霧の朝は写真を撮りに出かけなければ。
ニューヨーク市、マンハッタン島の中央に位置するセントラルパークは南北に4キロ、東西に800メートルの広大な敷地を持つ、地図で見ると縦長で緑豊かな公園だが、そのさらに真ん中あたりに巨大な貯水池がある。
周囲に沿って走ると、いや私は走らないのだが、走ったとして、およそ2.5キロあり、その昔ジャクリーン・ケネディ・オナシスが好んでよくジョギングをしていたそうで、今ではJacqueline Kennedy Onassis Reservoir(ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水地)という名称が公式の名前になっている。
貯水池が造られたのは1858年から62年にかけてというから、なかなかの長老であるわけだが、今でこそ水道水としての利用はしていないものの、現在もセントラルパーク内に散在する大小の池へ水を供給するという機能を果たしている。
水中に棲む生物の生命線であるこの池。
もちろん池といえばカメだ。ぷかぷか浮いて、どこかに向かっているようには絶対に見えないので、行き先を訪ねても答えに困るだろうから聞いたりはしない。
カモはいつだっている。カップルでいたり群れでいることが多く、ポツンと孤独なその身を水に浮かべているのを見つけると、ああ他者とうまくいかないのかなぁ、と思いながら見守る。
池から視線を空に移してみよう。時には大きな翼をわっさわっさと羽ばたかせながら向かってくる鷲・レッドテイルホークに出くわすこともある。広大な公園で帝王のように振る舞うこの猛禽類にとって、セントラルパークは健康を求めてジョギングにいそしむ場所ではない。自由な食卓なのだ。というのも、時折木の上で獲物を尖った爪で押さえながら、グロテスクな食事風景を披露してくれる。
この池を眺めに散歩に来ることが時々ある。セントラルパークまでは私が住むアパートメントから歩いて10分くらいなので、うちの庭です、と言ってもいいと思っている。
その貯水地に昨日霧が出た。ニューヨークは太西洋に面しているからか時折霧に覆われるのだ。霧と聞いてお尻がムズムズしてこない写真家、カメラ小僧はいない。もれなく霧好きに違いないのだ。街に、森に、草原に大量のスモークが程よく漂えば、これほどの演出はない。
あいにくすでに出勤していた私は、ひとり霧のセントラルパークへ撮影に出かけた妻から送られてきた幻想的な水面の写真を見て、嫉妬のあまり饅頭を喉に詰めたような気分になったのだが、かろうじて「おお、いいのが撮れたね」ともごもご返した。
霧が一日中漂うことはない。この日も昼頃にはすっかり視界が切れて何食わぬ顔をした空があるのみ。
そこで急いで明日の天気予報を確認し、帰宅後に「明日霧が出たら池まで行ってみる」と鼻息荒く宣言。
翌朝、跳ね起きて何も食べずに出勤準備をして荷物を持ってアパートメントを飛び出した。こういう時の妻はとても優しく「何もせんとはよ行っといで!」とケツを叩いてくれる。
果たして霧はまだそこにいた。昨日ほどではないにしても、程よく残っていた。
南側にカメラを向けてみる。空は真っ白だ。本来ならこの空の部分にはミッドタウンに林立する摩天楼があるのだが、見事に消え去っていた。ここがマンハッタンのど真ん中だと言っても誰も信じないだろう。
最後に枯れた秋の植物を主役に入ってもらって撮ってみる。セントラルパークには秋冬に枯れた植物がそのまま凛とした姿を残してくれていることが多い。このように生きられるだろうかといつも自問する。ピンと立ったまま枯れるというのが理想だろうか。