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嫌なことから逃げ続けた日々
私は、嫌なことから逃げ続けて今に至るのでは?
ふと、そんなふうに思いました。
上司から怒られるのが嫌だから頑張る。期待に応えないと「ダメなやつ」と思われそうで、嫌だからまた頑張る。見た目が綺麗だと得をするから綺麗じゃないのが嫌だから綺麗になる努力をする。
そんな日々を積み重ねるうちに、いつしか「仕事ができる人」と思われ、責任ある仕事を任されるようになりました。美人じゃなくても身だしなみや愛想をよくすると得をする場面も増えました。だけど、それはあくまで他人の評価の中で生きる自分の「しょうもない見栄」や「承認欲求」が原動力だったのです。
「嫌」から生まれる努力
振り返れば、私が努力してきた理由はとてもシンプルでした。それは、「嫌なことから逃げるため」。
怒られるのが嫌だから、面倒なことや辛いことを率先して引き受ける。他人の期待を裏切りたくないから、常にその期待以上の結果を出す。自分が所属するコミュニティで「居心地の悪さ」を感じたくないから、どこでも順応できるように振る舞う。それがなくなるのが嫌だから、ただただ努力を続けてきたのです。
気づけば職場では「真面目で努力家」なんて言われるようになり、知人からは「どこでもやっていける人」と評されるようになりました。でも、それは私の本質ではなく、「嫌なことを避けたい」という気持ちが形を変えて表れただけだったのではと思います。
逃げ続けた先に見えたもの
一見すると、私は頑張ってきた人間に見えるかもしれません。だけど、実際は「嫌なことから逃げ続けてきた人間」です。でも、そんな自分を今では悪いとは思っていません。むしろ、逃げ続けた結果、それが私の生き方や道筋を作ってくれたのだと思っています。
「嫌」を原動力にしているからこそ、私は目の前の面倒なことや辛いことを克服してきた。逃げたい気持ちがあるからこそ、それを避けるための努力を惜しまなかった。その結果、仕事のスキルも身につき、居心地の良い環境を自分で作り上げることができました。
「逃げることは悪いことじゃない」
逃げることは、時に悪いことのように思われがちです。でも、逃げることだってひとつの「選択肢」だし、その選択の先で自分を守ったり、結果的に成長できたりするのだと感じます。
これからも、私は嫌なことから逃げ続けるでしょう。ただし、それはただの逃避ではなく、「自分をより良い方向に導く逃げ方」を選んでいきたい。
嫌なことから逃げてきた日々は、案外悪くないものです。