令和3年公認会計士試験体験記(9/9):補論
※本記事は、こちらから始まる会計士試験体験記の一部です。全体の目次はこちらで見られます。
9.補論
体験記の補足として、関連して考えたことを、3点に分けて記す。
9-1.記事作成で「心掛けた点」について
体験記の「はじめに」で、体験記作成に当たって「アドバイスよりも参考情報の提示に重点を置くこと」「批判的な視点を保つこと」を心掛けたと説明した。この二点について補足する。
第一に、本記事では自身の体験を「勉強法」として抽象化・規範化することをなるべく控え、事実の提示に重点を置いた。別記事でも触れたように、記事作成者は、大多数に条件抜きで広く当てはまるような「勉強法」の存在に懐疑的である。他者の体験記に学ぶ際にも、参考にしたのは専ら事実の部分であり、「おすすめの勉強法」部分はむしろノイズであることが多かった。
「勉強法」の議論はしばしば論理が飛躍し、かつ、証拠に乏しいが、発信側がそれに気づきながら(目立つため?140字に収めるため?)大きな主語で言い切るのなら論者の誠実性に疑問符が付くし、議論の欠陥に気づいていないのなら論者の分析能力(個人的経験・確信を相対化する能力)を疑わせる材料になる。複数資格取得や上位合格等を(「とりあえず関心を持ってもらうため」以上に)過度に強調するのも、論者が「肩書」で他者に影響を与えようとする姿勢を有することを示唆するため、これも警戒材料となる。
「勉強法」語りは合格者や講師等「上位者」「経験者」が気持ちよく行うものというイメージがあるが、妥当な議論を立てるのは結構難しく、実は発信側の評価を下げ、かつ他者の人生を歪めるリスクも伴う行為といえる。一方で受け手の吟味が甘ければ、効果の無い又は負の効果を持つ勉強法にコミットすることになる。「勉強法」をめぐるコミュニケーションは、発信側・受け手側双方の能力が問われる、緊張感のあるやり取りといえよう。
一方で、既に体験記が多数存在するところに体験記を追加する付加価値は、何らかの意味で既成の議論と違う点にあるとも言える。実際、記事作成者はいくつか公認会計士受験業界での「常識」とは異なる(というと大げさだが)アプローチを採っていたので、それらの点について、読者の常識を揺らし、考えの種food for thoughtを提供することも意図していた。この為には生の事実だけでなく、ある程度抽象度を上げ「自身の有効と考える勉強法」として提示し、違いを目立たせる方が、伝わりやすいかもしれない。ここでは、自身の「勉強法」が個人を超えて妥当する可能性もあると考えるものの、その条件は特定できていないし証拠もない、という状況が生じている。
この状況に対し、本記事は以下の方針を採った。(1)基本的には、読者が推論するための材料=事実の提示を主眼とする。(2)その上で、出来合いの「勉強法」と違いそうな部分については記事作成者が有効(もしくは有効でない)と考えた理由も都度説明する。ただし議論の射程が特定できておらず、証拠もないため、妥当性の判断は読者に委ねることを同時に強調する。
第二に、本記事では批判的な視点を保つよう心掛けた。記事作成者は会計士試験のための予備校として「資格の大原」を利用し、そこで受けたサービスには基本的に感謝している。しかしそのことは大原が無謬・完璧であることを意味しないし、その点を率直に伝えることも読者に役立つと考えている。
予備校はよく「合格者の声」を自社サイト等に載せる(第三者媒体にも、自社サイト掲載の合格者宣材写真を使わせたりする)が、監査のアナロジーを持ち出すまでもなく、予備校のコントロール下で当該予備校に都合の悪い事実の開示は期待できない。また、直接予備校のコントロール下にない体験記(個人ブログ等)でも、自身の利用した予備校を相対化できていないものが間々見られる。しかし、完璧なサービスはそうそう存在しないのであって、過度の帰属意識の表明や批判的視点の欠如は論者の分析能力を疑わせるし、もしくはそのような心理を生む傾向が当該組織にあるのではと疑わせる材料にもなる。もちろん利用したサービスを非難すれば良いという訳ではなく、指摘の妥当性が問われる点は、いうまでもない。批判的な視点の例として、(主張には同意しない点もあるが)クレダネ氏の記事を挙げておく。
(帰属意識が影響する具体例を挙げる。これは合格者体験記ではないが、昨年12月に、会計士試験受験生による「正直合格率なんてどうでも良く、自校の所属生に限らず全受験生に向けた心のこもったエールを発信してくれる先生達だからついていく」旨のツイートに、当該予備校講師3名を含む100近くの「いいね」が付く、という事象があった。
「合格率を気にしない資格予備校生」という倒錯は、第一義的には経営戦略の成功を現すものであり、当該受験生の個人要因よりも、経営学や集団心理学によって説明されるべき現象のように思える。差し当たり、当該予備校は受験指導が「合格可能性の向上」だけでなく「自分に真摯に向き合ってくれる(ように見せる)」というサービスも売る感情労働でもあるという点を再発見し、後者の側面にSNS等を利用してレバレッジを利かせることで効率的な収益化に成功した、と解釈できるだろう。
なお、「全受験生に向けた」の部分も、実際には、ツイート主が利用する予備校は(他予備校と同じく)自社が関連するサービスや所属受験生アカウントを選択的に紹介しており、(そうではない、となるべく思わせることも含め)自社のビジネスに有利な限りでSNSを利用していると評価できる。無意味に敵を作らないために「○○所属の受験生の皆さん~」ではなく「受験生の皆さん~」と表現する、又は「○○所属の受験生に限らず~」と枕詞を付す、程度の配慮を全受験生向けのメッセージと解釈するのは、帰属意識による認知の歪みといえよう。)
批判的な視点を保つよう心掛けたのは、上述のように予備校選択時の情報として役立つだけでなく、自身の利用した予備校にフィードバックすることで、受験生の利用できるサービスの質が総体として高まるとともに、試験合格者の供給構造が健全に保たれることを期待するからでもある。
先日、某予備校の代表が「合格者数1,000名」を目標とすることを公言していたが、これは私企業の利益追求(もしくは、ビジョンの追求)が必ずしも全体の利益と整合しない典型例といえる。国家資格合格者の供給が、特定個人が大きな影響力を持つ特定企業によって占められるという事態は、実現すれば「構造」にとってリスクであると言わざるを得ない。
ここで重要なのは、当該個人の資質に問題があるからリスクなのではないという点である。国家資格合格者の大多数に「教育」という特殊な関係を通じて影響を与えうるポジションの個人が出現すること自体がリスクなのであり、その人物が(たまたま)優れているからといって構造にリスクが無いということにはならない。どんな優れた業績のある個人でも物議を醸すことはあるし(最近の例はこちら)、そのような場合に「教え子」が(そうでない者に比べ)当該人物の擁護に回る割合が大きいことも、広く観察される傾向といえる。
(なお、さらに個人的な印象を述べると、当該予備校代表の自己啓発系ツイートは総じて凡庸であり、経営者としての能力は感じるが知的な深み・魅力は感じない。ただし、意図してか「天然」かは判然としないが、キャリアポルノに未だ耐性の無い会計士受験生のボリューム層には「刺さる」言説として調製されている、という気はする。)
特定予備校の独占が望ましくないとすれば、現実的には複数の予備校による寡占を期待することになるが、他予備校講師や(チューターとして)他予備校合格者を引き抜く行為はサービス提供主体間で資源が移動するだけなので、受験生が享受できるサービス全体の質・量は大して増加しない(尤も当人達は、移籍先で潜在能力がより十全に発揮できた等主張するだろうが)。やはり各予備校のサービスの質が持続的に向上し、競争が続くことが肝要であり、サービスの質向上のきっかけとして、批判的なフィードバックを行うことが有用であると考えた。
9-2.試験勉強と監査業務について
監査法人に入所して数か月という時点だが、試験勉強と監査業務がどのような関係にあるのか少し考えてみたい。まず、「入所一年目は監査調書の作り方等全く分からず、成果物にも大量のレビューコメントを付けられ、試験合格で多少伸びた鼻っ柱を叩き折られて現実を知りおとなしくなる」といった言説を検証する。
調書作成に必要な知識は、実は大半が試験勉強で学習済のものといえる。「目的(特定アサーションの検証)と実施手続を論理的に対応させる」「虚偽表示を見つけたら影響額やリスク評価への影響等について文書化する」等の基本動作は監査論で既に学んでいるはずなので、それら基本動作が知識として馴染んでいれば、入所直後から出来ても不思議はない。減損の監査手続等、より深い会社理解が必要な領域もあるが、新人は通常そのような科目を担当しないので新人が調書を作れない理由にはならない(新人担当科目でも会社理解が深ければ増減分析コメント等もヨリ深度ある文書化ができるが、これは監査経験豊富でも新アサイン先なら同様なので、新人特有の理由ではない)。社会人マナー的な部分は学生・新卒には多少壁となるかもしれないが、慣れるのに通常そんなに時間がかかる訳でもない。
適用するルールも会計基準として一通り学習済であり、例えば一般事業会社における「新人は業界について知り、標準業務の手順を一から学んで、社内外に人脈を作らないと仕事にならない」等といった事情は生じにくい。「調書作成に必要な知識のうち、試験勉強で習得し得ない知識は何か」と問うてみると、大したものは意外と思い浮かばない。調書完成に係る時間の見積りやそれに基づく優先順位の設定などは確かに経験が役立つだろうし、監査契約から報告書までの具体的な段取りや必要書類等、実務で初めて学べる有用な知識・スキルも多いのだが、多くはプロジェクトマネジメントに係るものであり、調書作成自体に必要な知識ではない。調書の体裁を整えるためにファームのポリシー・マニュアルに合わせる必要はあるが、ファームのポリシーが会計基準・監査基準に反することは無く、差分の習得にそう時間はかからない。
つまり、調書作成に必要な知識の大部分は監査基準・会計基準といったローコンテキストな知識であり、それらが試験勉強で身についているほど、よりスムースに実務に入れる。入所後に調書が作れないというのは、自戒をこめて挑戦的な言い方をするなら、試験合格までに習得できたはずの知識を遅れて学んでいるだけ、という側面があるのではないだろうか。もちろん試験合格までに会計基準・監査基準について完全な知識・理解を得ることは不可能であるし、記事作成者も日々学んでいる最中なのだが、「実務でなければ学べない」知識ではない。
また、「企業法の知識は入所後にあまり使わない」という言説も聞いたことがあるが、これについても入所数か月の経験からは異なる印象を持っている。企業法の習得は、監査業務において、少なくとも二つの点で役立つと思う。
第一に、直接的に被監査会社の法令違反発見に活かせる。被監査会社の会社法・金商法違反というのはそこまで稀でもなく、知っていれば指摘できる。記事作成者もこれまで複数件の発見がある。監査報告書発行前に発見できれば、被監査会社の不利益を未然に防ぐことができる。また、合同会社などは試験上マイナー論点ではあるが、投資ファンドのスキームに用いられたりと実務で出てくるので、これも監査上決して無駄な知識ではない。
第二に、間接的に会計論点検討調書の作成に活かせる。法律も会計監査もルールの適用・解釈であり、法的な論証と会計論点検討とは似たところがある。事実の整理、(会社)主張の確認、適用する条文・基準の指摘、妥当性の検討といった基本構造は共通であり、法律論証の「型」の抽象度を少し上げれば会計論点検討調書に応用できる。記事作成者も、これまで簡単なものだが複数の会計論点検討調書を作る経験があり、「企業法の要領で」書こうと意識することで作成が楽になった実感がある。
というわけで、現時点では、「試験勉強は、やった分だけ監査業務でも報われる」という感触を持っている。
9-3.勉強法と「専門家」について
最後に、「勉強法」について、会計士受験業界ではあまり触れられない観点からの問題提起をしたいと思う。
世間では、ルールを決めて色ペンやマーカーを使い分けてテキストを加工する、自身で凝った暗記用まとめシートを作る、テキストを断裁する、等々の勉強法が紹介されている。各人が納得していれば外部がとやかく言うことではないが、ここでは「その勉強法を専門家になった後でも続けるのか?」という点の確認を促したい。
例えば、記事作成者は学生時代に「緑色のペンは問題の所在」といったルールを決めて運用していたことがある。自分がルールに慣れるので確かに見返すとき視認性が高まるのだが、(出先での読書など、何らかの理由で)ペンを持ち歩いていないときに対応できない、図書館資料など線が引けないものに対応できない、といった例外が多くなりすぎて破綻した。「緑色ルール」に慣れすぎて、それが適用できない場合に違和感を感じるようになり、却って資料処理の効率が落ちたのである。専門家になっても通用する勉強法の習得という観点からは、(自分が想定するキャリアで)様々な環境変化や例外にも対応できる方法であることが望ましい。
凝った反復用教材の自作や断裁などのアイデアは、「試験のための勉強」と専門家としてのその後の勉強を、断絶したものとして捉えている節がある。専門家になった後も知識は不断に更新・獲得していく必要があり、効率的な暗記や深い理解が必要な場面も出てくるが、その際に、都度断裁等を行うのは現実的でない。予備校が提供してくれるような、一冊に全て正確な情報が集約された便利なテキストも、「ポケコン」や「コンサマ」も通常存在しないのであり、各所・各媒体に散らばった大量の情報を寄せ集め、正しいものを識別して覚えるべきものを選ぶような作業になる。「コンサマ」的な教材が学習に効率的なのは「他者が用意してくれる」ことが前提であり、それを自分で一から作ろうとすると、おそらく費用対効果が逆転する場合が多い。また、ルーチンに刷り込まれてしまうと、(冗談でなく)「凝った反復用教材を自作しないと理解・暗記しにくい」体質に変化する可能性もある。そうなると、第三者からは非効率的にみえる勉強法が、移行コストのため本人にとっては合理的・最適な選択であり続けるという状況が生じる。
「受験予備校」という限定された環境なら効率的かもしれない勉強法に過剰適合すると、専門家になった後にはそれまでの勉強法をいったん忘れunlearnて、再度、知的生産の方法論を身に付け直すことになる。公認会計士の場合、修了考査まで予備校に頼れば、専門家としての方法論確立はさらに遅れることになるだろう。
試験勉強と専門家としての勉強は別物と割り切るのも一つの立場ではある。合格後に想定するキャリアプラン(例えば、合格時点の知識で処理できる定型的な業務で数十年食べていくつもり、起業するので知識習得への時間投資は最小限にするつもり、等)によっては、上に描写したような不定形的な問題状況下の学習法を身につける必要が低い場合もあるだろう。また、試験勉強と専門家の学習との共通点ではなく、相違点を強調する立場も十分に考えられる(例えば、一度専門家になった後は大量の知識をまとめて暗記する場面は少なく、「実務」を通じて学べるから、受験時の勉強法は受験のみに役立つ方法で構わない、等)。
結局は各人の判断によるのだが、ある勉強法を取り入れる際に、自分はどのような専門家になりたいのか、その将来像と勉強法はどのような関係にあるかは、予め考えておく方が良いと思う。
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