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馬組より愛を込めて

忘れ得ぬ思い出がある。皆が失意の底にあった時、触れてはならぬと口をつぐんでいた時、憚ることなく差し伸べられたその手。周りの空気を一変させたリプライ。私がこの界隈に深く根を張り、長く過ごすことになった最も大きな要因。
ばあちゃるさんとのらちゃんの、あのあまりにも運命的な、美しいやり取りが、4年以上経った今も私の心を掴んで放さないのです。

馬組の者です。自分ではねずみさん未満だと思っていましたが、この場に参加している以上そうも言っていられません。今回はばあちゃるさんとのらちゃんについての私の想いを、可能な限り余すところなく皆様にぶつけたいと思います。

この二人を語る上で避けては通れないのが、最初に書かせていただいた2018年2月5日の出来事……なんですが、これは私の中で最も美しい思い出であると同時に、のらちゃんのつらい経験にも関連する出来事です。正直、のらちゃんはこの話題に触れてほしくないのではないか? 無かったことにしたいのではないか? 勝手に美化されて、うんざりしているのではないか? そういった疑念が、常に付きまとっていました。そんな言葉を漏らす私に、のらちゃんから直接のお言葉がありました。
「単に公式が言っているだけではありますが、常に大切な思い出として胸の内にあります」
救われました。そして致命傷です。馬と猫の二人を推すオタクに、こんな言葉を投げかけてはいけません。ともあれ、こうして私の中の疑念は綺麗に払拭され、それどころか追加で(のらちゃんのばあちゃるさんに対するクソデカ感情という)素晴らしい美味なるものをいただき、私は胸を張ってここでこの文章を書くことができているのです。
ばあちゃるさんにとって、あの時差し伸べた手は、おそらく良くも悪くも特別なものではありませんでした。本当に何気ない、彼にとっては至極当たり前の行動だったのです。慰めでもなく、同情でもなく、ただいつも通りに何も変わらず接しただけ。でもそれが、のらちゃんの中ではかけがえのない思い出になった。あの時、間違いなく救いになっていた。
ばあちゃるという男は、躊躇いなく火中の栗を拾うし、世間体とか気にせず自分の是とする行動を取るし、根っからの善人だし、馬鹿正直すぎて痛い目を見ることもあるし、本当にただただ真っ直ぐな男です。そんな男の、全く打算の無い、心からの言葉だったからこそ、彼女を救うに足るリプライになったのかな、と私は思っています。

そんな縁ある二人ですが、のらちゃんからの猛烈なアプローチがあるにも関わらずコラボは未だ実現されていません(2022年10月現在)。そんなにアプローチしてるか? という方にお伝えしますと、ばあちゃるさんの誕生日を祝う動画『ばあちゃる10秒合作2021』にサプライズで参戦したのらちゃんは「ばあちゃる」「コラボして」と書かれたうちわを振っていました。ガチです。押しかけ女房では? 失礼、言葉が過ぎました。私に二人をカップリングとする意思はありません。少なくとも、今回は。
正式なコラボこそ実現していませんが、2022年5月10日、Twitterのスペース機能にて念願の直接対話が叶いました。のらちゃんとばあちゃるさんが、実際に言葉を交わしたのです。私は感動で打ち震えました。歴史が動くさまを目の当たりにしたような気分でした。スペース機能はパソコンに対応しておらず、のらちゃんは「ヘッドホンのイヤーパッドにスマホを突き刺した地獄の環境」(本人談)という脳すじ……ゴリ押し……パワープレイで参加。この必死さがまた可愛らしく、愛おしいですね。
のらちゃんが回りくどい話し方(本人談)をしている都合上、スムーズな会話とはいきませんでしたが、そんなのらちゃんの沈黙をワクワクそわそわしながら待つばあちゃるさんという微笑ましい光景が展開されました。幸せ空間です。そんな幸せ空間に、突如呼び込まれた男がいます。私です。詳しくはばあちゃるさんのスペースをお聞きください。色んな感情がせめぎ合うので一言でお伝えするのは難しいですが、あの瞬間の私は世界最高の幸せ者でした。
先ほど私は「ばあちゃるさんにとってあの日差し伸べた手は特別なものではなかった」と言いました。実際、少なくとも当時はそうだったと思います。しかしこのスペースにおいてばあちゃるさんは「4年、5年前からのらのらのこと分かってて~」と発言しました。知っていて、ではなく『分かってて』なのです。この言葉から私は、彼なりにあの日の出来事をしっかり胸に刻んでいることを読み取りました。たった一言から行間を読みすぎかもしれません。でも、『知っている』のではなく『分かっている』のです。彼女の背景を、生き様を、分かってくれていたのです。
ついにスペースで会話を実現させた二人。「コラボができた」と喜ぶばあちゃるさんに、のらちゃんはしっかりとこう宣言しました。
「でもこれでコラボ終わりだとは思ってないですからね!」
そうです。のらちゃんの想いはこんなものではありません。こんなことでは済まされません。まだ言葉を交わしただけなのです。それでも大きな一歩ですが、のらちゃんとばあちゃるさんの物語は二歩も三歩も、いいえ、そのずっと先へだって、きっと続いていくのです。それぞれが普段は別の道を歩んでいて、たまに顔を合わせる程度の関係だったとしても。こんなものはスタートラインに過ぎない。のらちゃんの力強い言葉が、そう物語っています。

のらちゃんとばあちゃるさん、私が持つ二人への大きな感情は、ここまでである程度お伝え出来たかなと思います。私が最も恐れていたことは、「ばあちゃるの美化のためにのらきゃっとが舞台装置として消費されている」と思われることです。私は馬組です。そして自称ねずみさん未満でもあります。未満ではありますが、のらちゃんへ抱く想いは偽物でも建前でもありません。彼女の紡ぐ物語に、自分なりに本気で惚れ込んでいます。どうか信じてほしい。そういう気持ちも込めて、この文章を書いています。ただ同時に、そんな疑いの目を向けるねずみさんがいないことも、私は理解しています。ねずみさんのファンとしての質の高さを、私は心から尊敬しています。
私のこの界隈での人生は、間違いなく2018年2月5日を起点に始まりました。あの日の出来事を描いた絵は、数字の上では大したことはありませんが、私の中で大きな宝物となっています。見返すたびに、誇らしい気持ちになります。本当に描いてよかった。
おこがましいですが、この文章やあの絵が、誰かの中で、あの美しい出来事を思い出すきっかけになれたなら、と思います。

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