終の住処
最近中年とか老化とか、そういうことばっかり書いてる気がするな(笑)
先日身延山に登った。登ったと言っても齢60を超えた両親を引き連れてのことで、ハイキングに毛が生えた程度のものだが。しかしそれでも最近急速に足腰の衰えた父には酷だったらしく、登って1時間ほどで「もうこれ以上は無理」となり、ほうほうの体でたどり着いた小さな庵で少し休ませてもらい下山。結局はロープウェイで頂上に至った。庵を営むお坊さんはコミュニケーションド下手な父にも優しく接してくださった。
その様子を見て半ば本気で「1週間くらい籠らせてもらえば?」と言った。父は家事一般ほぼできない・運動しない・人にも会いたがらないという3拍子揃ったまぁまぁの非・サバイバル人間で、私は母に「頼むからあの人を置いていかないでね」と常々話している。その辺の「3ない」が、僧房にお世話になることによって解消するのではないかと思ったのである。自主的に望まないと続かないだろうことも想像しているが。
そういう私も現時点では孤独死一直線のライフスタイルである。遊んでくれる友だちはいるが、もちろん彼らが優先するのは家族だし、それは今後もしばらく続く。GWなどの大型連休はそれが如実に現れる。盆暮正月は単身者にとってなかなか過ごしにくいシーズンなのである。1人で観光地に赴いても逆に孤独を深めるのは経験済みだ。
だから、というのではないが、身延山の僧房で「プチ・オーガニック出家」みたいに老後を過ごすことはできないだろうかと考えた。老人ホームに入って何から何までお世話をしてもらう暮らしはしたくない。人間関係に息が詰まるのも避けたい。僧房で、早寝早起きをし移り変わる自然に触れ、仏の教えに帰依はせずとも精神の修錬を行う生活はとても理想的に思えた。山に住めば自然と足腰も鍛えられる。
問題は私の食欲などへの煩悩と、歌舞伎・落語・映画といった都市型エンタメへの渇望である。そういったエンタメの配信が今後も拡充することを切に願う。