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いつになったら楽をできるのか?INTJ

楽を先延ばしにする現代人。
誰かが楽をすることに対して、世間はあまり良く思わない。みんな楽をしたいと思っているはずなのに。。

中学2年生のとき、担任の教師に、今勉強を頑張って、後で楽をすれば良い。というようなことを言われた。勉強して、一流大学を経て、上場企業にでも就職できれば、以降の人生は楽をできるということなのだろう。

半ば担任の言葉を疑いつつも、競争に駆られて、がむしゃらに学業に打ち込んだ。結果的に国立大学に合格して、上場企業にも就職した。

先生の言った通りになった。だが、肝心な「楽をできる」というのは真っ赤な嘘だった。

上場企業に入ったけれど、全く楽ではない。むしろ出世争いや、人間関係がゴチャゴチャとしていてカオスだ。会社にもよりけりなのだろうけれど。

そして、会社で周りを見渡せば、あいも変わらず、「あそこまで行けば楽をできる」と信じてこんで、必死で出世しようとしている人たちが大勢いる。

だから私が中学から就職までに味わった絶望は、正に人生の縮図だ。「あそこまで行ったが、楽ではなかった」これが一生繰り返される。

現代には「楽を先送りにする文化」が根づいている。楽を先延ばしにして、みんな馬車馬のように働いて、社会が豊かになったという側面はあると思うのだけれども。

楽をさせない原因は何か?
基本的に人間は楽をできない生き物だと思う。楽をしようと「スローライフ」的な生活を送ろうとしても、どこかむず痒くなって、逆にストレスが溜まる。おそらく根源的な欲望として、人間は向上心というものを持っている生物なのだと思う。それにはほとんど逆らいようがない。だからあえて「楽をする」必要はないのだと考えている。

資本主義社会というのは、こういった人の本質を上手く利用した仕組みなのだと考えている。

だが、この向上心というものを利用した仕組みによって、苦しんで、心を病む人が大勢いることも事実だ。

競争の弊害
競争は人を狂わせる諸悪の根源だ。社会を急速に発展させるパワーを秘めているが、そのパワーによって心がズタボロになることもある。ある意味、競争は心のドーピングだと考えている。

競争化社会の中では、そのヒエラルキーの上位を目指そうすることを良しとされる。また、競争をしたくない人も、「誰かのために」といったような道徳による正当化によって、結果的に競争を強いられる。

自分が納得していないことも、自分が搾取されているということも薄々気がつきながら、社会の歯車には逆らえず、やむを得ず従うこととなる。


まずは精神的に離脱する
起業や投資によって、経済的に独立することが、競争から逃れるためのベストな手段なのだと思う。だがそれらは一筋縄ではいかない。

だから、まずは精神的な独立を試みた。「出世や地位、ステータスのようなものを、いかにして価値なきものに変えていくか?」というテーマを自分に与えた。

その方法はと言えば、そんなに難しいものではない。冒頭から書いてきたようなことを思考して、知識を身につけたことだ。「あそこまで行っても楽をできない」ということや、社会を豊かにするために競争を強いる仕組みが作られているということ、馬車馬のように働いて得をするのは私たちではなく、基本的に経営者や株だけで生活しているお金持ちであるということ。などを知ればある程度、競争することにばかばかしくなれる。

競争することにばかばかしくなったあとは、頑張りたいように頑張ることができる。自分のうちから湧いてくるような向上心に耳を傾けやすくなる。そうやって自分の歩き方と、自分のペースを掴んでいけば良いのだと私は考えている。

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