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「スニーカー」けっち

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Photo by Jakob Owens on Unsplash

子供のころは靴といえばスニーカーのことでした。なので、スニーカーという名前があるなんて僕はずいぶん大きくなるまえでしらなかったはずです。靴といえばスニーカーで、それが防水の長い靴が長靴。革でつくったのが革靴。なにもつかないただの靴=スニーカーでした。

いつの頃からか、靴といえば革靴になってしまって、スニーカーはスニーカーになってしまいました。変な話ですね。そして、高級レストランにはスニーカーが禁止されているところがあったり、スーツにスニーカーを履くこともないので、スニーカーのイメージはますます下がっていって、大人にとってのスニーカーというのは趣味やスポーツのための靴という位置にまでおいやられてしまっている気がします。

たしかに革靴を手入れしながら履くのはいいものですよね。靴をぬいだら、ブラシで汚れをとって、布にクリームをぬって、靴墨をつけてピカピカにする過程……。さらに靴が型くずれしないように型をいれたりするわけです。すりへってきたら駅などにある修理屋でソールをかえたり、革靴との付き合いかたは人間づきあいみたいなところがあります。

それに比べるとスニーカーというのは、もっと粗雑です。砂ぼこりも雨もあまり気にしませんし、山も歩けば川沿いも歩きます。だってそれがスニーカーの存在事由でもあるからです。でも、スニーカーが少しくたびれてきて、自分の足にしっかりなじんでくると、このよれよれの加減に愛着がでてきますよね。革靴のように、いつもピカピカにする美学とはまったく正反対の、「苦渋を共にすごしてきた相棒」的な馴染みがあります。だからスニーカーとの付き合いも、これはまた人間づきあいそのものなのかもしれません。革靴が社会的なそれだとしたら、スニーカーはまるで身内づきあいそのものでしょうか。

スニーカーについて、子供のころ、こんな理屈っぽいことは少しも考えませんでした。くりかえしますが、子供の自分にとって靴といえばスニーカーだったわけです。それは或る意味でとても幸福な時代の象徴だったようにも思えてなりません。


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