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会計士試験に合格したみなさんへ


1.はじめに

 どうも、はちけんです。会計士試験合格おめでとうございます。てりたまさんのお誘いで、今回のリレーメッセージに参加しました。#43の監査役ニュース(大杉 泉)さんからバトンを引き継ぎ、#44番目の走者を務めます。
 まずは自己紹介します。合格年次は2021年で、みなさんに近いです。30代までは会計と無縁でした。論文試験では運よく総合3位をゲットし、補習所の卒業時にもD賞をいただきました。現在、修了考査の結果待ちです。
 ツイッターのアカウントを持っており、会計のことを時々つぶやくほか、noteでも記事を書いています。例えばこんな記事です。

 今回、何をどう伝えるべきか悩み、リレーメッセージ全体のバランスも考えた末、狙って挑発的に書くことにしました。違和感や反発を、思考の種food for thoughtとして楽しんでもらえるとうれしいです。

2.合格が「意味しない」ことを把握しよう

 試験合格によって、あなたのキャリアは合格しなかった場合に比べて安定するでしょう。しかしそれは、あなたの将来にわたっての会計・監査能力が証明されたからではありません。将来の相対的安定は、一時点での成績で失効のない免許を付与する現行制度のおかげで、監査という規制産業の既得権者となった結果です。また当然ですが、試験合格でみなさんの道徳性や人格が証明されたわけでもありません。一般的な判断能力が、非合格者と比べて優れているわけでもありません

 なにより、知識は放っておけばどんどん劣化し、抜けていきます。試験で測られたものは、数か月~数年と少し長めの「一夜漬け」(と運)であり、瞬間風速でしかありません。このことは、各人の地頭に関係なく当てはまります(*1)。継続して知識を使い、身体化しなければ、瞬間風速は瞬間「最大」風速になるでしょう。
 実務を経てある程度身体化され、多少抜けにくくなっても、知識自体が基準改正等によりどんどん陳腐化します(*2)。卓越を特に目指さず一線で働き続けるだけでも、知識の継続的なアップデートが必要です。
 そのような専門家としての勉強法/知識習得法は、試験勉強を通じては必ずしも身に付きません。現在の会計士試験では、予備校が教材・カリキュラムを全て用意してくれるため、基本書を読む必要すら無かったでしょう。難度ではなく性質に着目すれば、予備校での資格試験勉強は、(専門家としての基礎体力作りに有効ではありますが)調理されて目の前まで運ばれた流動食を流し込むだけの「作業」です。
 職業として専門性を維持し高めるプロセスは、前提条件が根本的に異なります(そもそも教科書が無い、やるべきことが暗記ではない、など)。言語習得など「効率的な試験勉強」と前提条件が比較的近い場合は、応用が効くかもしれませんが、それとは異なる専門家としての知識習得/創造ノウハウは、試験勉強では身に付いていないでしょう(*3)。
(勉強法と「専門家」の関係については、以前にこちらの記事でも触れています。受験勉強の「その先」を経験していない学生が、受験勉強に最適化された勉強法にoverfitし、普遍性が高いものと熱弁する様子には、若さを感じます。)

 加えて現在では、生成AIによる職務への影響を真剣に見定める必要があります。JICPAは、"会計士"の仕事がAIに奪われるという予測に反発し、2020年に理化研との共同研究レポートを公表しましたが、生成AIの登場で再度前提が変わりました。2023年のOpenAI社研究者らの論文では、公認会計士を含むホワイトカラーの方がより生成AIの影響を受ける可能性が示唆されています(*4)。この論文での分析対象はあくまで「影響を受ける可能性Exposure」なので、スコアの高い職業が消滅するという議論ではありませんが、公認会計士の仕事が大きく変質し、知識習得の内容・方法でも対応を迫られる可能性は高そうです。

 ここまで専門知識の維持更新の大変さを強調してきましたが、なお、みなさんが知識を維持しようとしまいと、(AIの影響は予測しがたいものの)安定して食べていける可能性が高いでしょう。今後会計監査実務につかず、簿記3級~2級並みのあやふやな知識しかなくなっても、周囲の人々は肩書に敬意を払ってくれます。価値の低いアドバイスでも、受け手がサービスの質を判断できないという情報の非対称性により、報酬を受け、感謝され、それなりの充実感を得られるでしょう。これが、既得権益の効果です。
 会計士資格取得で人生が安定し、リスクが取れるという良くいわれるメリットは、裏返せば、努力しなくても食べていける、ということでもあります。後者は制度へのフリーライドですが、資格予備校が推奨する、効率重視で専門知識に冷笑的な態度と地続きであり、現代社会の基礎的な価値にも根ざしているため、完全な否定は困難です。みなさんは、自分なりにこれら複数の見方の間でどう折り合いをつけるか、悩み続けることになるでしょう。

 以上、合格が意味「しない」ことを露悪的に描写してきました。続いては、これら現実への対処法を考えてみましょう。

3.一人前に近づく方法を考えよう

 専門家としての今後の知識習得は、試験のためでも、修業期間限定で行うものでも、他人と競うものでもありません。日常に組み込んで、継続的に行うものです。
 体系的に議論する用意はないので、この記事では、個人的な経験で有効と感じるものから限定的に紹介するに留めます。

3-1.情報収集のデッキを構築しよう

 専門家のコアとなる会計関連知識については、情報収集のデッキを構築しましょう。積極的に巡回しなくても済むように、RSSフィードやツイッターでのフォロー、メールマガジンの登録など、情報の側から入ってくるように仕組む工夫が効果的です。以下、自分の例を紹介します。
 歴史と定評があるブログは小石川経理研究所でしょうか。ほかに武田雄治さんブログ江黒さんブログなどがあります。ツイッターでは、先の小石川経理研のほか、ありゃりゃ会計開示情報などが会計情報を発信しています。他にも各会計基準設定主体や規制当局(ASBJ、JICPA、SESCなど)がアカウントを開設しています。大手監査法人は、月刊でメールマガジン(EY情報センサートーマツ会計情報 / メールマガジンなど)を発行しています。合格者のみなさんなら、JICPAのメルマガも登録できます。
 定期刊行物で自分が毎号目を通すのは『経営財務』『旬刊経理情報』『企業会計』『會計』です。丸善リサーチも登録しています(現在はまだラインアップが税理士向けですが)。他には日本語、英語の会計系学術誌に加え、『税務弘報』『法学教室』『ジュリスト』『法律時報』『経済セミナー』『東洋経済』『ダイヤモンド』『Voice』『世界』『思想』『現代思想』辺りの特集や記事タイトルをチェックしています(実際に読む記事は少数です)。新聞は、日経と他全国紙1紙を定期購読しています。
 書籍は、中央経済社の新刊情報をウェブサイト(ビジネス専門情報Online)でチェックし、大部分を購入しています。ほか税務経理協会、同文舘出版、国元書房などのホームページを巡回していますが、書店の陳列で知ることも多いです。
 調べものはふくふくさんのツイッター投稿が参考になるほか、国会図書館のサービスが見逃せません。著作権の切れた書籍(旬のリース関連で例を挙げれば、演歌歌手兼会計学者の嶺輝子著『アメリカリース会計論』)が自宅で読めるなど、非常に充実しています。ぜひ利用を勧めます。
 デッキは確立したものではなく、自分の関心に応じて変わっていきます。現在は英語圏情報(新刊書籍や経済ニュース)や自然科学動向への感度を高めようと見直し中です。

3-2.本を読もう

 専門家としての知識習得に一番有効なスキル・習慣は、読書だと思います。本を読みましょう。
 動画でも十分に知識習得できるとお考えかもしれませんが、基準等の一次資料は文字情報ですし、動画では視覚・聴覚情報が加わるため、自分のコントロールできない意識下の影響を受けるリスクが文字情報よりも高くなります。議論を批判的に吟味することも、文字の方が効率的です。
 G型L型で悪名(?)高い冨山和彦氏の言葉も紹介します(自分は氏の主張にすべて賛同はしていませんが、良き思考の種だと思います)。

SNSの時代なので短文の読み書き能力は放っておいても向上するが、ビジネスパーソンに問われる能力は、相当量のファクトを認識し整理し、一定の思考フレームワークを選択し、それらを当てはめて論理を構築する、さらにわかりやすく表現する能力だ。……ここで重要なのは、人間にとって読んで理解できないものを書くことはできないということ。だからそれなりの長文を読んで理解する能力がないと文章は書けない。そこで本を読むこと、長文を読むこと、それもできるだけいろいろな文章を読むことが大事となる。今まで読んだ量が少ないと思っている人は今からでも遅くはない、とにかく濫読せよ、である。……日本の大卒サラリーマン、特に文系のほとんどは長い文章を読む力が決定的に足りない。(pp.195-7)

冨山和彦、2024。『ホワイトカラー消滅』東京:NHK出版。

 自分はというと、合格から約1年経った頃に、こんな記事を書きました。

 時間確保に慣れてきたので、現在の読書ペースは当時より上がっています。数を追うなという警告は常に胸にとどめる必要があるものの、質に転化するまで、ある程度の絶対量は必要でしょう(*5)。それに、ストックで勝る先達にせめてインプットと思考量で勝らないと、さらに離されるのではないでしょうか。彼らが衰えるのを待つのでしょうか。
 本を読んでいるのは、自分だけではありません。合格年次1年先輩の、dyeさんの投稿も紹介します。受験生時にはnote記事にお世話になりました。

 読書に興味を持ってくれたなら、まずは優れた読書入門として、本を一冊と、動画を一本紹介します。

 いわゆる「一冊の本を通して読むべきか」問題については、次の回答がとても参考になると思うので紹介します。自分もだいたい同意します。

書籍を頻繁に購入されていますが、参照用は別として、全て読むことができているのでしょうか。身につけるという意味で手を拡げすぎるべきではないことは受験生に限らないと実感しています。それとも、弁護士になると急にスピーディーに書籍の内容を身につけることができるのでしょうか。実際のところをある程度開示していただかないと、先生に憧れて真似をして迷走している受験生も散見されます。影響力のある先生として、実際にどれくらい読めているのかを、書評等を通じて開示していただけると嬉しいです。勝手で一方的な押し付けであることを自覚しつつ、数年拝見していて我慢しきれなかったことをお許しください。回答不要です。|新たな発想を生み出す質問箱 Querie.me 書籍を頻繁に購入されていますが、参照用は別として、全て読むことができているのでしょうか。身につけるという意味で手を拡げすぎ querie.me

 いざ本を読もうとなった場合、会計関連書と自己啓発書はまず手に取る可能性が高いでしょうから、両ジャンル以外の本も意識して読むことをお勧めします。
 なお、自己啓発書は一見価値中立的な方法論・ノウハウに見えることが多いので、書かれざる前提・価値観を自覚せず真に受けると、危険です。取扱いにはご注意ください。次に紹介する自己啓発書は社会人の勉強法を扱ったものですが、適切に距離を取りながら読めば、専門家としての知識習得法の確立に、とても参考になると思います。著者のバックグラウンドは美学ですが、同じく美学を背景としながら対照的な千葉雅也の議論と比較すると面白いです。

 

3-3.AIとの付き合い方を考えよう

 生成AIと仕事のあり方は、現在進行形の問題です。会計専門家の将来について、個人的には、生成AI回答の真贋や妥当性を見極める鑑定家としての役割は残る気がします。ただ、そのような判断力の獲得に要する訓練期間や社会全体における会計専門家の長期的な需給バランス、望ましい制度設計などは考えが詰め切れておらず、自分では答えの用意がありません。むしろ、今後の全キャリアで影響を受けることになるみなさんが議論を立ててくれることを、楽しみにしています。
 生成AI関連で一番面白かった書籍として、西山圭太ほか『相対化する知性』を紹介しておきます。文系出身者にはまだ抵抗の強いだろう、人間よりも賢い知性と共存する社会はどのようなものになりえるか、というテーマを掘り下げて議論しています。


4.一人前が「意味しない」ことを把握しよう

 ここまで、合格後の修業に役立ちそうな方法等を探ってきました。それでは、各人それぞれにキャリアを設計して努力を重ね、「一人前」になったとします。それは何を意味し、何を意味しないのでしょうか。
 まず、道徳性・人格は、会計専門家として一人前になることと関係がありません。みなさんが修業を積み、15年20年後に一人前の専門家になったとしても、人格が陶冶されているとは限りません。専門家も、普通の人間です。非の打ち所のあるベテラン会計士も当然います。人格と会計士としてのパフォーマンスも必ずしも連動しません。他の職業で道徳性が磨かれない訳では全くなく、会計士が他の士業や非専門家と比べて平均的に人格に優れているという証拠もありません。
 また専門家になることで、非会計分野の判断能力が、非合格者に比べて高まるわけでもありません。むしろ、なまじ知識や推論能力に自信があるほうが、却って危ないと指摘されています。先日の兵庫県知事選挙でも、知識人寄りであるはずの経営学者KやI、会計士予備校講師の弁護士Hらが、(少なくとも実証政治学者なら、開票日入手可能な情報ではとても達することができない)断定的判断を、高揚した文体でツイートしていました。
 さらに、公認会計士は「公共の利益のために」行動することが要請されています。しかし、既に見たように制度趣旨と個人の視角には潜在的な対立があり、会計士全員が「公共の利益のために」行動している訳でも、常にそれを要求することが必ずしも望ましい訳でもありません。

 ここでもう一歩突っ込みが必要な重要ポイントは、個人(ないし部分集団)が「社会のことを考えて、善意で、人格の陶冶も目指して」行動したとしても、彼(等)の行為がそのまま社会にとって望ましいとは限らない点です。本人達の意識の上では公共善を意図した行動でも、無意識に「自分の」利害計算がほぼ常に入り込みますし、異なる公共善の構想を持つ他者がほぼ常に存在するからです。公共善が何かをしることは、実際には極めて困難です。公認会計士法も、結果としての公共の利益への貢献は要求しておらず、あくまで方向づけに留まることを改めて想起してください。
 個人や部分集団の処世術としては、「否定的なことを言ってくる奴とは付き合わない」「気の合う仲間とミッションを追求する」でOKなんです。しかし、部分集団の行動は外部性を持ち、どこかで無視できない、WIN=WINが想定できない「他者」とぶつかります。
 そのような場面で自分(達)の善さに根源的な疑いを持てなければ、善意のミッションは容易に、「自分」「仲間」優先の裏返しとしての他者に対する暴力性や、公共性の浸蝕に転化します(*6)。

曽田正人『め組の大吾』


5.自分の信条に対する、深い懐疑を保とう

 何やかや書いてきましたが、結局みなさんがどのような人生を歩むかは、これからのみなさん次第です。資格は祝福でも呪いでもあります。

 ひとつ、「人格を磨くことが成功につながる」式の、キャリアと価値観を連動させる思考は、決して取るべきでないことをお伝えしたいです。仮に成功した場合に、それは自身の人間力のおかげでもあるという、それ自体が極めて傲慢な発想と、相性が良すぎるからです。このような発想はまた、「まつろわぬ他者」に根源的な敬意をもって接することを、難しくします。
 (定義はどうであれ)世俗的な成功と道徳的な価値の追求は別物というのが、マキャベリの教訓でした。この教訓を忘れて両者の幸福な結婚を信じたとき、グロテスクな自己欺瞞を生むでしょう。

 他人は、「全員が今よりも幸せになれる」予定調和が約束された、自分の成長のための都合の良い道具ではありません。いままで自分が人生で大事だと信じてきたことが、根底から揺るがされる可能性を持つ異物です。異論にオープンであれというのは、聞こえを良くするためのリップサービスとして、安全地帯からキャリアプランの多様性を抽象的に礼賛すれば終わるものではありません。自分が評価できない価値観を持つ他者と実際に相対したとき、自分の根幹が間違っている(*7)かもしれないという恐れと真剣に向き合い、べったりとした自己肯定に陥らず他者への根源的な敬意を持ち続ける、しんどいコミットメントです。

 このようなこだわりはもはや万人向けではないですが、その意味でも、専門家としてのキャリアと自身の人格とは、切り離して考えるべきだと思っています。


6.おわりに

 最後に仕込み落ちを。この記事は、書き手も名宛人として、自分も挑発するべく書かれています。内容に自身が切り刻まれ、自分が大事だと思うことの綻びを抱えたままで、なお無意味もしくは有害でないかもしれない言葉を紡ぐことはいかにして可能か、という挑戦でもありました。

I am well aware that I have never written anything but fictions. I do not mean to say, however, that truth is therefore absent. It seems to me that the possibility exists for fiction to function in truth, for a fictional discourse to induce effects of truth, and for bringing it about that a true discourse engenders or 'manufactures' something that does not as yet exist, that is, 'fictions' it. (p.193)

Michael Foucault (translated by Gordon et al.), 1980. Power/Knowledge: Selected Interviews and Other Writings 1972-1977. New York: Pantheon Books. 

 他人の自己了解を揺らそうとするときは、自分にも跳ね返り、自身も安全地帯にはいられないと思います。その揺れをうまく表現できたか分かりませんが、みなさんを楽しませられたことを願っています。

Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein. (*8)

Friedrich Nietzsche, Jenseits von Gut und Böse

Reasonable men may be allowed to differ on a topic regarding which no-one can reasonably be confident. And opposing views, even without any decision as to which is right, provide an agreeable way of passing the time; and if the subject is challenging and interesting, the dialogue puts us (in a way) into the company of the characters in it.
だれもが理に適ったかたちでは確信をもてない場合には、理に適った人たちが、互いに違う意見をもつことはみとめられるでしょう。なんら結論が出なくても、相対立する考えが示されるのは、快い愉しみを提供してくれます。そして、扱っているテーマが興味をそそる面白いものであれば、その書物[対話篇]を通じて、わたしたちはある意味において仲間との集いへと誘われることになります。

David Hume, Dialogues concerning Natural Religion (日本語は犬塚元訳)

次のバトン#45は、スタートアップでCFOを務めながら、ツイッターやnoteでも発信されている諸見里卓さんです。ユニークな経験に基づく、含蓄のあるお話が楽しみです。

最後に改めて、この度は会計士試験の合格おめでとうございます!
みなさんの将来がよきものになることを、心から祈っています。


♯公認会計士論文式試験合格おめでとう






(*1)例えば司法試験合格経験のある資格タレントKは、いかにタレントしてのプロデュース力が高くても、法律専門家としては現時点で無価値と評価せざるを得ないでしょう。知識が抜けるといっても、会話でキーワードを散りばめられる程度には残りますが、専門家としては知識の維持と実務経験が伴わなければ、使い物になりません。
 学生だとまだ実感が伴わないかもしれませんが、ダブルライセンスが少ないのは、取得が難しいからではなく(一定以上の地頭があれば、単なる時間の関数です)、複数の専門知識を維持するコストを覚悟しつつ複数の専門知識を活かせる分野を目指す、かなり尖ったキャリアプランでないと目的合理性がないからです。資格の目的外使用、例えば複数資格を優秀さのシグナルと錯覚してくれる顧客相手のビジネスに看板として利用する、というのであれば、合理的といえる余地はあります。目的外使用は認められているわけですから、ここでも制度趣旨と個人利害の衝突が顕在化していると整理できます。

(*2)陳腐化については、Remさんの記事でも同じ趣旨の議論があります。

武器は磨かなければ陳腐化しますし、旬という時間軸による出力のブレがありますし、磨いててもテクノロジーの発達で意味をなさなくなるときがあります。

Rem, 2023/4/9.【013】修了考査合格したてぐらいの若手会計士のキャリア論考察(1/n)

(*3)文脈は異なりますが、テクノロジー浸透によるスポーツの変容に関しての、イチローの発言を紹介しておきます。

2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く別の違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような……。本来は野球というのは…頭を使わなきゃできない競技なんですよ。本来は。でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて。

2019年3月22日、イチロー引退会見

(*4)参照論文(2024年12月29日閲覧)のTable 4及びTable 6をご覧ください。なお論文では、修士以上の学歴や最上位の年収だとAIに影響を受ける度合いが若干下がる逆U字型の相関も報告されています。
 #11(11/26)の水地さんは、生成AIの活用で実務経験1年でも「一人前」になれると強調していますが、morningstarさんの指摘するように、非専門家でも生成AIで相当の判断ができ、専門家の価値付与がさらに難しくなる可能性にも注意が必要でしょう。AIについては、よねさんの議論も参考になります。

(*5)読書に関しては、多読への逃避・思考停止を戒めるショーペンハウアーの箴言がよく引用されます。しかし、彼の議論は読書不要論とは全く異なり、論敵をまとめて貶め「天才」に連なる自分を引き立てるための道具立てという側面が強いです。現代の文脈で読書以外の時間が思索に充てられているとも考えにくく、本記事ではまず多読を推しています。センスを鍛えるためには反復が必要とする千葉雅也(2024)の議論もご覧願います。
 ショーペンハウアーのモチーフは、現代においてはむしろ、多読批判よりも、スマホへの常時接続による内省喪失への警告と捉える方が有意味ではないでしょうか。常時接続については、谷川嘉浩(2022、第3章)をご参照ください。
(ただ、本を読むことに慣れたら、冊数を追う副作用は大きくなります。例えば、読む本を研究書から新書に代えるだけで読了冊数は倍増しますが、何をどれくらい読むかは読書の目的によるべきです。冊数をKPIにすると、すぐに目的からの逸脱が生じます。)

(*6)イノベーションが必然的にはらむ暴力性と適切な対処の必要性を強調した最近の文献として、清水(2024)を参照ください。また、某予備校の広告戦略の根幹に、倫理的とは言い難いグレーゾーンの手法が組み込まれていたことについては、こちらで検証しています。
別の例を挙げれば、今回の企画も、「無条件で善い」ものにはなりえません。既得権者クラブのメンバー=過去の合格者が入会者=新合格者を歓迎するいう構図ですので、「仲良しクラブ」を無害なものとして称揚するだけであれば、内外の他者からは正当な反発を招くでしょう。他にも「OBOG会」など一見無害な集まりが主催者の権力資源となる場合もあります。
一般的には自発的団体の理論的意義は両義的であり、慎重な議論が必要ですが、ここでは「無条件で望ましいとは限らない」ことを再度強調しておきます。

(*7)他にうまい表現が見つからなかったので「間違っている」というコトバを使っていますが、これは個人の持つべき信条に正解があると言いたいのではなく、結論がひっくり返るような考えの筋や考慮事項の漏れがあったとか、そういったことを言おうとしています。

(*8)おそらく著者本来の意図とは異なる場面で引用していますが、原文もアフォリズムの寄せ集めからなる章で、文脈から比較的自由な部分なので許してください。


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