米公開草案をダシに、分析的実証手続の行く末を考える
0.はじめに
どうも、はちけんです。
先月(2024年6月)に、PCAOBからAS2305(分析的実証手続(以下「分手実証」)に関する監査基準)の改正プロポーザルが公表されました。概要は既にてりたまさんが紹介してくださっているので、本記事では、てりたまさんとは違った角度からプロポーザルの「読みどころ」を示し、分手実証の将来についても考えてみたいと思います。
なお、分手実証の位置付け等について、文献調査等の裏付け無く記述している部分があることをご了承願います。記事における見解は筆者の私見であり、過去・現在・未来の所属組織とは関係ありません。Page**は、プロポーザルでのページ数を指します。
1.読解の補助線 なぜテクノロジーの発達が基準改正の動機になるのか?
プロポーザルでは、テクノロジーの発達が基準改正の文脈として強調されている。しかし、分手実証とテクノロジーとは、どのような関係があるのか?例えば、テクノロジーの発達によりデータ収集・加工が容易になれば、再計算が可能になるので分手実証はお払い箱になるのではないか?いまなぜ分手実証なのか?
この点を理解するため、監査手続における分手実証の位置付けについて振り返ってみよう。ご存じの通り、監査手続のうち、実証手続は詳細テスト(test of details)と分手実証(substantive analytical procedures)に分かれる。分手実証は、典型的には支払利息・(減価)償却費・人件費の実証に使われてきた。
これらの科目は、概して、主観的な(見積りの)要素は含まず一意に定まり、基礎データから比較的単純な算式で求められるものの、多くのデータ収集と個別の計算を要するという性質を持つ。ただしリスクも低く、労多い計算を監査人が行うことの見返りも少ない。そこで監査効率化のための便法として、基礎データからの推定値と会社計上額との比較だけ行い、乖離が小さければ「実証されたことにする」手法を、監査手続として正面から認めたのだろうと思われる。実際、表計算ソフトも未発達の時代には、監査効率化のために頼れる手法だっただろう。
一方で、詳細テストを行わなくても「実証」したことになるという特徴から、悪く言えば「面倒な詳細テスト(突合や再計算)を省略して作文で手続きを済ませる」手法として重宝されるという側面もあった。また、許容値の適切な設定や再計算との関係について理論的な曖昧さが残っている(例えば、推定の精度が上がると許容値は下がると考えられるが、精度極大といえる「再計算」から監査上の建付けを「分手実証」に変えるだけで監査差異としての集計要否に違いが生じるのはなぜなのか?)。
このような状況で、PCAOBが監査法人への検査(inspection)で分手実証の文書化不備を指摘した結果、大手監査法人では2010年代中盤までに法人メソドロジーで分手実証の利用を禁止するなどの対応が採られ、分手実証の利用は減少した(Pages 39-40)。
しかし近年、テクノロジーの発達で利用可能な企業データが飛躍的に増大したこと、また分析ツールの能力が向上したことにより、大手監査法人で分手実証が新たな文脈で使われるようになった(Pages 37-40)。具体的には、ERPから入手できる多種多様なデータをもとに収益を推定する、といったアプローチである(実際、プロポーザルには収益への分手実証の適用について何度も言及がある)。PCAOBで先行して走っているTechnology-Assisted Analysis Projectでは、特検リスクについて分手実証のみでは不十分という規定を外せというコメントもあったという(Page 56)。
一方でPCAOBは、多種多様なデータを推定に利用しても、データ自体が外部情報により検証されていなければ、また因果関係のロジックが語れないならば、推定方法がいかに精緻でも適切な実証とはいえないのではという懸念を持っている。今回の改正提案は、このような懸念から、分手実証の利用を牽制する方向で行われている。
2.提案の読みどころ
前節の補助線を踏まえると、プロポーザルの諸提案も統一的に理解することができる。
分析的手続における外部情報の検証
今回のプロポーザルでは、AS2305だけでなく他の監査基準の一部についても改正提案が出ている。そのうち特に重要なのは、AS2301.40A(分析的手続の性質)の改正提案である(Pages 18, 59, A2-2)。提案では、分手実証を含む分析的手続に当たって対象が外部からの情報(information…from one or more external sources)に依る場合、監査人に外部情報の検証(examining)を要求している。これは、詳細テスト(test of details)でなくても、何らかの外部情報の検証が必要と明記するもので、前節の「面倒な部分を省略できる」かのような分手実証の特徴をはっきりと否定するものである。これは現在の大手監査法人のメソドロジーにも採り入れられていないと解説されている(Page 37)。
また、「十分に納得感があり予測可能な関係」の識別(AS2305.05; Page A1-2)や閾値を超えた乖離の評価(AS2305.09; Page A1-3)に当たっては、「質問だけで済ませない should extend beyond inquiry」ことが明記された。これは必ずしも現行基準からの要求強化ではないが、手続の必要性を明白にする方向の改正であるといえる。
循環実証の禁止
循環実証(circular auditing or circular testing, Page 14)の禁止も同趣旨である。ただし、てりたまさんの「検証する対象と同じシステムから出力されるデータを、インプットとして使ってはいけない」という表現は、誤解が含まれているように思われる。公開草案の該当部分は.07の “The auditor may not develop the expectation using the company’s amount or information that is based on the company’s amount” (Page A1-3)であるが、これは推定値の算出に推定対象自体を利用することを禁止しているだけである( “the company’s amount” の定冠詞にも注目。Pages 17, 24-5も参照)。販売手数料の例も、販売手数料を売上高の推定に用いるのは、情報システム上販売手数料が売上高から計算されている場合は不適切であるというだけ(Page 13)で、プロポーザル全体としては、むしろ外部情報を検証すれば利用可能というトーンである。
十分に納得感があり予測可能な関係の識別
プロポーザルでは現行AS2305に対して「十分に sufficienty」が追加され、要求水準が上がった。この提案も、回帰分析のみに依拠した推定を牽制するものと理解できる(Page 23)。なお、ここで識別される関係は2つ以上になることも想定されているが、それぞれが「十分に納得感があり予測可能」を満たすことが要求されている。
3.今後、分手実証はどうなるのか?
このように、プロポーザルは近年出現しつつある実務を牽制するもので、分手実証の積極的な利用を促しているわけではない。それでは、監査法人において、今後分手実証は再び使われなくなるのか?
ここでは、そうならない可能性もあることを強調したい。ここで注目するのは、プロポーザルに含まれる牽制以外の要素である。特に、プロポーザルでは、鍵用語である会社数値(company’s amount)を、意図的に生数値以外の比率等も含むように定義している(Page 20)。これは、期待値を科目数値だけではなく比率などを「推定」対象とする分手実証の柔軟な利用を正面から認める意図があるようにみえる(この点、てりたまさんが「許容できる差異の金額を設定する」と訳したのは、このニュアンスを汲み切れていないのではと感じる。なお、現行ISA520には既に比率への言及がある)。このほかにもプロポーザル内では、科目数値全体ではなく部分的に分手実証を適用する可能性、その場合の許容値設定などを論じている。他にも複数の分析的手続や詳細テストとの組み合わせなど、監査法人が実証レパートリーの一つとして利用しつづける余地を残そうとしているのではと思う。AS2305.10で虚偽表示の評価規定を設けた(Page A1-4)のも、分手実証を特殊な場合のみ使える結論ありきの手続きとしてではなく、詳細テストと同列の実証レパートリーの一つとして正面から位置付ける方向に誘導するものと解釈できないだろうか。
4.その他
プロポーザルには、Economic Analysisと題した節があり、基準を改正した場合の監査人のコストや品質への影響(メリット及びデメリット)、他の規制手段との比較など、主に定性的ではあるが詳細な分析が行われている。また、分析のなかで研究者の論文も多く引用されている。これらは、基準作成主体のアカウンタビリティ遂行・学術的な知見の政策への取り込みという点で、見習うべき所があると感じた。
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