いつも心に浅倉透。
はじめに
今年の春休み、暇を持て余した学生であった私はこのアカウントを開設し、生活の中でオタクとしての自我を保持していくためにnoteを更新していくことを決意したはずでした。
何だこの体たらくは。一つ前の記事ってジムシャニの1巻買ったっていうだけのやつじゃん。しかも1か月以上前ですよ。やばいって。
べつに誰に強制されて書いているわけでもないが、実際最近はぼちぼち忙しくてあまり余暇と言える時間はなかったように思う。なんなら現在進行中で忙しい。
だから恐らくこれは「暇ができたから書いている」というより「忙しすぎて現実から目を逸らしたいから書いている」のだ。
テスト期間に入るとおもむろに部屋の掃除を始めていた私の性分は成人してからも全く変わっていないことがよくわかった。
本編へ続きます。
浅倉透との出逢い
浅倉透というキャラクターは、数多くの人間を狂わせている。ように見える。noteにもTwitterにも、浅倉透を自分なりに表現しようと葛藤したりクネクネしたりしている人たちがいる。もし自分がこんなキャラクターを創り出せたら、一生の誇りとか自慢になるだろうなと思うキャラクターの一人だ。
今や私もその列に加わろうとしているのだが、それにはまず私がどのようにして彼女と邂逅したのかを説明させてほしい。
私が浅倉透という人間に出会ったのは去年の夏だった。やはり暇を持て余した学生だった私は、数か月前に樋口円香のW.I.N.G.を見届け、「そろそろ違うアイドルにも触ってみようかな」とぼんやり思い始めていた。
そして私は浅倉透のW.I.N.G.を目の当たりにし、その大胆さに度肝を抜かれた。すぐさま雛菜と小糸もプロデュースし、天塵を初めて読んだ。
天塵を読み終えたころには夜が明けていて、今日の講義がないことに安心しつつ私はBUMP OF CHICKENの楽曲群を聴き、それを彼女らに重ね合わせ余韻に浸りながら眠ったのを覚えている。この時聴いていた曲はまた別で記事を書きたい。
私は未だに天塵から先のイベントコミュを読めていない。無課金のままだらだら攻略しているから、というのが主な理由だが、そもそもシャニマスのコミュは一つ一つがかなり質量として重いと感じるので次から次へ読み進められないという理由もある。
浅倉のW.I.N.G.から立て続けに雛菜、小糸、天塵と読み進められたのはなかなかすごいことで、体感では映画を2,3本一気に観たような気分だった。私のような人間がそうなってしまうのも、彼女の能力だと言えるかもしれない。
脳内の浅倉透を司る部分
ここからが本題である。
それ以来、私の生活の中に浅倉透がチラチラ見え隠れするようになった。時おり物陰に浅倉が立っているように見える、とかそういう類の話ではない。
ただ、私の一挙手一投足が、あの独特の倒置法でいちいち描写されるようになった。浅倉に出会ったのは去年の夏だと述べたが、今も続いている。
本当にほぼ全ての行動が彼女の文法で再生される。もちろん自分自身の心の声みたいなものも同時に再生されているが、それと並行して脳内では浅倉透が喋っている。面白いけどね。
ここまで書いていて、浅倉Pの人たちに関してはあるあるだろうなとは何度も思った。しかし彼らは私よりもかなり彼女について知っているだろうし、何度もプロデュースしているだろう。
にもかかわらず私の脳内には、例えば英語を勉強した人間が日本語の語順を勝手に頭で並び替えたり英語に翻訳してしまうような、そんな役割を果たす部分が生まれてしまった、そういう風に思えて仕方がない。
ただ一方、これがこの先だんだん消えていくものだと思うと本気で少し寂しいものがある。事実、思春期のとき病的に影響を受けたキャラクターなどが自分の中で表に出てくることはなくなった。彼らの立ち方や口調を真似したりすることはもうない。
大人になっても強烈に何かに影響を受けることは恐らくあるし、それが更新されていく中で古いものは自分に見向きされなくなっていくだけの話で、大人になったから何かにハマれなくなったわけではないのかもしれない。
だから、自分が「こいつに相当影響受けてるな、今の自分」の感覚は大事にしたいと思う。将来の自分は恐らくこのことすらも忘れているかもしれないとは常々考えていることだが。
例えば自分がもっと歳をとった未来でたまたま浅倉透を見つけたらどんな感じだろうか。
「あー高校から大学にかけてアイマスぼちぼちハマってたよなあ」
「そういえばなんかめっちゃ刺さったキャラいたよな、何人か」
「そん中で何ならちょっと喋り方とかまで影響されたキャラ居たよな」
「あの子って、誰?」
「そう」
「それが例えば透明少女」
今年もまた夏がやってくる。