『金色のガッシュ!!』が思ってたんと全然違った
『金色のガッシュ!!』を完全版で読みました。
連載終了から16年経って一から読んだわけですけど、読む前のイメージと違うところがたくさんありました。
読む前は
人間と人外の100組バトルロイヤルファンタジー
主従別離感動ドラマ×100詰め合わせパック
ぐらいに思っていたのですが、全然甘かったですね。そこはまだ浅瀬だ。
今回は個人的に好きなペアを個別に取りあげて「金色のガッシュってこういう漫画だったんだ!?」を語ったり、そういうの関係なく「コイツら大好きすぎるんだが!?」を告白したりします。
よろしければどうぞ。
※1000年前の魔物編まで読んだ時点での感想noteはこちら
ガッシュ&清麿~こんなにも『王』に真摯だとは思わなかった~
私はガッシュの演説が好きだ。
世界もリィエンも見捨てないと叫んだガッシュが好きだ。
明日を怖がっていたティオに明日を約束したガッシュが好きだ。
王様になったガッシュ・ベルと王様に導いた高嶺清麿が大好きだ。
先ほども言ったように「100組バトルロイヤル×100通りの主従別れ感動ファンタジー」ぐらいに私は本作を考えていました。
つまり、勝者が魔界の王になる要素はノーマークだったんですね。あくまでバトルと主従ドラマがメインで、王ってのはトロフィーぐらいの意味しかないんじゃないかと。
でも読み終わったいまは真逆で、『金色のガッシュ!!』はガッシュ・ベルが王様になる神話だったと感じています。王様とは強いだけではまったく足りない。王様として何をしたいか、民を惹きつけるモノはあるのか、どうしようもない理不尽とどう向き合うか。
『金色のガッシュ!!』はガッシュに何度も「王とは何か?」を突きつけます。この漫画は"王"という概念にものすごく真剣でした。とても過酷な王の試練を、ガッシュはもがきながら打破していきます。
その姿に何度も「ガッシュ!王になれ!」と応援しましたし、彼がちゃんと魔界の王になって『金色のガッシュ!!』が幕を閉じたのは本当に嬉しかった。
そして、ガッシュの王道を支え続けたのが他ならぬ清麿です。ガッシュが王様なら、清麿は王を導く魔法使いだったのかもしれません。こう書くと『アーサー王物語』みたいですね。バオウ・ザケルガはさながら岩に刺さった聖剣でしょうか。
その清麿なんですが、実は彼に言いたいことってあまりないんですよね。清麿はずーーーーーーーっとただただカッコよすぎて「カッコイイ!!!!!!」しか出てこないんです。心が小学1年生になっちゃう!ガッシュとのコンビネーションも「王の資質」であえてガッシュに委ねる後方導きパートナー面も全部しびれる!えっちらオットセイ!なんだったんだよアレ。
しいて言えば、リオウ戦でガッシュを置いて自分だけ死のうとしたときは「オイコラ高嶺!!!」でした。なぜガッシュのパートナーが高嶺清麿以外に務まると思ったのか。水をあげる役目をまっとうしてほしいんだが?ちゃんと復活してじょうろで水ドバドバしてくれたから許すが…。
このように少年漫画主人公コンビとして100億満点のガッシュと清麿にも平等に別れはやってきます。激しい戦いの果てに最後の1組となった2人は、いよいよその時を迎えました。
バックに仰げば尊しはずるいよ。
とくに「あおげばとうとし 我が師の恩」のくだりがずるい。つまりガッシュも清磨も相手を「我が師」だと感じていたのでは?清麿がいなければガッシュは王になれなかったでしょうし、ガッシュがいなければ清麿は才能に振り回される人生を送っていたかもしれません。お互いが恩師であり生徒だったのです。
友情だけではくくり切れない2人の関係を最後の最後に「仰げば尊し」でまとめるこの手腕。これが16年経ってなお語り継がれる少年漫画か。
ブラゴ&シェリー~こんなに王になってほしいライバルがいるとは思わなかった~
ブラゴが王になってくれなくて本当に哀しい!!!!!!!!心がふたつある~~~~!
ガッシュが王になってくれて嬉しいのは本心ですが、それ以上にブラゴが王になれない現実が重く苦しいです。当初は強さだけを絶対視していたブラゴはシェリーとの日々を通して、厳しく民を導く王の器を育みました。
特に印象深いのがこのセリフ。パートナーを救うためにゾフィスを力で屈服させたブラゴの姿に、私はまぎれもない王の風格を見たのです。どっかに魔界の半分をくれてやろうとか言ってくれる竜王いないかな。おまえを追いだしてガッシュとブラゴで統治するから。
ガッシュのやさしい王様とは異なる、厳しい王をめざしたブラゴ。彼の歩みは、最大のライバルと雌雄を決する最後の戦いまでたどり着きます。
ブラゴがガッシュと対等なライバルとして決着をつけたのは、2人がめざす「王」に優劣がないからではないでしょうか。「やさしい」も「厳しい」も王の在り方として間違っていない。ただ、ブラゴは一歩届かなかっただけ。
彼の王道が物語に否定されることなく結末を迎えてくれたのが救いです。
その結末でシェリーに向けるこの言葉!!!最初は「なんで人間なんぞと組まなきゃならん」とか言ってたんですよこの黒い奴!!!
このシーンのポイントって、本を持つシェリーの右手を握っているところだと思うんですね。そんなことをすればシェリーは本を落とすしかなく、敗北が決まります。王への道が途絶えるわけです。
なのにあえて右手を握ったのは「よくやった、十分だ」と臣下をねぎらう敗走の王そのものに見えます。勝鬨を挙げる王はカッコイイですが、敗北を認める王もまた美しい。ライバルとして最高の負け方じゃないですか?
ブラゴの労いを受けて号泣するシェリーにも心を揺さぶられました。幼馴染を救ってくれた恩人を王とすると誓い、足手まといになるまいと懸命に食らいついたシェリー。あの涙には彼を王にできなかった不甲斐なさと「幸せだった」と認められた喜びが同居していたんじゃないでしょうか。
ブラゴとシェリー、とてもすばらしいライバルでした。ただ強いだけでなく絆の在り方もガッシュ&清麿に劣らない崇高さです。2人の関係はとてもひと言ではまとめられないですが、しいて言うなら王と家臣、いやあるいは…おっとこんなところに『金色のガッシュ!!20周年ありがとうなのだブック』掲載の金色のガッシュQ&Aコーナーが
公式がブラシェリ限界強火勢か?
そういや完全版のおまけでも「男と女のラブゲーム」替え歌を2人にやらせてたな。なに?どういうことなんですか雷句先生?
キャンチョメ&フォルゴレ~彼らが強いとは思わなかった~
見る目なし男か?
完全に騙されましたね。だってチチをもげだの鉄のフォルゴレだのキャッキャしてた男の本性が暴の化身だったなんて思わないじゃん!!!!
しかも暴力を悔いるあまり理想で本来の自分を抑えこんでいる二面性あり男なんてわかるわけないだろ!!!!!なんてトリックスターだよ!ありがとう鉄のフォルゴレ!
と、いうわけでこのペアには完全に掌の上で踊らされました。キャンチョメが最強の魔物になる、というのは知っていたのですが、そこからフォルゴレの過去とともに「強いってなんだろう?」を問うエピソードになるとは思わなかったです。
考えてみればキャンチョメとフォルゴレはずっと「強さ」がテーマのペアでした。キャンチョメは自分の弱さに辟易していて、心の底では「強くなりたい」といつも願っていました。一方、フォルゴレは特別な力がなく(と見せかけて実際は暴力の男だったわけですが)ともみんなを笑顔にする、戦いには使えない強さを持つ男です。
そんな2人が、暴力としての強さに向きあわざるをえなくなったのが、シン・ポルクをめぐる騒動だったように思えます。作品全体の話になりますが、この作品はペアごとに課したテーマの一貫性がとてつもなく強固です。今回は項目を設けられなかったティオと恵は「明日」、アースとエリーは「死」が出会いから別れまで繋がっていましたしね。
ところでフォルゴレがあんなに大事な話をキャンチョメに教えなかったのででしょうか?本当に後悔していて語りたくなかったのか、自分を英雄として慕っているキャンチョメにそんな過去を知ってほしくなかったのか。シン・ポルクを得る前にカバさんのお話を知っていれば、キャンチョメはどうしていたのか?いろいろと考えてしまいます。
ゴーム&ミール
キャンチョメ&フォルゴレの直後にゴームとミールを語るのは、この場面がとても大事だからです。キャンチョメを語る上でゴームはの存在はとても大きいし、ゴームの物語にキャンチョメは絶対に欠かせません。
初登場であんなに不気味だったゴームも、シン・ポルクの前では赤子同然。精神崩壊寸前まで痛めつけられたゴームは、小さい子どものように怯えきってしまいます。そんなゴームを救ったのが他でもないキャンチョメです。
フォルゴレに諭されたキャンチョメは、シン・ポルクでゴームにお花畑を見せてあげます。ついさっきまでライオンでしかなかったシン・ポルクがカバさんにくるっと反転するんですね。
そしてゴームとキャンチョメは友達になる約束を交わします。その直後にクリアの狙撃によってキャンチョメの本が燃やされ、ゴームはミールとともに逃亡する…そういう流れです。敵であるゴームを倒せずキャンチョメが魔界に帰ってしまった以上、この場はキャンチョメとフォルゴレの完敗といえます。
しかし、この後にゴームはクリアに戦いを挑みます。「キャンチョメを消させない」そんな想いを抱いたゴームは無謀な反乱を起こし、魔界へ帰りました。結果的にゴームもキャンチョメも退場したわけです。ならば、2人の戦いは痛み分けなのでしょうか?
私はキャンチョメの勝ちだと思います。自分の牙(シン・ポルク)にゴームがとまったのですから。大好きなフォルゴレと同じスターになれたんですよ、キャンチョメは。
あのお花畑が巡りめくってゴームの反乱を引き起こし「クリアはロッキー山脈にいる」という情報を引き出した。仮にシン・ポルクでゴームを倒していた場合、クリアがどこに潜んでいるかわからないまま決戦となります。はたしてガッシュたちはクリアの居場所を探しながらシン・クリアを凌げたでしょうか?
何度でも言いたい。キャンチョメは勝ったのです。
ゴーム反乱の流れですと、パートナーのミールもいい味出していたと思います。魔界でも独りだったからこそ世間を知る機会もなかったゴームに「ろくに世間を見てねえクソガキが」と涙ながらに説教するミールには、彼女なりの情が見えました。結局ゴームに付き合って痛い目を共有するあたりも含めて、とても面倒見がいいパートナーでしたね。クリアをロッキー山脈に置いてった情報も含めると影のMVPではなかろうか?
追伸:最終回でキャンチョメとゴームがパピプリオも合わせてトリオになってるの本当にありがとう
バリー&グスタフ~王になれずとも答えを得るキャラがいるなんて思わなかった~
このコンビは登場回から気になっていたので、ファウード編で参戦したときはテンションが上がったのをよく覚えています。
力はあるのに王のビジョンがなかったバリーは、ガッシュを殴れませんでした。やさしい王様をめざすも力が足りなかったガッシュは、バリーに勝てませんでした。正反対の欠落と結果を抱えた2人です。
この至上のライバル関係に思わず昂る私。この2人が再会したらどうなるかな!?激アツな再戦!?それとも共闘!?アッ、ファウード編にバリーの関係者出てきたぞワーイ!
全部違った…………。
全部違ったけど最高だった……………………。
ガッシュと別れてから「強き王」を求めるバリーの旅路は過酷を極めました。強豪エルザドルを筆頭とした死闘の数々はバリーを高みへと引き上げ、自分を変えたガッシュへのこだわりを「小さい」と断じるほどに大きくなります。ふたたびガッシュの前に現れたバリーは、間違いなく王をめぐる戦いの優勝候補でした。
そんなバリーがガッシュのために身を投げだした瞬間の驚きたるや。ガッシュよりも読者よりも誰よりも、バリー自身が驚いていましたね。王になるために成長したはずだったバリーの心は、王より尊いものを見つけていたのです。
あの日は殴れなかったガッシュを躊躇なく殴り飛ばした瞬間、人間界でのバリーの物語は終わりを告げたのでしょう。殴れなかったものを殴れるようになったんですよバリーは。
さて、『金色のガッシュ!!』は100組の魔物と人間が戦う王の座を掛けてバトルロイヤルです。ですが、実際に読んでみると王より尊いものを見つける魔物が意外と多いことに気づきます。
先ほどのキャンチョメはカバさんの強さを見つけましたし、ウォンレイはリィエンとの愛、ウマゴンはすばらしい人を背に乗せて走る誇らしさ。そしてバリーは王を殴れる自分自身。王になれなかった彼らの戦いは無駄ではなく、ちゃんと意味があったのです。彼らが得た答えをじっくり描いてくれるこの作品は、とても丁寧なお話ではないでしょうか。
その後にガッシュを殴り飛ばして先へ行かせたバリーに敬意を表して「王をも殴れる男になったぞ」と告げるグスタフも忘れられません。彼がいなければバリーは王になれなかった自分を悔いたかもしれないし、なによりあそこまで強くなれなかったのでしょう。ところでガッシュを殴った直後に「王を殴れる男」って声かけるのよくないですか?ガッシュを王と見たんですねグスタフは。
殴れなかったものを殴って幕を閉じたバリーとグスタフの日々。とても綺麗な幕引きでしたが、どうしてもすっきりしないことがあったりします。
マジでグスタフさん普段なにやってんの?陸軍元帥閣下?
テッド&チェリッシュ~『金色のテッド!!』が読めるなんて思わなかった~
この2人だけ魔物同士ですが許してくださいますか許してくれますねありがとうグッドテッド。
それでテッドとチェリッシュなんですけど、この人たち出る漫画を間違えてないですか?
というのも、テッドが出張ると『金色のテッド!!』が始まっちゃうんですよね。
それぐらいテッドとチェリッシュの関係性が強固ですし、ヒーロー&ヒロインとして完成されている。この2人だけで単独の漫画できるだろってぐらい世界観がガッチガチ。
まずテッドですが、王になる戦いで人間界にやってきたのに目的が「チェリッシュを守る」一択でまったくブレません。戦いを始めるずっと前から王より大事なものを見つけている系漢です。あの小さな体でメンタルが完成されきっている。
一方、チェリッシュはボロボロです。魔界にいた頃はテッドの憧れの存在でしたが、人間界ではリオウやゼオンといった強者に蹂躙され、恐怖を刷り込まれてしまいます。
守りたい女がいる年下漢、見る影もなく弱ってしまった年上女。2人はファウードの体内で再会を果たします。
主人公の背中だろそれは。
ヒロインの泣き方だろそれは。
テッドの強固すぎるメンタルの原点がチェリッシュなのもお前らヒーローヒロインだろポイントが高いと思います。
強いチェリッシュを知っているからこそテッドは目の前のチェリッシュを諦めずにいられるし、傷ついても立ちあがれる。そんなテッドの眩しさに、チェリッシュもまた自分を取り戻していきます。互いが互いを照らす太陽だったのですね。この2人だけで感情の永久機関が完成しとる。
主人公が如き活躍を見せるキャラが多い『金色のガッシュ!!』ですが、テッドとチェリッシュはその中でも群を抜いて「主人公とヒロイン」の魅力を見せつけたキャラではないでしょうか。
欲を言うなら『金色のテッド!!』はもっと見たかったぜ。尺としては第232話~236話のわずか5話しかないんだぜ。たった5話であの濃度!?再会~別れのキスまでたった5話!?
ロデュウ&チータ~ギャグ落ちドチンピラがこんなカッコよくなるなんて思わなかった~
これが、
こうなってから、
こんなカッコよくなることあるんだ。
レイン編で初登場した頃から、憧れないタイプの悪者としてガッシュたちを妨害してきたロデュウ。言い分けの余地がないチンピラっぷりに「こいつは魔界に帰ってもいい奴だから」ポイントを溜めつづけます。
やがて復活した清麿&ガッシュの練習台となり、ついにはヒンドゥー教に出てくる神様みてぇな化け物によってザケル顔ギャグ落ちと相成りました。
そんなチンピラが第268話ではまさかの大立ち回り。ファウードの力でボロボロに崩壊する体をも厭わずゼオンへの攻撃を試みます。勝ち目がないのはロデュウ本人が一番わかっていたでしょう。
それでも地獄のような痛みに耐えながら「ムカツクゼオンをぶっ飛ばすんだ」と吼えたのです。自分の主はあくまで自分でしかない、そんな意地を感じさせてくれました。
ロデュウの反逆にもっとも驚いたのが、パートナーのチータです。顔の傷のせいで思うように生きてこられなかった彼女の目に、自分を貫こうと死に向かうロデュウの姿はどう映ったのでしょう。
あるいは、ロデュウは自分の死に様をチータにどう見てほしかったのでしょうか。別れた後のチータが心配だったから言いたいことを言ってやった、と考えるのは少しロマンすぎるかなぁとも感じたり。
ただの悪役でしかなかったロデュウを魅力的に見せるだけでなく、パートナーとの親愛や別れも描く。それをたった1話に凝縮されたせいか、この2人は強烈に印象に残りました。でも読み返してみると「ロデュウとチータって最初から仲はいいね?」なんて納得させられる場面も多く、とても作りこまれたペアだったようです。チータが顔の傷を晒しながら生活してる後日カットあるのいい…。
ロデュウ&チータもそうですが、『金色のガッシュ!!』は話が下るにつれて悪役もパートナーと強い絆を育んでいますよね。ストーリー序盤は相手を利用してやろうと企むペアがたくさんいました。しかし、この過酷なバトルロイヤルではその考えはむしろ甘いのです。1000年前の魔物編で「魔物とパートナーは信頼関係がないとまともに戦えない」を何度も強調していたのはこのためなのかもしれません。
ゼオン&デュフォー~ラスボスじゃないとは思わなかったしこんなに仲良しだとも思わなかった~
本作でいちばん予想をひっくり返されたペアです。ゼオンとデュフォー。
ゼオンは冷酷非道な悪魔で黒幕だと思っていたし、デュフォーは無垢な戦闘マシーンにしか見えなかったし、戦力では圧倒的だけど互いを道具としか考えていない不和を清麿とガッシュの友情コンビネーションに突かれて「こんなはずではああああああああ!!!」と叫びながら消えていくそういうラスボスだと思ってました。
ご覧。悪魔のように黒く地獄のように熱く天使のように純粋で愛のように美しいゼオンとデュフォーの関係に「こんなはずではああああああああ!!!」と叫んでいる人だよ。
ゼオンとデュフォーをひと言で語るなら"同類"でしょうか。2人とも行動原理に憎悪が根ざしており、渇望を満たすためなら世界を壊す蛮行もためらいません。
ゼオンは家族との関係で、デュフォーは数年に及ぶ人体実験で。特異すぎる出生のせいで2人は歪みきってしまい、誰も共感できないだろう憎しみを抱いていました。
だからこそゼオンとデュフォーはパートナーになれた気がします。他の誰にも理解できない相棒の憎悪を、同じ憎悪を抱く自分だけは共感できるからです。世界にふたりぼっちのパートナーだったんじゃないでしょうか、彼らは。それこそガッシュと清麿にも劣らない運命の相手だったと思いたいです。
「ゼオンとデュフォーはめちゃくちゃ通じあってるコンビ」と知ってから本編を読みなおす作業のまぁ味わい深いこと味わい深いこと。
個人的に大好きなのが、ファウードの正体を2人が共有したこのシーン。初見ではなんてことない黒幕の会話でしたが、改めて読むと
アンサートーカーのデュフォーがゼオンに「今までと違う景色が見られるのか?」と問いかけている=ゼオンに"答え"を期待する信頼
デュフォーの曖昧な問いに即理解者微笑み面を見せるゼオン
デュフォー同様「今までと違う景色を見る」と誓うゼオン
マッッッッッッジで仲良しだな君ら!!!!!
もっとこの2人が日常を過ごしているシーンいっぱい見たかったなぁガッシュがバルカンで遊んだり清麿が身体測定したりするああいうタイプのシーンとかさてか普段どういう会話してんの?スーパーでカゴ台車押しながら「デュフォー、かつお節」「もう入れている」とかそういうやりとりなかったの?いやあったわ。あったことにする。やったぁ!あったんだ!
憎悪で繋がったコンビと語ったばかりでなんですが、デュフォーがゼオンと別れてから愛を理解する流れも美しいんですよね。
憎しみから始まった関係でも情は芽生えるし、家族になれる。最初はラスボスだと予想していたゼオンとデュフォーの結末は、あまりにも堂々とした"愛"の証明でした。いや本当にこの2人が六畳一間アパートでだらだら同棲するだけの話どっかに転がってないですか?
ダニーーーーーーーーーーッ!!!~見たいシーン全部見せてくれるなんて思わなかった~
もうペア縛りとかそういうのなくなるんですけど許してくれますか許してくれるねありがとうグッドダニーーーーーーーーーーーーッ!!!
「いやもう新呪文でどうこうできる話じゃないだろ…」そんな絶望すら感じさせたラスボス戦ことクリア完全体とのバトル。読者のどうすんだよこれを完璧なかたちでブチ抜いてくれた興奮たるや。清麿がジオルクを唱えた瞬間から脳内を『カサブタ』が支配しました。
私としては、助っ人の一番槍がダニーというのもぐっときます。
ダニー退場回でこんなこと言っていたので。
兄貴分ダニーが弟分ガッシュのピンチに参上する…誰もが夢想し、タンクトレーラーが奪い去った未来が最後の最後に実現してくれたのです。本当に見たかったんだこれが。
ダニー参戦のみならず、金色の魔本はたくさんの「見たかった」を読者に見せてくれました。
レイラ・パムーン・ビクトリームの1000年前トリオ合体技
テッドの突撃とそれを援護するチェリッシュ
バリーとガッシュの共闘
生命を守るやさしい力を使うコルル
ラスボスに一泡吹かせるキャンチョメ
これらは、いずれも人間界の戦いでは叶わなかった幻のシチュエーションです。「もうあのキャラは退場しちゃったしな」と諦めていたような展開も、そもそも「見たい」と言語化できていなかった夢も、金色の魔本が叶えてくれたのです。
そもそも敗北=物語からの退場が常のバトルロイヤルで、過去キャラを活躍させるって難しいと思うんですよね。でも過去キャラが最終決戦で大集合するのは少年漫画の王道です。このジレンマを解決し、ご都合主義と思わせない勢いと熱を叩きつけてきた『金色のガッシュ!!』。クライマックスまで「思ってたんと全然違う!」漫画でした。
おわりに~こんなに面白いとは思わなかった~
私は『金色のガッシュ!!』を熱いバトルと主従の別れがメインの少年漫画だと読む前は考えていました。
『王』にこんなに真剣だなんて想像できなかったし、別れ以外のシーンで感情を揺さぶられるなんて想定外だし、感想文を書かずにいられない漫画とは思いもしなかったのです。
長年愛されつづけるのも「ウヌ!!!」なすばらしい漫画でした。これを思春期に読んでいたら、少年漫画へのハードルが上がるなど大変になっていたでしょう。大人になってから読んでよかったかもしれません。
でもあの頃からの読者は15年越しの「また会おう!ガッシュ!」が果たされた感動を味わったんですよね。おめでとう!本当によかったですね!
それでは今回はこのへんで。ではまた。
これ投稿したらガッシュ2読みます。対戦よろしくお願いします。