描かれているアサヒは大粒の涙を流している。
 WITHステの中二のコヨイに拒絶された回想シーン後も、まだ当時の感情を引き摺っているような様子だったが、ここでも過去を振り返る現在のアサヒは、自分の姿をこのように描いているのだ。三年経った今でも、当時の感情は色褪せていない。
 しかし、紙芝居の中で戻ってきてくれたコヨイに対し、アサヒは笑顔で「おかえり」と応えている。悲しかったという感情は消えないものの、遺恨が残っているわけではない。

 WITHステでシンヤは中二の頃のコヨイと比べて現在のコヨイのことを「ぬるい」と評している。それに対してコヨイは「誰かを傷つけるくらいなら、ぬるい俺が本当の俺でいい」と現在の自身を肯定した。
 しかし、アドパラ3話でマリオにWITHは「クソぬるいライブ」と言われてしまう。コヨイが現在の自分を肯定したのと同じ言葉が、そのまま自身のチームを貶す言葉として用いられているのだ。
 現在、ライブに乱入されステージを乗っ取られたWITHは、マリオに対して一敗を喫している状況だ。今後、アニメでこの部分がどう描かれるのかが楽しみだ。

おわりに

 WITHステ三周年ということで、現時点で自分の考えているWITHステに関してや、WITHステを踏まえて見た男プリステやアドパラについて、書けることをできるだけこの記事に詰め込んだつもりです。
 WITHステでの新曲だったオレーザービームやDreaming With Youについてなど、まだ書けそうなことが残っているので、機を見て追記していければと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございました。