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許す、ということ

私にとって2019年はちょっとした激動の1年だった。母のがんの再発、自身の乳がんの手術、末の妹の帝王切開での初出産、が立て続けに起こったのだ。そんな中、皆の希望と共に生まれてきたのが、妹の娘、現在3歳になる姪だ。これは姪が2歳の時の出来事である。

こちらの言っていることは殆ど理解していた姪だが、自分の思いを言葉にするのはまだたどたどしい。ある日、一緒に遊んでいる際、姪っ子からすごい頭突きをお見舞いされた。それは頭突いた方もかなり痛かったであろう痛さで、私は笑いながら「痛ったあ〜」と告げた。それを見た母親である妹が、「あかんよ」と姪をやんわり嗜めた瞬間、姪は海老反りになってギャン泣きしだしたのだ。しかも、かなり激しく。

そうなるともう私では手に負えず、妹の出番となる。妹は姪に静かに手を伸ばす。抱きかかえようとする。姪は激しくその手を拒否し、同時に求めもする。「そんな状態やと、お母さん抱っこできないよ」「いやや!抱っこして!抱っこ!」しばらくして、ようやく妹が姪を抱き上げる。「一緒に遊んでて、楽しくなって、頭突きをしたんだよね。お母さん、その気持ち、よくわかるよ」それを聞いた姪は、妹にかじりついてさらに泣きじゃくり、ベッドルームを指して、「あっち行く!あっち!」と、心を落ち着けにリビングを出ることを妹に要求したのだ。

母親には自分の気持ちをわかってほしい。言葉をもたなくても、それをしっかり姪は求めた。母に求めてもよかったんだ。すぐに年子の妹が生まれた私には、物心ついてから焦がれて焦がれて、でも結局最後までできなかったことだった。母は亡くなり、亡くなったことで、母への長い間のわだかまりから、私はようやく楽になれた。ずっと愛して欲しかった。愛してくれない母が、許せなくて辛かった。母も、人も、自分のことさえも、どうしても許せないまま、50年近い年月が経ってしまった。

難しいかもしれない。でもやろうと思う。母を許し、人を許し、自分を許し、もっと楽に、楽しく、幸せに生きる。お金はたくさん稼げないかもしれない。仕事で昇進とかもないかもしれない。社会的成功は母の価値観で、その価値観をみっちり受け継いだ私には受け入れるのが辛い現実だが、私はおそらくどんどんのし上がったり、フリーでバリバリやっていくタイプではない。ただ、身近な人々への感謝と、許す心をもつこと。凝り固まった思考の癖を、少しづつ少しづつ緩めていこう。そうして多分いつかは戻るのだ。空想好きで、友達が大好きだった、ただの女の子に。




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