全人類に嫌われる時の話

こんばんは、語呂良吉です。
久々に大波が来てしまってすっかり溺れたので、とりあえずアウトプットするか……になりました。


他人に不快感を与えて生きていることが本当に申し訳なくなる時がある。
誰にでもあんのか、あるんだろうな。
誰もが不安に思ってることを大げさに痛がってるだけみたいな、
そんなの誰でもそうだよって言葉聞きすぎて「誰でもそうなんだろうな~」って思うようになった。
逸れた。
生きてることが申し訳なくなるの、決して被害者面したいわけじゃないというか、
(実際誰かに言われたことで「自分が他人に不快感を与えている」という感覚に陥ってるわけじゃない、これはマジ)
自分の発言とか自分の顔とか自分のセンスとか自分の全てが他人に不快感を与えてるんだろうな……
全ての人間関係を切って生きるか、死ぬかしないとだめだな……
全ての人間関係を切るのは悲しい(語呂は他人が好きなので)から死ぬしかないな……
みたいなことをグルグルグルグル考えてしまう。

顔に生まれつき痣があり小学生のときは「非人間」とか「人外」とか「顔が汚い」とか
散々言われまくったが、それを軽くいなしながら生きてきたつもりはあった。
でも小学生のとき、レーザー治療をしていたときに、
親にレーザー治療を続けるか聞かれたときに
「周りの人がわたしの顔を見て気持ち悪いとか不快に思うならした方がいい」って答えた。
親にはその考えは否定されたが、生きる上でその観念はずっと持ち続けている気がする。

憂鬱も怒りも過去もあけすけにこういう形でアウトプットしてしまうことが、一番他人を不快にさせてる行動だという自覚はある。
誰も聞きたくないことを永遠に語ってしまう。
申し訳ないな……

「迷惑をかけずに生きてる人間なんていないよ!」
「失敗せずに生きてきた人はいないよ!」
みたいなことを言うひともいるしそれはそうだろって思う。
誰だって他人に迷惑も不快感も与えてるけど、自分は関わる人全てにそうしてしまってる気がしている。
「悪いと思ってるところを直してみたら?」みたいなアドバイスにも「全部が悪いんだからどうしようもないだろ!!!」になる。
自分がゴミすぎる……
現に今日もこういう形で憂鬱だったからツイッターのフォロワーに気を遣わせてしまった気がする。
ヒント💡『人を不快にさせないために人間関係を切るか、死ぬかしてみよう!』
みたいなダイアログがついて回る。
ばったり会った敵他人を不快にさせる迷路でずっと迷っていて、それを見てる他人からもずっと苛々されている。
わかってる。

そういえばこういうことずっと前もあったな、また過去の話だけど。
小学生低・中学年のときに、本来通うべき学校の生徒との交流学習(入院してたので通えなかった)で、
他人と、他人の間に存在する無言の了解が怖くてずっと立ち尽くして固まっていた。
固まってしまう気持ちに10段階で評価をつけて、分析して、
何故そう思ったか、実際はどうだったかという考え方、捉え方を訓練していって学校に通えるようになったが。
結局何も変わってないし子どもの頃の方がまだ柔軟だった気がする。


ちょっと落ち着いてきた気がするから何かするか……
オチもないし良いことも言えないけど読んでくれてありがとな。
不快なもの読ませてすまねえ。
語呂良吉でした。