2025/01/09
東京都現代美術館で開催されている坂本龍一展を見に行ってまいりました【新年早々おれカネゴン】
以前お誘いいただいて見に行ってみたasync設置音楽展と基本的に同じ路線の展示でした
asyncのときと同様、今回もカネゴンは終始「ぼく、死ぬんだよ。わかる?」と坂本龍一に耳元で囁かれ続けているような心持ちになりました【除霊の札とおれカネゴン】
会場の多くは極端に暗く重苦しく湿っぽく、カネゴンがちょくちょく通っていた善光寺さんの戒壇巡りを思い出さずにいられませんでした【足元不安のおれカネゴン】
中庭で展示されていた「霧の彫刻」は、時間になるとマジで視界ゼロになるくらい霧が濃密に立ち込めて、生者たちに雲の上の世界を強制的に体験させるという企画でしたが、一緒に鳴っていたはずの音は霧発生装置の音にかき消されたのかほとんど聞こえませんでした【ガス室気分のおれカネゴン】
![](https://assets.st-note.com/img/1736380445-73jnXD9tZgNQI1ATcV6B0p8O.png?width=1200)
坂本龍一本人が使っていたMIDI仕掛けのグランドピアノでの自動再生音楽に生前の本人の姿をプロジェクターで重ね合わせた様子は、まさに降霊術そのもの【エコエコアザラクおれカネゴン】
東京都現代美術館での『坂本龍一 | 音を視る 時を聴く』展、坂本さんの生前のピアノ演奏のYAMAHAのピアノによる再現演奏、『Music Plays Images X Images Play Music』も印象的な作品でした。
— 一川誠 Makoto Ichikawa (@ichikawa_makoto) January 5, 2025
「複製芸術」の可能性についても考えさせられます。 pic.twitter.com/ZviC2FNnzb
かように音らしい音がほとんど鳴らない墓場のような会場で、何から何まで常世の国へのいざないに満ち満ちた展示でしたが【神社仏閣おれカネゴン】、ここに唯一足りないのは、東風でも千のナイフでもなく「お線香の匂い」であることにカネゴン気がついてしまいました
会場にお線香の匂いを焚き込めば、老若男女民族国籍を問わず、いかなる来場者も展示に一歩足を踏み入れればイベントのコンセプトを瞬時に理解できるであろうとカネゴン請け合います【抹香臭いおれカネゴン】
これから展示を見に行く人には、心の中でお線香の匂いや、ボコーダーを強烈に効かせた読経の声をスーパーリアルに再現しながら鑑賞することをおすすめいたします【巻き添え増やすおれカネゴン】
終わった後の明るいミュージアムショップでやっと生きた心地が蘇ってきたカネゴンでした【何にも買わぬおれカネゴン】
かつてカネゴンは崇拝に近いくらい初期の坂本龍一に入れ込んでいたことがあり、どんな小さな情報も見逃すまいと地方都市の本屋を隅から隅まで調べて回っていたものですが、たしか「未来派野郎」と「Media Bahn Live」をまとめ買いして後悔してから追いかけるのをやめたのでした【まじない解けたおれカネゴン】
昔の日記から再録します
坂本龍一についてずっと謎だったことがあった。「もとネタ」がわからないのだ。大抵の人には「あこがれの人」があって、多かれ少なかれそのスタイルの影響を受けるものだけど、坂本龍一の場合それが何なのかが長らくわからなくて、そこが神秘的に見えてしまったのかもしれない。ところがある日、たまたまアンディ・ウォホールの肖像写真およびインタビューを見てのけぞってしまった。そのいでたち、スタイル、言ってること、しかも髪型までそのまんまなのだ。坂本龍一の「もとネタ」がまさかアンディ・ウォホールだったなんて、ずっと気がつかなかった。なるほど、音楽家をどれだけ探しても見当たらないわけだ。美術館で会った人だったのか。それがきっかけで、ちょっぴりだけ幻滅したかもしれない。
そしてたった今になって気付いたのですが、カネゴンはとうとう坂本龍一の実物を一度もライブなどで見ることなく終わってしまったのでした【それがいつものおれカネゴン】
間違えないでいただきたいのですが、カネゴンは坂本龍一を貶めようとしているわけでもくさそうとしているわけでもありません【訴訟の沙汰とおれカネゴン】
吉田秋生の昔のマンガに「相手がどんなヤツだろうと、初恋の人を忘れられるわけがないじゃない」と涙まじりに語る場面があったのですが、まさにその気持なのです【操を捧げたおれカネゴン】
そういえば、たしか大島弓子さんの『アポストロフィーS』の中の一節を、吉田秋生さんの『河よりも長くゆるやかに』の中で引用していました。
— 桑原雑 (@ashzashwash) December 24, 2024
探してみた😆 pic.twitter.com/SPA2x5WJOt