10年我慢してやっといえた一言
ハチロウです。
ドリルが入院しました。
それも、2回目です。
僕の中に、焦る気持ちが強くなってきました。
あるとき、いつもどおりドリルとカツカレーを食べて、コメダ珈琲でバカ話をしていました。
何でそんな話になったのか忘れたけど、めずらしく年金の話になりました。
「オレらがおじいちゃんになったときには、年金もらえるかどうかわからんもんな~」
「せやで。僕なんか寿命短いから、年金もらわれへん可能性高いもん」
数年前なら、冗談で返せたのだけれど、僕は自分が真顔になるのを抑えられませんでした。
ドリルは糖尿病です。もちろん、ドリルの不摂生も悪いのだけれど、それだけではありません。
ドリルはⅠ型糖尿病といって、かなりめずらしい先天性の糖尿病です。
そして、ドリルほどではないけれど、僕にもほんの少し持病があり、普通の人より寿命が短いかもしれません。
僕とドリルは、あと何回こうやって、カツカレー食べてバカ話ができるんだろう。
お互い、仕事も家庭もあり、頻繁には会えないのに。
そのことに気づいてから、僕は悶々とした気持ちを抱えて、眠れなくなりました。
だって、僕には、ドリルにいわなきゃいけない言葉があるのです。
僕には、言いたくて言いたくて仕方がなかったけど、この10年間ずっといえなかった言葉があるのです。
このままでは、それをいえないまま、お別れの日が来るかもしれない。
そう思うとすごく焦る。
でも、もしこれを言ってしまうと、僕たちの友人関係が壊れてしまうかもしれない。
僕はどっちつかずのまま、焦る気持ちばかりが強くなりました。
実は僕は心理系の仕事をしていて、文章を書くのも仕事の一つです。
いままで約9冊出版をし、そのうち数冊は海外で翻訳されています。
大手雑誌に何度もコラムが掲載されています。
でも、僕はあまり文章を書く才能がありません。
僕は、努力に努力に努力を重ねて、文章の書き方を身につけました。
僕は人を感動させる文章も笑える文章も、あまりうまくありません。
そのことは、15年近く本を出版してきたので、自分自身が一番よくわかっています。
ただ、読みやすくてわかりやすい文章は、僕にも書くことができます。
伝えたいことを、ちゃんと伝えることができる。
そんなわかりやすい文章は、文章の方程式をしっかりと身につければ、必ず誰にでも書くことができます。
僕は、本当に何年も努力に努力に努力を重ねて、その技術を身につけました。
だから、僕は才能という言葉が嫌いだし、天才という言葉はもっと嫌いです。
そんな僕が、はじめてドリルの文章を読んだとき、混乱してイライラしました。
というのも、ドリルが結婚式で母親に向けて書いた手紙に、感動して泣いてしまったのです。
結婚式の手紙に感動するのは、あたりまえのことです。
一生に一度、親への感謝が詰まった手紙。
しかも、書いた本人の生い立ちを知っているのだから、感動して当然です。
でも、ドリルの書いた文章には、あきらかに素人のそれとは違う、しっかりとした技術が詰め込まれていました。
最初につかみの一言があり、起承転結のメリハリをしっかり効かせ、伝えたいメッセージがちゃんと一つに絞られている。
そのうえで、自分の体験談をストーリーとして組み立て直し、読んでいる人の心にすんなり入るよう、伝わりやすい言葉を選んでいく。
つまり、構成がしっかりとできていて、誰にでもわかる言葉で書いていたのです。
これは、普通の素人にできることではありません。
そして、なにより驚いたのは、無駄な言葉が一切なかったのです。
実はこれが一番難しくて、人間は自分の思いが熱ければ熱いほど、余計なことをいっぱい書いてしまい、長ったらしいくどくどした文章になるのです。
そういう文章は本当に読みにくく、伝わりにくいのです。
ところが、ドリルが結婚式で読んだ母親への手紙は、ほんの十行程度の、とてもとても短いものでした。
だから、そのとき、僕の頭には大っ嫌いな言葉がよぎりました。
「え?素人のドリルがこの文章を書いたの…?」
僕は感動して泣きながらも、嫉妬でイライラしていました。
「僕が何年も何年も努力して身につけたことを、こいつは生まれて初めて書く文章で、こんなに上手くできるのか!」
僕は悔しくてイライラしながらも、「まあ、ただの偶然かもしれないし…」と、自分の心をごまかしました。
それから9年が経ち、僕は一昨年から、ほんの少しだけれど、文章を教えるようになりました。
教えるとなると、文章の書き方を誰にでもわかるように、体系化しなければなりません。
僕は努力型の人間なので、ものすごく時間をかけて、練って練って練りに練り上げ、文章の技術をまとめました。
すると、どうしてもドリルのあの手紙が頭をよぎります。
「あんなもの、ただの偶然なわけがない!!!!」
文章を書く技術について考えれば考えるほど、ドリルの手紙はただの偶然だと、自分の心をごまかせなくなってきます。
ドリルは儲け話が好きで、しょっちゅういろんなことに手を出しています。
でも、成功して儲かったという報告は今のところ聞いたことがありません。
だから、ドリルの儲け話を聞くたびに、
「いやいや、お前はその両手にとんでもない才能を持っているのに、なんでそれを使わないんだよ!!」
と心の中で思っていました。
でも、男同士って不思議なもので、なんとなく人の仕事に口出しをするのは御法度というか、マナー違反な気がするのです。
それだけではありません。
僕は、子供の頃からずっと母親に言われてきた言葉があります。
「あんた、友達とは一緒に仕事したらあかんで。
最初はよくても、お金が絡んだら友情にひびが入るからな。
友達とは仕事したらあかんねんで」
僕の祖父も父も自営業で、その姿をずっと見てきた母だからこそ、僕にそれを伝えたかったのでしょう。
だから、僕は大人になって独立するとき、一人で仕事をはじめました。
それからこの15年間、仕事とプライベートの友人関係は、きっぱりとわけていました。
それは正しかったと、いまでも思います。
そんな気持ちが絡み合って、僕は10年間、ずっと思っていた言葉を、口に出すことができませんでした。
そんな中、
ドリルが入院しました。
それも、2回目です。
「オレらがおじいちゃんになったときには、年金もらえるかどうかわからんもんな~」
「せやで。僕なんか寿命短いから、年金もらわれへん可能性高いもん」
いま41歳の僕たちは、あとどれくらい、一緒に時を過ごせるのだろう。
「もし、死ぬまでにドリルにあのことを話さへんかったら、一生後悔するんちゃうやろか?」
それから数ヶ月が経ち、僕はドリルに電話をしました。
カツカレーを食べて、いつものコメダ珈琲にいきました。
「あのさ、noteって文章を投稿するサイトがあるねんけど。
お前のまわりって、変わった人いっぱいおるやん。
そういうの文章にしてみいひん?
実名出したらやばい話もあるから、ギリギリ嘘じゃない話って感じで。
文章を書く人たちの中には、1000本書いたら出版できるってジンクスがあるねん。
一人やったら無理やけど、二人やったら絶対できる!」
コメダ珈琲で一緒にアカウントを作り、ペンネームを決めました。
ハチロウは高校時代のニックネームのまま、ドリルは好きなゲームの超必殺技の名前です。
ドリルはとても不安そうで、最初の一本目は僕が書くことになりました。
初めてのスキはすごく嬉しくて、初めてのコメントはすごくドキドキして、なんて返事をしたらいいのかわからず、二人で相談しました。
僕たちは気がついたら、子供のときのように、毎日電話するようになりました。
ドリルはいつの間にか、僕より熱中して書くようになりました。
先月、僕には子供ができて書く時間がなくなり、その分、ドリルがたくさん書いてくれました。
そして僕よりも、ドリルの方がたくさんコメントをもらうようになりました。
3日前、僕たちは100日連続投稿を達成しました。
100本目にドリルが書いた「親孝行って何かを母と息子に教えてもらった」3部作は、完全に僕を超えていました。
僕は、悔しくて悔しくて、仕方ありませんでした。
でも、嬉しくて嬉しくて、仕方ありませんでした。
僕たちは100日連続投稿記念に、コメダ珈琲でシロノワールを食べました。
「100日連続なんて、一人やったら絶対に無理やったよな」
「せやで。すごいことやで。いつもやったら、食べ過ぎるなよっていうけど、今日は甘いもの食べようぜ」
帰り道、僕の事務所に寄りました。
二人で僕の本棚を眺めました。
「あのさ。45歳くらいを目処に、一緒に仕事できるようになりたいねんけど…」
僕は、10年いえなかった言葉を、やっということができました。
僕もドリルも、これからたくさんのことを学ばなくてはなりません。
僕はしばらくnoteを離れ、新しいことを立ち上げるため、学ぶ時間に費やそうと思います。
ドリルもきっと、いろんなことを学びに行くはずです。
僕は、いまから45歳が楽しみで仕方がありません。
この話の本当度。99%
本当は1000本なんてどうでもいいし、出版なんてどうでもいい。
本なんて出版しなくても、物を書く力があれば、今の時代、必ず食っていくことができる。
だから、ドリルがその気になってくれたら、それだけでよかったのです。
僕はドリルの実力を、いつも自信なさげにしているドリル自身に、証明したかっただけなのです。
だから、-1%。
僕は暇があれば、また書くと思います。
ドリルがギリ嘘を続けるかどうかは、ドリル次第です。
仕事をしながら子育て、そこに勉強もはじめたら、なかなか書く時間がありませんから。
でも、僕たちハチドリが45歳になったとき。
必ず頂点をとることを約束します。
だって、一人ではできないことも、二人ならできるのだから。