愛とか恋とかに関する枯れきった男の考察
どうも、みなさん、
愛し合ってるか〜い!?
ここで、ドラマを思い出すか、忌野さんを思い出すかはその人の好みによるところだろうか?
いや、そもそも「なんのこっちゃ?」って人のほうが多いのか、それはわからない。
どうも、おはこんばんちは、私です。
さてさて、古くはシェイクスピアにはじまり、現代のヒットチャートやコンテンツでも溢れ、古今東西連綿と神聖視されている感情はなんでしょうか?
それは、愛。
たぶん、愛。
きっと、愛。
そう、「愛」ってヤツですね。
この「愛」っていうヤツは非常に便利なもので、男女の交わりも親子の交わりも、犬猫への交わりも全て「愛」ひとつで片付けられるのです。
ね、とっても胡散臭いでしょ?
中でも一番胡散臭いものが、男女の交わりに使われる「愛」とやら。
歌でも小説でも漫画でも、みんなこぞって「愛してる」っていうんですよ。
皆さんの中にも一度くらいは「愛してる」なんて口走ったことがある人もいるんじゃないですかね?いや、そりゃいるよね。
でもさー、犬猫や子供など弱いものに対する気持ちならいざしらず、対等な一対一の人間関係において、果たして「愛」なんてものが存在するんでしょうか。
いや、存在しているのならば離婚率がこんなに高いわけがないよね。
私はね、愛とはつまり、滅私の境地だと思うんです。
相手には何も求めない、欲しがらない、ただ受け入れて与えるのみ。
それが愛だと思うんです。
こんなの夫婦間、さらにいえば恋愛関係の男女に存在するわけなくないですか?そもそも、愛を語ったコンテンツの中でさえ、愛してると宣ったキャラクターたちがなにかしらを求めあっているのだから、無理からぬことでしょう。
夫婦にしろ、恋人にしろ、結局は一種の人間関係である。
そこには必ず利害関係というものが存在している。
与えられるだけ、与えるだけの関係なぞ破綻して当たり前なのである。
だから、お互いに要望を伝え合うことが重要なわけである。
だが、ここに愛という異物が登場するから話がややこしくなる。
愛というものは、利害の一致で成り立つ人間関係において、ありもしない正当性を主張しながら、一方的な供物を要求することができるのである。
つまり、愛というものは嫌な言い方をすれば人間関係クラッシャーなのだ。
※あくまで個人的な見解です。
だからLOVE IS OVERなんてきれいな言葉で別れを美化してはいけない。
それは単なる我慢の限界だ。
愛という言葉を欲望を隠すための手段にしてはいけない。
たぶんあなたが思う愛している人というのは、そのほとんどがただの好きな人のはず。
好きな人を裏切らないためにも、自分の欲望は素直に伝えたほうがよいと私は思いますよ。
アレもしたい
コレもしたい
もっとしたい
もっともっとしたい
てね。
で、そのための対価を必ず提示しましょう。
アレしてあげる
ソレしてあげる
コレもしてあげよう
てね。
あ、けして卑猥なことではございませんよ?
誤解しないでくださいね。
ま、それもひとつの立派な欲望であり、人間関係の構築であることは否定しませんが。
というわけで、そろそろお開きです。
最後に皆さんに愛を込めて。
おあとがよろしいようで。
※ところで、「あれ」を「アレ」と書くだけでなんだかイケないものに感じられる感覚ってなんでしょうね。文章って、奥深いですね。