クリスチャンとして生きるということ(12)
〜モーセの生き方から学ぶ〜
エホバの親しい友達の一人に、モーセという人がいます。実はモーセの生涯はエジプト脱出・紅海を二つに分ける・十戒のエピソードなど度々映画になるほど有名です。(「十戒」「プリンス・オブ・エジプト」「エクソダス:神と王」など)聖書の7つの書を書くほどモーセはエホバ神に用いられた人ですが、今回はモーセの生き方から、神の友になるとは、また神に用いられるとはどういうことかを考えてみましょう😉
モーセはヘブライ人の子として産まれました。当時ヘブライ人はエジプト下で奴隷として過酷な労働を強いられていました。人減らしの為、エジプトで産まれたヘブライ人男子を殺すようにというファラオ(エジプトの王)の命令から逃れる為、モーセは川に流されたところをファラオの娘に拾われ育てられることになったエピソードは有名です😉(出エジプト1:8-2:10)
このように、モーセは虐げられていた国民の出でありながら当時世界で栄えていたエジプトの王族🤴🏽(いわばセレブ)の元で育てられた稀な人物だったことがわかります。
ですからモーセはファラオの元であらゆる高度な知恵・教育を受けた、人々の目からは高スペックな好ましい人物に見えたことでしょう。(使徒7:22)しかしモーセはエジプトにおいて恵まれた地位と機会を与えられていたにもかかわらず,その心は,奴隷状態にあった神の民(ヘブライ人)と共にありました。モーセ自身、彼らを救出するために神から用いられることを願っていました。
ある時、ヘブライ人奴隷がエジプト人に虐待されていたところを見たモーセは奴隷を庇うためエジプト人を殺してしまいました。(出エジプト2:
11,12)モーセが生涯において最も重要な決定を下したのはその時のことだったようです↓
「信仰によってモーセは,成人した後ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み,罪のつかの間の快楽にふけるよりも神の民と共に虐待されることを選びました。任命された者として非難を受けることは,エジプトの宝より価値がある,と考えたからです。報いを一心に見つめたのです。」(ヘブライ11:24-26)
この時モーセは40歳でした。
現代で考えるとどのような状況が当てはまるでしょうか。
総理大臣の息子、超一流企業CEOの跡取りだった人が自分の有利な立場を捨てたようなものかもしれません。もしくは、超売れっ子の芸能人やYouTuberがそれまでの華々しい生活やキャリアを捨てて、神に仕えることを決意したようなものかもしれません。
…こうした変化は人間の観点から見ると、人生をドブに捨てたようにも見えます。しかしモーセは、確実に神に近づいていました。際立った信仰を示し、「目に見えない方(神)を見ているように,しっかりと立ち続けたのです。」(ヘブライ11:27)
…神に仕えるのを決意した時に、人によってはもしかしたらモーセのような大きな変化を必要とすることがあるかもしれません。でも人には愚かに見えても、神の目には貴重な人として映ることがあることをどうか覚えていて欲しいのです😉
「しかし私は,得だと思っていた事柄を,キリストのゆえに,損だと思うようになりました。それどころか,主であるキリスト・イエスについての知識に極めて大きな価値があるので,ほかの何もかもを損だと思っています。私はキリストのためにあらゆるものを失いましたが,そうしたものを多くのくずのようだと思っています。キリストを得て,キリストと結ばれた者と見ていただくためです。」(フィリピ3:7-9)
神との特別な友情関係を、いつかあなたにも体験して欲しいと思っています🤗
※モーセには続きがあります
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