家族について
私がまだ子供だった頃、幼いながらに母は兄の方が好きなんだなと感じていた。信じたくなかったけど、そう思う節はいくつかあった。
兄は素直だ。そして何をやらせてもどんくさい人だ。愛嬌があって、いろんな人に好かれる人だ。
私は卒なくこなす風を装うのが得意で、アマノジャクで、あまり素直じゃなかった。
よく父に怒られた。
「女なんだから家の手伝いをしろ」
「女は学より愛嬌」
こんな昭和な考えの父の元に育ったせいか、いつも父の機嫌や顔色ばかり窺っていた。
その代わりに、私のイライラをぶつける矛先は母親だった。
それが母が私を好きでない理由の一つだろう。
よく母は「お母さんとお兄ちゃんは好みも性格も似ている」と嬉しそうに言っていた。気が合うのだ、と。
旅行先でも、母は朝早く起きて宿泊先の近隣を散歩するのだが、一人の時もあれば、兄と散歩することもあった。私は一度も誘われなかった。
これに対して母親に不満を言ったことがある。母は、「あんたは寝てたから」と返したが、私は納得いかなかった。
母は運転免許を持っていない。遠出するときは、いつも父にお願いする。
父は短気で気分屋で、待つことが大嫌いな人なので、買い物に行っても必要最低限のものしか見れない。
兄が運転免許を取った時に、「おかん、アウトレット行こか」と誘った。
兄は母のペースを守ってあげて、ゆっくりと買い物を楽しめたようだった。
それが母はとても嬉しかったようで、兄に服や靴をたくさん買ってあげていた。それは社会人になってからも続いた。
私や父は、なんとなく兄の魂胆がわかっていた(兄はすごくケチで、自分のお金を使いたがらない)ので、「あんまり○○(兄)ばっかり買うたるな」と父が母に釘を刺していたが、母は、「あの歳(20代後半)になっても母親と出かけてくれる。その気持ちが嬉しい。」「ふつうは一緒に行くのも嫌がるのに」と、嬉しそうに話していた。
私は結婚して遠方(関西から九州)に嫁いだのに、母は私の結婚式は涙を見せなかった。兄は結婚して隣の市に住むのに、兄の結婚式では号泣していた。
これが憶測が確信にかわった時だった。
私は母の行動に度々ショックを受けていたので、自分が子供を産んだら絶対に平等に接すると心に決めていた。
自分がされて嫌だったことは、わが子にはしない、言わない。
男の子の方が可愛いって言われているけど、そんなことない。私は二人とも平等に可愛がるんだ。
そう決めていたのに。
娘が生まれて、私は育児ノイローゼになった。楽をしてはいけない、私より大変な人はいる、怒っちゃだめだ、と自分で自分を抑え込んでいた。
娘は手がかかる子だった。食べない、寝ない、一人遊びをしない、思い通りにならないと大声でなく、手をつながない、一つの遊びに集中できないから、公園に行っても追い掛け回すのが大変、口達者で生意気、人を動かそうとする、自分のペースに合わさせる…と、書き出したらきりがないが、とにかく大変な乳児期~幼児期だった。
手がかかるのに、私を必要としていない感じがあった。
私の作ったご飯は食べない。でも一時保育先の保育園では給食はお代わりする。私とは手をつながないのに、先生とは手をつなぐ。私がそばにいるのに、よそのお母さんと遊びたがる。そばにいるのに娘が遠く感じた。
私は親失格だ。親に向いていないと自分を責めた。
それでも、2人目が欲しかった。
「本当に私は母親失格なのか」を知りたかった。
2度の流産を乗り越え、息子が生まれた。
娘が生まれた時、可愛いと思う気持ちよりも、授乳が上手くいかない、情けない。こんなんでやっていけるのかと、不安と恐怖が勝っていた。
息子が生まれた時、授乳は娘の時と同様に上手くいかなかったが、久しぶりの新生児を抱いて、心の底から可愛いと思った。
一番感動したのが、私の手作りの離乳食を食べてくれたこと。
よくネットで「野菜入りホットケーキ」「具だくさん味噌汁」をみかけるが、この手の料理を娘は食べられたことがない。少しでも違う野菜や食材が入っていれば、一口も食べない。
でも、息子は食べた。見た目で最初は嫌な顔をすることもあるが、一口食べればあとは食べてくれる。残さず食べてくれる。その感動が今でも忘れられない。料理を食べてもらえる=母親として認めてもらえている ように感じるからだろうか。
今のところ息子は、一人遊びも上手で、寝る時もそばに寄ってきてセルフねんねができ、お腹と睡眠さえ満たされればご機嫌よく過ごしてくれる。とてもやりやすい子。
私は自分の母親同様に、子供を贔屓してしまっている。息子を可愛いと思うたびに、娘への罪悪感が湧いてくる。
でも息子は素直に可愛いと抱きしめられるのに、娘は意識しないと抱きしめられない。娘を自分の小さいころと重ねてしまっているからだろうか。
いつか娘を心から可愛いと思う日が来ますように。