12歳のあなたに贈る言葉(4)

自分とは「違う」ことを楽しめますか?

初対面の人と会うときに早く仲良しになれる方法の一つに「共通点を見つける」というものがあります。例えば出身地や好きな歌手、今の年頃ならばよく遊ぶ場所でもいいのかもしれませんね。共通点があると話題が広がりやすくなるので、話を続けるとっかかりに困らない、というわけです。

それはそうとして、自分と「同じ」人だけが友だちなのかというと、そういうものでもないように私は思います。その辺りは私が子どもの時よりも今のほうが「同じもの探し」についての必死感を感じるので、あえて今日はその話をしたいなと思います。

ちょっと前までは、友だちとたまたま同じ服を着てたらむしろ「ちょっと体裁が悪いかな」と思っていたものですが、今はあえて「おそろい」感を楽しむために同じような服を同じ日に着て行くこともあるのだそうです。その事自体は割りとどっちでもいいのかなと思うのですが、「自分との同一感」を友だちに求めた結果だとすると、あんまり求めすぎても窮屈だろうなと思うのです。

確かに共通点が幾つか見つかったとしても、誰一人としてあなたと同じ人はいません。たとえ兄弟だとしても、双子だとしても家庭に置かれる立場や、交友関係の違いはあります。就職して、結婚すればより違った人生を歩んでいくことでしょうし、自然と考え方も少しずつ変わっていきます。
それを無理やり「同じだよね」と相手に強いるのは「相手と同じになれ」というメッセージになってしまう場合があるのです。

自分に自信が持てなかったり、友だちが自分のことを本当に思ってくれるのか不安になると「自分と同じ」であることを確認して安心したくなるかもしれません。でも、本当は確認してもその不安は消えないんじゃないかなって思うんです。だって、本当は自分と同じでないこと、わかってるでしょうし…。

友だちでも恋人でも親でも子でもそうだと思いますが、自分のことを相手が思っているかどうかを試す行為は実はそれなりの危険を伴うことです。
試しているうちに、自分のことを信じてくれないのかな?とか、振り回されてもうイヤだとか思われることになりかねないからです。試す行為には終わりがありません。いくら試しても、相手の本当の気持ちが見えるわけではないので、結局は不安な気持ちが消えないのです。むしろ相手の本当の気持ちから遠ざかってしまう行為といえるかもしれません。

考え方が違えば意見がぶつかることもあります。喧嘩することだってあるかもしれません。でも、最終的に「違う」ことを楽しめるようになると、自分とは違う人、つまりたくさんの人と友だちになれます。いろんな国でもその国の良さを楽しめるし、いろんな考えを吸収することができます。

自分が他人と違う考えだからと不安になる必要はないし、逆に自分も「こういう風に考える人もいるんだな」って一度は相手の考えを受け止めてみてください。それで、でも私は違うというのなら、それもありです。そこから、どんなふうに解決していけばいいかなと一緒に考えればいいのですから。




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